伝え聞いた通り
暗闇の中。
レティアの意識が彷徨っている。
息苦しいが、不安ではない。
ずっとここに居ても不足はないと、本能が語りかけてくる。
しかし、どこからか。
赤い光が現れ、レティアの意識を呼ぶ。
その呼び声に、レティアは恐れつつも手を伸ばし――
「……レティア様!」
暗闇を搔き消すように、声が鳴った。
同時にがくりと、身体が揺れる。
「……ここ、は」
レティアは薄っすらと目を開け、周りを見た。
見慣れた氷の世界。
しかし、牢屋の中ではない。
牢屋より少し狭く、いくつかの窓がある。
馬車の中なのだと気付くのに、レティアはしばらくの時を要した。
「本当に良かった、レティア様」
再び、声が鳴った。
見ると、窓の外に声の主がいた。
「……グイラム、様」
「私です、レティア様。あれからずっと眠っていたのですよ」
「……あれ、から?」
レティアはグイラムの顔を見たまま首を傾げる。
一拍置いて、暗闇の中から迫る使用人の顔が思い出された。
レティアに向けられた剣も、言葉も、じわりと思い出す。
青ざめたレティアに気付いたグイラムが、御者に声をかけ、馬車を止めさせた。
「もう心配ありません」
「……で、でも」
「もう、二日も前のことです。すでにゼセド地方へ入っています。これからは安全です」
「……そう、ですか」
レティアは上体を起こし、馬車の外を見る。
グイラムの言う通り、外の景色はずいぶん変わっていた。
砂と岩ばかりとまではいかないが、明らかに草木が少ない。
遠いところまで来たのだと、レティアは思い知らされた。
「御覧の通りです、レティア様。もうじき砂漠に入ります」
「……砂漠に」
レティアは頷きつつも、内心戸惑う。
その心の動きに気付いたのか。
グイラムが馬車の中へ入ってきた。
そっとレティアの手を取り、微笑む。
(……この人は、どうして、私の呪いが、冷気が、怖くないのだろう)
レティアはグイラムの手を見て、目を細めた。
その思いも察したのか。
グイラムがレティアの手を撫でた。
冷気を受けて赤みがかった太い手指。
申し訳ないと思いつつも、少しくすぐったい。
「レティア様。何も心配はいりません」
グイラムの声が、レティアの手の上に落ちた。
何故かいつも、少しだけほっとする声音。
レティアは無意識に頷くのだった。
そうして砂漠越えの旅がはじまった。
とはいえ、砂の上を行くわけではない。
馬車が通れるように整備された古い道を、レティアたちは延々と進んだ。
砂漠に入ってからというもの、レティアは毎日窓の外を眺めた。
砂漠の景色がこれほどとは、思いもしなかったからだ。
砂と岩だけの、色濃い世界。聞くと見るとでは全然違う。
このような地域で人間が生きていけるのだろうかと、レティアは思った。
「あの、レティア様」
ぼうっと外を眺めるレティアの傍で、突然声が鳴った。
護衛の兵士が声をかけてきたらしい。
驚いたレティアは、慌てて馬車の中へ身を隠した。
怒られると、反射的に思ってしまったからだ。
「あ、ああ。いえ、レティア様? あ、あのー」
レティアに逃げられた兵士が、レティア以上に慌てた。
恐がらせたと思ったのか。赤子に話しかけるような声でレティアを呼ぶ。
レティアはしばらく身を隠していたが、兵士の声は止まなかった。
仕方ないと、レティアは恐る恐る窓の端に顔を出した。
「……あ、え、っと、なん、でしょうか」
「ああ! 急にお声掛けして申し訳ありません!」
「……は、はい」
元気のいい兵士に気圧され、レティアはまた少し顔を隠す。
少しの間を置いて再度顔を覗かせると、兵士の明るい目がレティアを捉えた。
「レティア様、その、氷を少しいただいても良いでしょうか!」
明るい声と共に、兵士の手がレティアに向かって伸ばされた。
その声に気付いた別の兵士たちが、何事かと、レティアに視線を向けた。
「……は、はい、どうぞ」
多くの視線を受けていることに気付き、レティアは肩をすくめて言う。
しかし何も気にしていない目の前の兵士が、喜びの声を上げた。
「本当ですか! やった!」
「……はい」
「では、これをおひとつ!」
そう言った兵士の手が、馬車の中へ伸びる。
兵士の手の先に、レティアの呪いから生えでた氷があった。
その氷を、何のためらいもなく掴み、折る。
氷片から、澄んだ音。
掴み取った兵士が、満面の笑みでレティアの顔を覗いた。
「ありがとうございます、レティア様!」
氷片を手にして、兵士が馬車から離れていく。
その姿を、レティアは呆然と見つづけた。
翌日。
昨日の兵士が再びレティアの馬車へ寄ってきた。
しかも一人ではない。
三人に増えていた。
レティアは昨日と同様、最初は怯えて身を隠した。
兵士たちも昨日と同様に、レティアが顔を出すのを待ってから、氷片が欲しいと願い出た。
(……この氷が、怖くないの?)
レティアは眉根を寄せ、小さく頷く。
すると兵士たちが我先にと、レティアの馬車の中へ手を突っ込んだ。
馬車の中に生えでた呪いの氷を、手で掴み、折っていく。
氷を手に入れた兵士は、昨日同様、満面の笑みをレティアに向けた。
そうして、氷を懐に入れたり、口に咥えたりした。
兵士たちが何故そうするのか。
その時のレティアには分からなかった。
後になって、砂漠がとても暑いところなのだとレティアは知った。
砂漠での長い旅は、兵士にとって苛酷であるらしい。
「感謝します、レティア様」
その日の夕刻、グイラムが恭しく頭を垂れた。
兵士たちが、レティアから氷を受け取っていることを知ったのだ。
「あと、兵士たちの無礼をお許しください」
「……い、いえ」
「度が過ぎるようでしたら、厳しい罰を与えますから」
「……そ、そんなこと!」
「罰」という言葉を聞いて、レティアはどきりとした。
見世物小屋と、使用人の顔を思い出す。
同時に、氷となって消えていった使用人の言葉も耳に蘇った。
レティアは唇をぐっと結び、肩を小さく震わせる。
「……ば、罰は、しないでください、お願い、します」
レティアは消え入りそうな声をこぼした。
その声を拾いあげたグイラムが、はっとする。
「そのようにします、レティア様」
「……はい」
「ですが、レティア様が不快に思われることがあれば、必ず仰ってください。宜しいですね?」
「……はい、グイラム様」
レティアは俯き、短く答える。
その姿を見て、グイラムが小さく唸った。
空気を換えようと顔を上げ、馬車の内に生えでた氷を見る。
レティアの氷をよくよく見ると、普通の氷とは違っていた。
氷の内に、微かな光が宿っている。
その光は氷の内で踊り、舞っていた。
他の兵士たちのように、氷を折って取ってみると、澄んだ音が鳴った。
その音と共に、氷の内にあった光が溶けて消えた。
「なるほど、たしかに」
氷片を見て、グイラムが頷いた。
俯いているレティアへそっと寄り、手に取った氷片をかざす。
「たしかに、兵士たちが夢中になるのも分かります」
「……この、氷を」
「その通りです、レティア様」
「……ですが、それは、呪われて、ます」
レティアは呪いが生んだ氷から目を背けた。
しかしグイラムは頭を横に振った。
そうして、兵士たちと同じように、氷片を懐に入れた。
「どうやらこの氷は“伝え聞いた通り”、我らへの祝福のようです」
グイラムは恭しく頭を垂れ、レティアの馬車を降りる。
レティアはグイラムの背を目で追ったあと、馬車の内にある氷を見た。
草木のようにここそこに生えでている、無数の氷。
これが、祝福なのか。
いや、そんなことは、あり得ない。
レティアは目を閉じ、顔を歪めた。
しばらくして、馬車が走りはじめた。
砂漠を貫くようにして在る石畳の道を、ごとりごとりと進んでいく。
「あと数日もすれば、ベル・ザラムに着きますよ」
レティアの馬車の御者が言った。
その言葉に、レティアは心を重く、引き締める。
見世物小屋から離れて、新しい世界。
レティアを買った何者かが、何を要求するのか。
どれほど考えても、どんな苦難が待ち受けているのか、想像もできない。
レティアはぐっと唾を呑み、窓の外の、砂漠を覗くのだった。




