竜殺しのヴォルス
「────…エメラルデラ」
飲み込み難いものを腹にしまい込む。
そんな間の後で、ヴォルスの声が名前をなぞった。
噛み締めるように一度伏せられた青鈍色の眸が、今度はオラトリオに定められる。
「番いの名前は?」
「オラトリオ」
オラトリオが応えると、ヴォルスの双眸が眦に深い皺を刻むように笑った。
「なあ、二人とも帝国に来る気はねぇか?ちっと血の気が多いがよ、うちの若は悪かねぇと思うぜ」
何の前触れもない、唐突な申し出だった。
面食らったエメラルデラを覗き込むように、壮年といった外見の男は半身を軽く傾ける。
男の背負った大振りな剣が鈍い音を立てた。
最初の気迫とは違う圧迫感に、思わずエメラルデラが背中を反らせると ぬっ、と背後から腕が伸びてきた。
「断る」
腕はそのまま、ぐい、エメラルデラを引っ張る。
エメラルデラが腕の主を見上げると、オラトリオの端正な顔が、警戒心を隠さず歪んでいた。
「そう言わずに、な?俺が後ろ盾になるからよ。若もお前らのことは、気に入るきがすんだよな」
屈めた身体をそのままに、オラトリオの視線を下から受け止めるヴォルスが、子供をあやす優しさで誘い掛ける。
逆効果だと言わんばかりに、余計にオラトリオの腕に力が込められていく。
エメラルデラは自分を抱く腕に手を添えると、優しく袖を指で掻いた。
「私もまだ、どちらに行くか決める気はない」
エメラルデラはオラトリオと気持ちは同じだと、口にする。
一瞬、視線が交わる。どちらも引くつもりがないことが、互いの眼差しの強さから知れた。
沈黙の後、ヴォルスは屈めていた上半身を ぐっ、と持ち上げ。自分の黒髪をグシャグシャと掻き回しながら空を見上げた。
「はあ…やっぱいきなりは駄目か。こりゃ長期戦だな」
ヴォルスの分厚く広い双肩が、深い溜息と共に下がる。
「メルティは嬉しいですよぅ、ひさびさのお休みですぅ」
その傍らで艶々のピンクブロンドの髪を弾ませながら、少女が無邪気な笑顔の花を咲かせいた。
そこに ぽつり、と波紋が広がるように、声が落ちる。
「ヴォルス…、…まさか、本当に貴方だったとは」
エメラルデラが視線を向けた。
そこには、零れ落ちそうに見開かれたシエスの紅い瞳が揺れていた。
呼ばれたヴォルスは、シエスと対照的に力強く笑っていた。
「おう、シエスの坊じゃねぇか。久し振りだな」
「ええ、随分になりますね…」
一瞬だけ縫い付けられたように歩みを止めていたシエスが、ヘルメティアとピカイアを伴ってエメラルデラの傍らへと歩を進める。
皇族らしく真っ直ぐに伸びるシエスの背筋が、いつもより緊張を宿していた。
エメラルデラは傍らに視線を走らせた。
「どういう人物だ」
「齢300才…竜殺しのヴォルスという二つ名がついている男です。本人は引退気取りですが、近衛第一騎士団首席で…現役ですよ」
「はっ…他人がつけた肩書きなんざ、窮屈で仕方ねぇ。さっさと引退してぇぜ、まったく…」
三世紀を生き抜いた帝国の竜騎は、さも面倒くさそうに鼻で笑って、二つ名に砂を掛けた。
「早く帰ってきてよ、うちの若に俺の引退認めるように言ってくれよ」
ヴォルスが軽く投げた言葉は、ずっしりと重く、シエスにのし掛かってくる。シエスは皇族を示す血の色の眸を、わざとらしい笑顔に歪ませた。
「のこのこ戻って処分されるのは、御免被りますよ」
「…ああ、そのことは気にしなくて良い。って若から言伝預かってきたぜ」
予想外の言葉に、シエスが瞠目した。
メルティスは背負っていた荷物袋からスクロールを取り出すと、ヴォルスに手渡す。
「ほら、これが正式な書状だ」
玩具でも投げ渡すような粗雑さで投げられたそれは、シエスの胸に当たって手の中に落ちた。
赤い封蝋には、翼を持つ双頭の蛇が神樹に絡み付く意匠が捺されている。
それはティータの家紋でもあり、同時に現皇帝の紋章でもあった。
全員が見守る中、シエスはゆっくりと封を開き───
「…、…これは」
絶句した。
瓜実顔の白い肌が、紙のように色を失っていく。
「なんて書いてあったの、シエス」
ヘルメティアはスクロールを開いた番いの手を、繊手でそっと握った。
途端に忘れていた呼吸を取り戻したシエスが、冷めきった眼差しで文字を追い、声にしていく。
「バージェス・ティータ・チェンチアン皇帝の命により、新たな竜と竜騎の確認、及び友好関係を結び我が国へ誘致するための特使に任命する。任期は…、…新たな竜騎の意志決定まで」
「弟思いな若だが…、…坊は気に食わねぇか」
太い眉を歪めて、ヴォルスは苦く笑った。




