帝国の使者
外套から真っ直ぐに伸びる腕、射抜くように立てられた人差し指の先で、金色の輝きが弾ける。
─────ッ
鼓膜を鋭い音が貫いた。同時に
どさり
と、獣が一匹倒れ伏す。
溶けた新雪は、閃光が疾った痕を示していた。その上をエメラルデラは踏み締めていく。
大型のスースの眉間の毛が焼け焦げ、鼻に付く獣臭が漂っていた。
鹿皮のフードの奥で、紫の瞳が清く澄んだ冬の空気を映すように、透き通って見える。
細く、靭やかな身体が屈み込むと、顎先に掛かる程に伸びた髪が額から零れ落ちた。
「悪くない大きさだな…」
スースを肩に掛けるように担ぎ上げると、左右から垂れ下がる獣の脚を両手に掴む。
反動をつけて立ち上がってから、エメラルデラは曇天の空を見上げた。
白く濁り、鈍重に折り重なる雲からは、今にも雪が千切れ落ちてきそうだった。
天気が崩れる前に戻ろうと、誰もいない空へと視線を投げる。
『オラトリオ、そろそろ帰ろう』
呼吸をするような自然さで、頭の中に浮かんだ番いの姿へ語り掛けた。
『分かった』
すぐに応じる柔らかい声が、頭の内側から鼓膜を通さずに頭蓋の中で、反響する。
音を伴わない声。
権能を使ってのやり取りは、未だに不思議な感覚を覚える。
「まあ、便利ではあるんだが…」
ひとりごちりながら、靴底で雪を踏み固めエメラルデラは歩き出す。
その頭上で、翼が翻る音が大きく響く。巻き起こる風が常葉樹の枝葉に積もる雪を散らした。
まだ冬の入り口に差し掛かったばかりだというのに、舞い上がる雪の軽さが冷え込みの程を、物語っている。
ひらひらと踊る粉雪よりも静かに降り立ったオラトリオは、エメラルデラの肩に乗せられた獣を眺めた。
「良い獲物だな。これで冬越しは大丈夫そうか?」
穏やかに細められる瞳が、エメラルデラを見下ろす。
「ああ、聖地は温かいから…身体が冷えない分、足りると思う」
オラトリオの手にも、数匹の山鳥が吊るされている。大物なのはエメラルデラの方であるが、鳥を正確無比に打ち落とす器用さは、オラトリオに軍配が上がっていた。
「オラトリオは相変わらず、精度が高いな。私も同じように出来たら良いんだが…」
「守りたい相手に追い付かれないように、俺も必死なんだがな?」
向上心と探求心が形を得て、息をしているような番いに、オラトリオは形の良い眉尻を下げて苦く笑って見せる。
鍛練を兼ねた狩猟を終え、歩く二人の視界に、神樹の広大な枝葉の下に広がる草原が見えてきた。
常春の大地には若草が広がり、雪の一片も見当たらない。一歩、葉の落とす影の内側に踏み込むと、今までの寒気が嘘のように、温暖な風が頬をなぞった。
「温かいのは良いんだが…早く解体しないとな」
エメラルデラは一度肩からスースを下ろすと、外套の紐を解いて、肩から滑り落とす。
「シエス達も呼ぶか?」
エメラルデラに倣って獲物を下ろしていくオラトリオの問いに頷いて、口を開き────
「…新しい竜騎ってのは、お前か?」
零れ掛けた声が、別の言葉で塗り潰された。
「っ…、…」
オラトリオとエメラルデラが、弾かれるように振り返った。
最初に肌に覚えたのは、威圧感だ。
質量さえ感じる存在の大きさが、項の後ろをチリチリと焦げ付かせるような警戒心を掻き立てる。
エメラルデラの切れ上がった紫色の双眸が、引き絞られていった。
「お前は…誰だ」
エメラルデラの誰何の声に、沈黙が落ちる。
研がれた刃に似て、荒々しい男の双眸が、驚きに見開かれたままエメラルデラの顔を鏡のように映していた。
「ヴォルス…聞かれてますよぅ」
ヴォルス、と呼ばれた男の擦り切れた外套を後ろから引っ張るのは、小さな白い手だった。
潤んだような大きな瞳は淡い薔薇色、ストロベリーブロンドの髪は左右で結われて肩の上でくるりと巻かれている。
ふっくらとした頬に、綿菓子のような声は幼さがまだ残っているようだった。
「あぁ、悪ぃな」
男の唇から、深い吐息のような声が漏れる。
撫で付けられた前髪から、髪が短く刈り込まれた項まで撫で付けるようにして整えると、鼻梁の太い男臭い顔が笑って見せた。
「俺はチェンチアン帝国の竜騎、ヴォルス・ドラクマ・チェンチアンだ。こっちは俺の番いのメルティスな」
ヴォルスは苺色に染められた毛皮のケープに包まれている少女を見下ろす。
一方踏み出した少女は、両手でスカートの両端を摘まむと、可愛らしく小首を傾げてにっこりと笑って見せた。
「メルティって呼んでくださいねぇ」
竜と言われなければ、どこかの貴族か裕福な商家の娘にしか見えないメルティスを、エメラルデラは静かに見下ろした。
「ああ…分かった」
淡々と応じる言葉に反して、頭の内で番いに語り掛ける声は、緊張に強張っていた。
『オラトリオ、シエスに情報を伝えてくれ』
権能の行使と同時に耳を使い、言葉を理解し、口を動かすのは、思った以上に負担が大きい。
信頼できるオラトリオに任せることができれば、エメラルドは落ち着いて目の前の相手に集中できる。
『承知した』
頭に声が流れ込んでくると同時に、オラトリオの手がエメラルデラの肩に触れた。その体温が、信頼と共に安心感を与えてくれる。
「なあ、そっちの名前も聞かせてくれよ」
お陰で、ヴォルスの存在の重さに押し潰されることなく、エメラルデラは真っ直ぐ向き合い。
唇を開く。
「…私の名は、エメラルデラだ」




