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迅雷と氷槍(2022/01/20一部加筆)

ドゴッッッ─────ッ


遅れて響く、鈍い音が地面どころか空気をも揺るがす。

反射的に翳した手の合間から、飛んできた物へと視線を向けた。

土を抉りながらようやく勢いを止めた塊が、髪を振り乱しながら起き上がる。


「…、…っくそっ!!」


落ちてきた者…オラトリオは、擦れた頬についた土を嫌がって乱暴に頬を拭い、形の良い唇を悪態に歪ませる。

白い長衣についた血と土を気に止める余裕もないまま、ギリギリと引き絞られた眸が鋭く前へと向けられた。

その視線の先を追おうとすると、新緑の色をした突風がシエスとエメラルデラの間を走り抜けていった。


「ごめんなさい、オラトリオ様!!お怪我はございませんか?」


「問題ない…っ」


歯牙をぎちり、と噛み合わされる軋んだ音がオラトリオの頭蓋骨の奥で響く。荒げそうになる声を抑え込みながら、真っ直ぐに空を睨み据えた。


「シエス、エメラルデラ、大丈夫?ごめんなさいね。思ったより景気よく吹っ飛んじゃったのよ」


天上から注ぐように、鈴を思わせる声が落ちてくる。黒いローブが背に携えた翼の羽ばたきによって風を孕み、ゆったりと靡く。

長い睫毛に縁取られた菫色の瞳が柔らかく細められると、艶やかな薄紅色の唇が綻んだ。


─────女神の微笑み


だと思うだろう。ヘルメティアを輝かせる光背が無数の氷槍(ひょうそう)でなければ。

凶悪なヘルメティアの姿に表情を引き攣らせるエメラルデラに反して、シエスの白皙の頬は興奮に火照っていた。


「ヘルメティアっっ…なんて美しい…!!今すぐ、私の腕に飛び込んできてください!さぁ!!今です!」


衝動に突き動かされ立ち上がると、調子っ外れに裏返った声を上げながら、シエスは蜘蛛のように長い腕を力一杯伸ばして訴え掛ける。


「黙って、シエス」


ヘルメティアは容赦のない声で、心臓が突き刺さした。


「はぁっ…、ご褒美ですぅ…」


熱した吐息を心臓の奥から吐き出し、胸を両手で押さえるシエスの発作に慣れきってしまったエメラルデラは、溜息と共に視線を他に移す。

その視界の中に、薄汚れたオラトリオの顔が見えた。


「エメラルデラ…!」


作り物めいたオラトリオの美貌を崩して、喜びが顔に溢れる。

そのままこちらに踏み出そうとした彼の足を、ヘルメティアの言葉が縫い付けた。


「まだよ、オラトリオ。ピカイア」


ヘルメティアの応えて、小さな両手が伸びるとオラトリオの白衣の胸を掴む。

 

「ごめんなさい!オラトリオ様!」

 

─────…ぐわんッ


と空気が震えた。ピカイアの小さな身体が腰から捻り上げられる。

同時にオラトリオの足が地面から浮き上がり、ピカイアの身体の倍以上ある長躯が振り回された。

詰襟が首に食い込み、一瞬で息が詰まる。


「ぐっ…っ」


解放と同時に、斜め上へと投げ捨てられるオラトリオの身体。乱れる髪の合間から見えたのは、迫ってくるはずの空ではない。

槍よりも研ぎ澄まされ、鞭よりも撓るヘルメティアの脚だった。


「くそっ…っ、たれ!!!」


獣のように歪む唇から、剥き出される牙が咆哮を上げる。

オラトリオは迫る脚の一撃を、右腕を身体の側面に引き寄せて受け止めた。


─────ぎぢぎぢぎぢっ


肉がぶつかり合ったとは思えぬ、錆びた金属が擦れ合うに似た音が鼓膜を削った。

砕けて捲れる鱗が、双方の肌から剥がれ落ちて散っていく。

勢いに負けて、弾き飛ばされ錐揉みで失墜しそうになるオラトリオの背から、翼が打ち広げられ。風を掴む。

その刹那。


「お姉ちゃんに向かって、なんてこと言うの!!」


全ての氷槍の切先がオラトリオに定められ。

放たれた。

空を薙ぐ音は、肌を凍らせるような鋭さだ。


「だまれっ!殺す気か!!!」


─────ガチッ


オラトリオの歯牙が打ち合わされる。


バチンッッ


牙の合間に閃光は輝くと同時に、迅雷が(はし)る。

無数に枝分かれする閃光は、氷槍を迎え撃ち亀裂を走らて、砕き。蒸発させた。

砕けき切れずに飛来する氷槍の胴腹を、鈍金(どんきん)の鱗に覆われた腕が薙ぎ落とす。

半ばから割れた氷槍の愚鈍な切先は、エメラルデラ達の座る大地へと降り注いだ。

迫る氷の雨を前にして、朗らかな笑い声が、場違い空気を震わせ。


「ははは、まったく二人とも元気ですねぇ」


─────バキバキバキバキバキッッ


歪な音が響き渡った。

シエスの身体を中心にして、一気に広がる半円の氷壁に触れた瞬間、接触した物は氷壁の一部として飲み込まれるように、凍りつく。


「ねえ、そう思うでしょ?」


シエスの皮膚の下を這い回る無数の毛細血管から、紅血の代わりに蒼白の氷が皮膚を破るようにして、溢れていた。

彼の吐き出す声が、吐息ごと凍っていくようだ。

エメラルデラを振り返って笑う紅い双眸さえも、罅が歪に走る薄氷に覆われていた。


「もう少し大人しくしてくれないと、私は死にそうだけどな」


ここ数日で見慣れたシエスの姿に、結跏趺し坐したエメラルデラは半ば呆れたように笑った。

腿を土台に頬杖をつきながら、視線を空へと向ける。

同時に、オラトリオの背に玩具みたいな小さな拳が食い込む、重い音がした。

遅れて、背骨が軋む。


「はっ…がっ、 ッっ─────っ」


氷槍を全て叩き伏せたオラトリオの口から、唾液と血が、呻きと共に吐き出された。


「オラトリオ様、一点に集中しすぎです。全体に意識を向けて下さい」


背後から聞こえるピカイアの声に、オラトリオは意識を向ける暇も無く、後頭部に新な衝撃が打ち下ろされる。

それが、ヘルメティアの足が繰り出す蹴りだと気付く前に


地面が

目の前に

迫る


鈍い衝撃と共に、オラトリオの脳味噌が揺れた。


「はっ…ぁ゛っ…っ」


ぶれる視界の中、閉じることの出来ない唇から赤黒い血と、唾液が糸を引いて滴り落ちる。

うつ伏せに地面に転がった身体を起こそうとすると、後頭部に圧が掛かって、地面に縫い付けられる。

顔を地面に擦り付けて、どうにか顔を横向けたオラトリオは上へと視線を向ける。

そこには、自分の頭を踏みつける革靴から伸びる、七宝のような鱗に覆われた脚と、その先に艶然と微笑むヘルメティアの菫色の瞳があった。


「動きは良くなったけど…オラトリオにはまだ、お姉様の靴底の下が似合うみたい」


可笑しそうに笑う声。

血が沸騰するのを覚えると、オラトリオの手がヘルメティアの脚を振り払い、勢い良く立ち上がった。

舌に纏わりつく血を吐き捨てる。


「…っ、…もう一回だっ…」


翼で地面を叩き、風を掴んで飛翔する。一瞬、下を振り返ったオラトリオが、エメラルデラの姿を捉えた。

闘争の熱に浮かされた双眸に、柔かな色を滲む。


「エメラルデラ、行ってくる」


告げた声を掻き消すように、ヘルメティアとピカイアがオラトリオに躍り掛かった。


「いきますよ、オラトリオ様!!」


ピカイアの柔かな声が、ぴんっと張り詰めると同時に、鈍い打撃音が響き渡った。


「…、…場所を変えよう、シエス。私も彼に応えなければ」


再び苛烈な戦場、否、鍛練の場と化す前に、エメラルデラは立ち上がって踵を返す。

シエスも遅れて身体を翻すと、肌から氷が剥がれ落ち、二人を守っていた薄氷が音もなく溶け去っていった。


「真面目ですねぇ。エメラルデラさんのそういうところ、好きですよ」


「…言ってろ」


軽口に眉を聳やかせて応えると、エメラルデラはその場を後にした。


重ねられる日々は、エメラルデラとオラトリオを確かに成長させていく。

このまま緩やかに深まっていくに思えた時間は、予期せぬ訪問者の訪れと共に、一気に加速していくことになるのだった─────

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