戦争と権能 (2023/06/08改編)
エメラルデラの謝罪を受け入れてオダライアが立ち上がったのは、オラトリオ達がいなくなってしばらくして経ってからだった。
不在にしていたエメラルデラより一日の長があるオダライアは、聖地の外へと歩き出す。
聖地を取り囲むように巡る街道と聖地との間には、緩やかな丘陵と森が広がっている。
オダライアを先頭に陽射しが降り注ぐ木々の合間を進むと、不意に青く澄んだ湖が目の前に広がった。
「ここか…綺麗な場所だな。案内してくれてありがとう、オダライア」
優しくオダライアの項を撫でてから、エメラルデラは湖に触れてみる。
途端、心地よい温かさが肌に伝わってくる。
エメラルデラは驚いて思わず手を引っ込めてから、もう一度恐る恐る湖に触れた。
珍しい天然の温泉湖は、エメラルデラにとって初めて味わうものだった。
普段なら昼の最中に裸を見せるエメラルデラではなかったが、この温かさと心地好い誘惑は抗いがたい。
エメラルデラは手早く服を脱ぐと、湖の中に身体を沈める。
身体を温めながら持ってきた手拭いに、サイカチの豆果を揉み込んで身体を洗う。
独特の甘酸っぱい香りが立ち上ぼると、身体が清められる心地好さにエメラルデラの表情は和らいだ。
エメラルデラの横ではオダライアが翼に空気を含ませて、ぷかりと湖面に浮かびながら湯浴みを楽しんでいた。
「そろそろ行こうか。長居するのも良くない」
オダライアにというよりは、自分自身に言い聞かせるように呟くと、エメラルデラは湖から上がる。
一緒に上がったオダライアが、犬のように身体をブルブル震わせた。
湯が、大粒の雫となって跳ねる。
「わっ、ちょっとオダライア!」
雫の襲撃に合ったエメラルデラは、言葉とは裏腹に楽しげに笑うと、オダライアを抱き締めて取り押さえた。
ひとしきり笑って身綺麗にしたエメラルデラとオダライアが聖地に引き返す頃には、陽射しはすっかり夕方の赤さになっていた。
神樹の枝葉の屋根の下、夕餉の匂いがどこからか香ってくる。
誘われるように歩いていくと、笑顔の花を咲かせるヘルメティアの顔があった。
「お帰り、ご飯できてるわよ!」
「ありがとう、ヘルメティア。手伝うよ」
エメラルデラとシエスが手際よく器を手渡し準備している間に、ピカイアとオラトリオがやってくる。
痣が消え失せ、神々しいばかりの美貌を取り戻していたオラトリに、エメラルデラは安堵の吐息がふと漏れる。
「傷、良くなったんだな」
「ああ、泉のお陰でこの通りだ」
オラトリオはエメラルデラから器を受け取ると、当然のように傍らに腰を下ろした。
その反対側にオダライアが陣取り、エメラルデラはいつも通りオダライアの柔らかな黒い毛並みを背凭れに、座り込む。
全員が揃うと同時に、各々の祈りを終えてから食事が始まる。今日の夕食の内容はソルラムという酸っぱい真っ赤な野菜に香草、山鳥の肉を煮込んだスープ。そして果物だ。
温かいスープと果物が、長旅で疲れた身体を安らがせてくれる。
のんびりと食べ始めながら、エメラルデラは昼間からずっと抱えていた疑問を口にした。
「権能…とは、実際どんなものなんだ?」
匙からスープを分けて貰っていたピカイアが顔を上げて、並んで座るエメラルデラとオラトリオを見上げた。
「竜がそれぞれに持つ固有の能力です。オラトリオ様にももちろん備わっているはずですよ」
説明を聞きながら、ちらり、エメラルデラは視線を向けてオラトリオの黄金の瞳を盗み見た。
鋭く大地を穿つ雷鳴と、閃光を思わせる細い瞳孔が傍らからの視線に気付くと、甘く微笑んで応える。
即座に獣の意識を奪うような、そんな力があるなど信じられない柔和さだ。
「オラトリオだと…、…雷電か?」
エメラルデラの脳裏に、迅雷の閃光が過る。
「それも権能の一つですが、お力の一欠片にしか過ぎません。竜にもよりますが、基本的には戦局に影響を与えるような能力があるはずです」
ピカイアは話ながら赤い果実を取り上げると、小さな口に運び込む。
懸命に頬張る小さな口から、熟した甘さと一緒に果汁が溢れ出し、口許を汚していた。
その姿に目元を緩めると、エメラルデラはピカイアの唇を指で拭う。
唇を塞がれて喋れなくなったピカイアの代わりに、今度はシエスが口を開いた。
「例えば…皇帝の竜は炎を操りますが、鼓舞という権能を持っています。兄と番いが見渡せる範囲で…皇帝に剣を捧げた者の恐怖心を抑え、力と持久力を際限なく高める、などですね。戦争においてはこれ程有用な力もなかなかないでしょう」
事も無げに、お手軽な死兵の作り方を伝えてくるシエスの軽薄な言い種は、エメラルデラの背筋を寒くさせる。
嫌そうに顔を歪めるエメラルデラに、シエスは面白がって更に言葉を重ねてきた。
全くもって、性格の悪さが伺える。
「ちなみに神国の天子の権能は、持続的な回復になります。皇帝と効果を及ぼす範囲は同じですが、受けた傷を徐々に癒していくんですよ。あとは傷を過剰に回復させることで、病を誘発するらしいのですが…これは天子の竜から直接傷を受けた者のみでしたね」
「何というか、恐ろしいな…」
それ以上の感想も例えも捻り出せない程に、エメラルデラは恐怖を感じた。
帝国に剣を捧げる者達が死兵となって戦場を這い、無尽蔵な流血を許容する神徒は狂信的に神罰をくだす。
エメラルデラたち流民にとっては、どちらも不退転の災禍でしかなかった。
そんなエメラルデラとは対照的に、シエスは慣れきった軽やかさで笑っていた。
「本当に恐ろしいですよ。兄と天子が戦場に出てくると、泥試合になりますからね…非効率すぎるんですよ」
────非効率。
シエスの言葉が、戦争における真理の一つを物語っていた。
いかに効率よく相手の資源を削っていくか、それが争いにおいては重要なのだ。
そして、人的資源として消費されていく命の、恐ろしい程の軽さ。
一人一人は信念を持っている筈なのに、数字の上ではただ消費されるていくだけなのだ。
そう気付いてしまえば、ヘドロを喉に流し込まれるような不快感を、エメラルデラは感じた。
飲み下しきれない感情に、エメラルデラは初めて戦争そのものに嫌悪感を覚える。押し黙って匙に口をつけると、詰まった感情ごとスープを嚥下した。
「そういえば、オラトリオ様の権能はどのようなものですか?」
言葉を詰まらせたエメラルデラに取って変わって、ピカイアがオラトリオを見上げ、首を傾げる。
ピカイアの純粋な好奇心が、エメラルデラには天の助けのように思えてならなかった。




