強欲
見世物小屋を出て、十日。
レティアを乗せた馬車は、未だ旅の途中。
「不便なことはありませんか? レティア様」
褐色肌の男が、馬車の外から声をかけてくれた。
レティアは首を横に振って答える。
「……何の不足もないです、グイラム様」
「それは良かった」
グイラムと呼ばれた褐色肌の男が、レティアに笑顔を見せた。
そうして、傍に控えていた男に声をかける。
レティアのための料理を馬車へ運ぶよう、短く指示をした。
すでに夕暮れ。
旅の一行は野宿の準備をしている。
野宿の間は、レティアの傍にはずっとグイラムがいた。
細かいところまでレティアを気遣い、こうして優しくしてくれる。
しかしレティアは、グイラムの優しさにどう応えればいいか分からなかった。
グイラムに対してだけではない。
レティアの馬車の御者にも、護衛の兵士たちに対しても同様であった。
「……グイラム様、その……砂漠というのは、どういったところですか」
料理を待つ中、レティアはぽつりとこぼした。
見世物小屋と牢屋以外の世界を知らないからである。
「四方すべて、砂と岩だけの地域です。レティア様」
「……砂と、岩」
「その只中にオアシス……いえ、非常に大きな水たまりがあります。その水たまりを囲うように、私たちの都があるのです」
「……水たまり、ですか」
「ええ。とても綺麗な水たまりです。きっと気に入っていただけます」
グイラムが微笑む。
その笑顔を見て、綺麗だなとレティアは思った。
見世物小屋で見てきた笑顔とは、少し違う。
どことなく、ほっとする。
心が微かに緩んだところへ、レティアのための料理が届いた。
パンと、具の多いスープ。そして果物。
凍りついたレティアの馬車の中へ運ばれる。
レティアはそれらを早々に平らげた。
味わう暇はほとんどない。
時間が経つとすぐに、すべて凍ってしまうからだ。
「……ありがとうございます」
早々に食事を終え、レティアは礼を伝える。
グイラムと、料理を運んできた男が少し寂しそうな顔をした。
「都に着いたら、凍らない料理をご用意します。レティア様」
そう言ったグイラムが、ナプキンでレティアの口を拭う。
レティアは頬を赤らめ、小声で礼を言った。
やがて夜が更け、静寂が野に降りる。
焚火の音が、人の息遣いよりもよくひびきはじめる。
レティアは馬車の中で、火の心地よい音を聞いていた。
小さく爆ぜる音が届くたび、心の内のよどみが消えていく。
よどみが消えるたび、ふわりとした空気が身を包み、眠気を呼ぶ。
(……あ、れ?)
微睡みに落ちる直前。
レティアは首を傾げ、目を開いた。
焚火の音よりも、はるか遠く。
別の気配が揺れた気がした。
その気配は、懐かしい。
見世物小屋に満ちていた、強欲の臭いを孕んでいた。
(……い、や)
レティアは身を震わせ、馬車の外を覗く。
すると、レティアの馬車の傍で休んでいたグイラムがレティアに気付いた。
「どうかしましたか?」
「……あ、の……え、その」
「レティア様?」
「……あ、そこ……に」
怪訝な表情を見せるグイラムに、レティアは怯える。
しかしぐっと堪えた。
唇を強く結び、強欲の気配がする方向を指差す。
瞬間。鋭い金属音が複数鳴った。
焚火の向こう側。十数の人影。
人影の手には、殺気に満ちた刃が火の光を受けている。
「襲撃だ!」
グイラムが叫んだ。
同時に抜剣し、レティアを守るようにして剣を構える。
レティアは恐怖のあまり、その場で硬直した。
身を隠すこともできす、馬車の窓から顔を出したまま、固まった。
グイラムが「頭を下げてください」と言いつづけていた。
それでもレティアは動けなかった。
「慌てるな! 数は多いが、ただの盗賊だ!」
グイラムの声に、護衛の兵士たちが落ち着きを取り戻す。
徐々に近づいてくる盗賊たち。
すでに顔が見える距離まで迫っていた。
そのうちのひとり。見覚えのある顔。
「……あ、ああ」
レティアは震え、馬車の窓から一歩離れた。
あの顔は間違いない。
見世物小屋の、使用人だ。
「金だけ受け取って、レティア様を奪い返しにきたのか!?」
使用人に気付いたグイラムが睨む。
すると使用人が歪んだ笑みを見せた。
「俺あ、ご主人みたいに割り切っちゃいねえ」
「なに?」
「ご主人が手放したんなら、俺がレティアを貰うってことだ!」
「物ではないぞ、レティア様は」
「物だろうが! 少なくともそいつは人間じゃねえ!」
「……下衆が」
グイラムが声を吐き捨てる。
剣を握り締め、切っ先を使用人に向けた。
それを合図に、護衛の兵士たちが盗賊たちに斬りかかった。
負けじと盗賊たちも剣を振る。
激しい戦いは、長くつづかなかった。
盗賊が徐々に押され、ひとり、ふたりと倒れていく。
「……っく、クソが!」
苛立った使用人が、剣を大きく振った。
相対していたグイラムと兵士たちが、使用人からわずかに距離を取る。
瞬間。使用人が駆けた。
駆ける先に、馬車。
馬車の中には、震えて固まっていたレティアの姿。
「しまった!」
焦ったグイラムが使用人を追う。
しかし寸でで間に合わなかった。
使用人が馬車の扉を開け放つ。
あまりに出来事に、馬車の中のレティアは思考が停止した。
ただただ怖いと。半歩下がる。
「俺と行くんだ、レティア」
「……あ、い、いや」
「来い!!」
使用人が怒鳴り、剣をレティアに向けた。
直後。光が舞った。
震えるレティアから、光を受けた呪いの氷が噴きだす。
「な、あ!? なな、が、ああ!?」
使用人が潰れるような悲鳴をあげた。
自らの剣と、腕を見て、叫ぶ。
レティアから噴き出した氷が、使用人の剣と腕を凍らせていた。
「な、がっ、うっ、く、クソ!! レティア!!」
使用人がその場で暴れだす。
しかしすぐに、ほとんど動かなくなった。
腕だけでなく、両足も凍りついたのだ。
「レ、ティア……! てめえ!!」
使用人がレティアを睨む。
その間も、徐々に身体が凍っていく。
「……レティア! 逃げられねえ、ぞ!」
「……っ」
「どこへ行っても、変わら、ねえ! ッハハ! 俺たちに飼われてりゃ良かったって、いつか! 喚く、だろうぜ!! クッハハハッ!! ハハ……ハ……ハ……」
凍りゆく使用人の笑い声が、消えていく。
顔が凍りつき、瞬きひとつ出来なくなる。
やがて全身が凍り、使用人は氷の彫像と化した。
彫像を前にして、レティアはただただ呆然としていた。
「ご無事ですか、レティア様!」
駆けつけたグイラムが、氷の彫像を押しのけた。
すると使用人だった氷の彫像が砕け、霧散した。
消えた使用人の代わりに現れた、グイラム。
レティアの肩を抱き、無事かどうかを確かめた。
その手の感触に、レティアはほっとする。
同時に、全身から力が抜け、崩れ落ちた。
グイラムの腕が、力強くレティアの身体を支える。
その腕の感触にも、レティアは安堵した。
呪いの冷気がグイラムの身体を侵していると分かっていても、その安堵の下、レティアの意識は溶け消えるのだった。




