手を掴む者
レティアは生まれつき、「水氷の呪い」を受けていた。
その時代、呪いを制する術はなかった。
レティアは生まれて間もなく、周囲を氷の世界に変え、彼女を生んだ母を殺した。
レティアの父は、妻を殺したレティアを憎んだ。
憎しみのままに見世物小屋へ行き、赤子のレティアを安値で売り飛ばした。
ところが見世物小屋の主人は、レティアをとても気に入った。
奇妙な化け物として売り出せば、多くの客を呼べると考えたのである。
「いいんですかい、ご主人。あんな妙な赤ん坊を買っちまって」
見世物小屋で働く一人が言った。
彼の手はすっかり冷え切っていた。
先ほどまで、赤子のレティアを抱えていたからである。
しかし見世物小屋の主人は、にかりと笑ってみせた。
「客を呼べずとも、役に立つ」
「……へえ、あんなガキが?」
「あれはただの赤子じゃない。見世物にならなくても、珍品として買値より高く売れるだろうよ。要は使いようだ」
そう答えた見世物小屋の主人は、レティアのために特製の牢屋を作った。
さらには、複数の乳母を雇い、赤子のレティアを世話した。
主人の目論見通り、レティアは見世物小屋に多くの客を呼んだ。
常に氷を生みだす、奇妙な赤子。
ただ育てて、時々披露するだけで小金を生む存在。
見世物小屋の欲の下、レティアは育っていった。
そうして幾年月。
レティアは特製の牢屋の中で、十二歳となった。
牢屋の外に出るのは、仕事のときだけ。
大群衆の、奇異な目を向けられるときだけであった。
(……あの人と、あの人、今日も……いる)
レティアは無感情に、視線を左右へ泳がせた。
目の前には、多くの人々。
皆、レティアが生み出す氷の世界を見物に来ている。
あまりの珍しさに、毎日のように来る客もいる。
(……これなら、今日は怒られないかも)
集まっている客を見て、レティアは内心ほっとした。
客が少なければ、見世物小屋の使用人に怒られてしまうからである。
怒られるだけなら、まだいい。
ひどいときは夕食すら食べさせてもらえない。
食を奪われるのは、レティアにとって重大なことであった。
物心ついた時から、見世物として生きる日々。
レティアの世界は、見世物小屋と、牢屋だけなのだ。
そのため、与えられる食事の量はレティアの人生の大部分を占めている。
「レティア」
仕事を終え、牢屋に移されたあと。
夕食を待つレティアに、牢屋の外から声が届いた。
「……はい、ここにいます」
空腹のレティアは力なく答える。
すると、レティアを閉じ込める牢屋の扉が開いた。
牢屋の中へ入ってたのは、見世物小屋の主人であった。
疲れた表情のレティアを見て、ほんの少し目を細める。
しかし機嫌を悪くすることはなく、レティアに少し寄り、その顔を覗き込んだ。
「レティア。お前に良い話がある」
見世物小屋の主人の、笑うようで笑っていな顔。
その顔が、レティアは恐ろしかった。
良い人でも、悪い人でもない。
なにを考えているのか、想像ができない。
少なくとも、見世物小屋の主人はレティアを人間と思ってはいない。
それだけは、幼いレティアでも理解できた。
だからレティアは逆らわない。
逆らわなければ、少なくともこの男の下で生きていける。
「聞いているのか、レティア」
「……はい、ご主人様」
「よし、レティア。実はな。お前を引き取りたいという客がいる」
「……私を」
「そうだ。そしてワシは、それを受けた」
そう言った見世物小屋の主人が、牢屋の外に向かって合図をした。
すると牢屋の外で、幾人かの足音が鳴った。
足音を背に、見世物小屋の主人が半歩、レティアへ寄る。
「ワシはお前を気に入っているが、仕方がない。ワシとお前の力では一生稼げないほどの金を、その客が積んだのだ」
「……いつ、その方の下へ、行けばいいですか」
「今すぐだ。レティア」
見世物小屋の主人が、ほんの少し笑った。
しかしやはり、心の底では笑っていないようだとレティアは思った。
その微笑の背後に、一人の男が立っていた。
先ほどの足音のひとつ。見世物小屋の使用人と共に入ってきた男であった。
逆光を受けているためか。
牢屋の中へ入ってきた男は、この世のものではないように見えた。
褐色の肌で、端正な顔立ち。
纏っている服も美しい。
生きている世界が違う人間だと、はっきり分かる。
「君が、レティアだね」
褐色肌の男が歩み寄ってきた。
冷気に支配された牢屋を切り裂くように、迷いなく迫ってくる。
ついには見世物小屋の主人よりも近く、レティアへ寄った。
妙な威圧感を覚え、レティアは無言で頷き、俯いた。
(……この人が、私を買ったの? ……どうして?)
レティアは怯えた。
褐色肌の男に対してだけではない。
男と共に入ってきた使用人の表情を見て、レティアの肩が震える。
買われて、この牢屋から出たらどうなるのか?
別の場所の牢屋に閉じ込められるのだろうか?
これまでと同じように、生きられるだろうか?
もしかしたら、これまでより悪くなってしまうのではないか?
レティアをじっと睨んでいる、使用人の眼。
暗い過去と、重い未来を抱かせる。
「レティア」
褐色肌の男が、レティアの名を呼び、傍へ寄った。
そっと腰を下ろし、切れ長の目を近付けてくる。
まるで全身を掴まれたようだと、レティアは思った。
同時に、レティアを睨む使用人の姿が見えなくなり、少しほっとする。
「……それでは、ご主人。彼女を連れて行きます。宜しいですね?」
褐色肌の男が、レティアの手枷に触れつつ言った。
男の凛とした声に、見世物小屋の主人が間を置いて頷く。
「ええ。もちろんですとも」
主人の言葉を聞くや、褐色肌の男がレティアを抱き上げた。
何の躊躇もなく抱き上げられたので、レティアは思わず慌てた。
今もなお、レティアからは冷気が放たれつづけているからだ。
その呪いの冷気が、みるみるうちに褐色肌の男の衣服を凍らせていく。
しかし、褐色肌の男が冷気に怯むことはなかった。
レティアを抱えたまま悠々と歩き、牢屋を出て行く。
牢屋の扉をくぐる直前、見世物小屋の使用人と目が合った。
使用人は少し、苛立った表情を見せていた。
牢屋の外には、馬車が三台停まっていた。
そのうちのひとつの馬車に、レティアは連れて行かれた。
「こちらでお待ちを」
褐色肌の男がレティアを馬車に乗せた。
すると一瞬で、馬車の中が冷気で満ちた。
徐々に生みだされていく氷が、座席も窓も凍りつかせる。
氷を生みだしたレティアを見て、男の表情が微かに変わった。
しかし何故か、不快な表情ではなかった。
どことなく、喜びを含めた驚きを湛えている。
「長い旅になります、レティア“様”」
褐色肌の男が恭しく頭を垂れた。
そうして、レティアの手枷を解く。
ゴトリと。
重かった枷がレティアの足元へ落ちた。
レティアは落ちた枷と、軽くなった自らの細腕を見る。
間を置いて、馬車の外へ目を向けた。
レティアを育てた牢屋と、見世物小屋。
そして、見世物小屋の主人がレティアを見ていた。
主人は惜しげもなく、レティアを見送っていた。
主人の傍にいる使用人、レティアを散々に扱ってきた男だけが、恨めしそうにレティアを見ていた。
「レティア様」
外を見るレティアに、褐色肌の男が声をかけてきた。
「私は後ろの馬車に乗ります。なにかあれば、御者にお声掛けください」
「……はい」
「レティア様。 不安でしょうが、なにひとつ心配することはありません。それでは参りましょう 」
再び、褐色肌の男が頭を垂れた。
男の姿を見て、レティアは動揺した。
しかしこの動揺をどのように表せばいいのか。
ずっと牢屋の中で生きてきたレティアには、なにも分からないし、返事もできなかった。
やがて馬車が走りはじめる。
旅の目的地は、はるか南。
ゼセド地方の砂漠だという。
褐色肌の男が言った通り、長い旅となった。
しかし決して退屈ではない。
小さな世界で生きてきたレティアにとって、驚きに満ちた旅となった。
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