どうか、教えて。
「それでは、こちらをご覧ください」
王様の隣に立つ神官長が、テーブルの上に大きな紙を広げた。
紙には、絵と文字が描かれていた。
それが何なのか、レティアには分からなかった。
傍にいるグイラムに尋ねると、「これはこの国の地図です」と答えた。
地図には、ベル・ザラムらしき都市の絵が描かれていた。
ベル・ザラムの周りには、特に何もない。
レティアたちが通ってきた古い道ばかりが描き込まれていた。
「広大な砂漠が広がっているのです、レティア様」
「……他の街は、無いのですか」
「少しはあります。……ここと、ここに」
グイラムが地図を指差して言う。
ベル・ザラムからずいぶん離れた場所に、いくつかの街があるらしい。
簡単な説明をグイラムがしたあと、正面にいた王様が寂しそうな顔をした。
小さく息を吐き、レティアを見据える。
「レティア嬢。端的に言う」
「……はい、王様」
「レティア嬢には、この国を救ってもらいたい」
王様が椅子から立ち上がり、深く頭を下げて言った。
王様につづき、神官長とグイラムもレティアに向かって恭しく頭を垂れた。
突然のことにレティアは混乱した。
王様が言った言葉が、いったいどういうことなのか。
小さな子供に対して、何故このようにするのか。
なにひとつ分からない。
(……もしかして、これは、夢、なの……?)
レティアは一度目を閉じ、再び開けてみた。
しかし目の前の光景に変化はなかった。
皆、レティアに向かって頭を下げたままだ。
見世物小屋の主人よりも偉いはずの王様が、最も深く頭を下げている。
「……あ、あ、あ……あの」
レティアはますます混乱した。
椅子から降りて、膝を突き、平伏する。
レティアの行動を見て、王様が慌てて駆け寄った。
大きな手で、レティアの手を取る。
「驚かせて済まない、レティア嬢。しかし、これは本当に、大事なことなのだ」
「……それは、どういう」
「この国は、悪魔のごとき熱で焼かれておる。非情な熱が、数少ないオアシスを舐めとり、草木を砂に変えつづけておるのだ」
「……砂漠が、広がっている、ですか」
「そう。……さらに、雨も減っておる。わずかに残った緑地も消え、ここベル・ザラムが最後の希望となりつつある」
王様が息苦しそうにして声を吐いた。
隣にいるグイラムも同様に、苦い顔をしていた。
ただひとり、神官長だけは表情を変えなかった。
何故か今も、見計らうようにレティアを見据えている。
「お分かりですかな、レティア嬢」
神官長が無表情のまま言った。
威圧的な声が、膝を突くレティアの小さな身体を締め付けた。
「レティア嬢の力があれば、この国の水が枯れることはないわけです」
「……この、呪いが」
「はっは。まさか。それは“祝福”ですぞ。この国にとって、天の助けなわけです。大金を積むだけの価値があるわけです。レティア嬢。お分かりですかな?」
神官長の目に、さらなる強い力が宿った。
レティアの冷気など比較にならないほどの悪寒が、レティアの身を引き裂く。
レティアは恐れを隠し切れず、数瞬肩を震わせた。
「……わ、私から出た氷を、溶かす、のですか」
「つまり、そういうことですな」
「……それほどたくさん、水が、出るとは……思えない、です」
「はっは。そこはつまり、“使いよう”というわけです」
そう言った神官長の目が、初めて笑った。
冷ややかで、重い笑み。
単純に欲深いわけではない。
計り知れない暗闇が、神官長の目の奥に宿っているようであった。
「無礼が過ぎますぞ」
グイラムの凛とした声。
歪で重い空気を断ち切った。
「レティア様は賓客であるはず」
「ヴァンハールド卿、私はレティア嬢と話をしているのだが」
「その前に、我々はレティア様を玉の如く扱う責任がある」
「……はっは。それは然り」
神官長の目が細くなる。
グイラムに向かって片眉を上げると、小さく息を吐いた。
「レティア嬢。大変失礼した。お許しいただきたい」
神官長の目がレティアを見下ろす。
レティアは心底ぞくりとした。
しかし王様とグイラムの大きな手が、レティアの恐怖をなんとかやわらげた。
「……え、あ……は、はい」
「有難い」
神官長の表情が、笑顔の形になった。
もちろん笑っているようには見えない。
レティアは恐れて俯いた。
するとレティアの視界を覆うようにして、王様が立ち位置を変えた。
「レティア嬢。我々の非礼と非道を許してほしい」
王様が、俯くレティアを包みこむように言った。
レティアはようやく少しだけ顔を上げる。
王様の大きな身体のおかげで、神官長の姿が見えなくなっていた。
「……王様」
「許しておくれ、レティア嬢。我らには後がない。もはや、そなたにしか頼れないのだ」
大きな身体の王様が、泣くような顔で言った。
レティアの手を素手で掴んだまま、何度も懇願してくる。
そのため王様の手は青紫色に変わっていた。
このままでは凍傷になり、腐ってしまうかもしれない。
慌てたレティアは王様の手を振りほどこうとした。
しかし、王様の手が離れることはなかった。
聞き入れてくれなければ離れないと、青白くも力強い手が語っている。
「……わ、わ、わ……分かりました、から」
レティアは声を引き攣らせて言った。
すると王様の手から力が抜けた。
がくりと崩れ落ちた王様が、レティアの前に平伏する。
「ありがとう、レティア嬢。本当に、本当に……」
泣くような声が何度も落ちた。
声だけでなく、王様の顔の下に幾つもの小さな氷が落ちた。
それは王様からこぼれ落ちた涙であった。
レティアの冷気により凍りつき、氷となってパラパラとこぼれ落ちたのだ。
驚いたレティアは、急いで二歩ほど後ろに下がった。
冷気が当たりすぎたことで、王様が苦しみ泣いていると思ったのである。
「……あ、あ、あの」
後ろに下がったレティアは、声を漏らしたあと、唇を強く結んだ。
未だに、なにがなんだか分からないことばかり。
しかし目の前に、必死になにかを守ろうとしている人たちがいる。
それがどれほどのことなのか。
レティアにはほとんど分からなかった。
しかし分からずとも、なにかが伝わってくる。
レティアの冷えた胸の底にちくりと、熱を帯びた針が刺さったような気がした。
「……わ、私、……ど、どうすれば、いいですか。教えて、ください」
奇妙に痛む胸を押さえ、レティアはこぼす。
直後、青白い顔をしていた王様が顔を上げた。
その顔には凍った涙が貼り付いていたが、希望を覗いたような色を揺らしていた。
第一章「手を掴む者」は、これで終わりとなります。
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