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常識の範囲外②

「ちなみに、一通りっていうとどの程度かしら?」


「帝国公用語のファリスク語と神国公用語の神聖文字、共通言語のセラノ語の読み書きと、会話を。あと、歴史は一通り。商人とやり取り出来るように計算も……だな」


指折り数えるエメラルデラの姿に、感心を通り越して呆れたように開かれていくヘルメティアの口。同時にシエスの双眸は、驚きに見開かれていった。

二人の様子にやや戸惑ったようなに視線をさ迷わせるエメラルデラが、伺うように口を開いた。


「何か、問題があったか?」


『────いえ、帝国の中央貴族ぐらいの教育水準で学ばれてたようで、正直驚いてしまってですね』


シエスはエメラルデラの顔を見て、それからヘルメティアへと目配せすると、開いた唇から耳慣れない音が吐き出す。

今まで使っていた共通言語から、帝国公用語のやや硬く、男性的な言語に切り替えたのだ。

その音が何なのか考えるよりも早く、エメラルデラの耳と頭は言葉を理解した。


『そうか……何というか、知っていては問題があるのか?』


エメラルデラの唇から、シエスと同じ言語が淀みなく綴られた。

小さな頃から養父と遊びながら学んだ言語は、楽しかった記憶と結び付き、しっかりとエメラルデラの身体に息づいていたのだ。

シエスの意図を汲み取ったヘルメティアが、今度は皇室の式典で用いられる古めかしく格式張った言い回しで、エメラルデラに問い掛けた。


『エメラルデラ様のお父上は、どのような御方ですの?』


『拾って育ててくれた、以外のことは本人が話したがらないから…私も詳しくは知らないんだ』


今となっては皇室でしか用いられない男性語、女性語の区別がある古い言い回しを理解し、すんなりと砕けた言い方で返してくるエメラルデラの言葉は、まさに生きた言語といって差し支えない。

ヘルメティアとシエスが思わず二人で顔を見合わせると、その瞳には新たな驚きと疑いが宿っていた。


流民には到底望むべくもない知識を見せるエメラルデラに、シエスは初めて疑念が抱く。


エメラルデラに教育を施した親の正体…帝国出身か神国出身か、どちらにせよやっかいな人物である可能性が、高くなる。

そんな男に育てられたエメラルデラは何者なのか。

シエスは再び共通言語に切り替えると、思考を巡らせ続けた。


「訂正しましょう。エメラルデラさんの言語は、皇室の水準に届きそうです。貴方の育ての親には少し、注意が必要かもしれませんね」


シエスの双眸は徐々に鋭利な硬質さを帯びていき、極度に理性的な思考は、鋭刃(えいじん)に似た冷徹さを際立たせていく。

エメラルデラの瞳はシエスを正面から捉えると、彼の思考を読み取ろうと眇められていった。

一緒に旅をし、暮らしを共にするなかで、エメラルデラにもシエスという人物が多少なり、理解できるようになっていた。

彼の性質を端的に言い表すとすれば、二律背反が最もしっくりくる。

人間らしい深い愛情と、柔らかな心根。

同時に無機質な程に理性的で、酷薄な程に冷徹な思考が常に共に存在しているのだ。

人間性と非人間性を同時に成り立たせようとするシエスが突然に冷酷な判断を下す可能性を、エメラルデラは否定しきれないでいた。


「シエス……私の父に危害を加えるなら、君とて容赦しない」


強い弦につがえられた矢が放たれる寸前に似た、鋭い緊張感を孕むエメラルデラの声。

オラトリオとピカイアがエメラルデラを守るように、左右に立つ。

友人、と言っても差し支えないほどに親しくなったシエスであるが、互いの立場と優先順位はそれぞれ異なるのだ。

エメラルデラにとっては家族が、シエスにとってはヘルメティアと自分の安全が、何よりも優先される。

互いの領域を荒そうとすれば、対立することは避けられなかった。


一触即発の緊張感。


それが不意に、緩んだ。

シエスが眉尻を垂らして笑ってみせると、緊張に張り詰めていた空気が(しぼ)んでいく。


「エメラルデラのお父様は、ただの流民ではない、と思っただけです。何にもしませんよ。私はここから出るつもりもありませんし」


エメラルデラが共に過ごす中でシエスを知ったように、シエスもエメラルデラの性格をある程度、理解していた。

優しく、頑固で、誇り高い人物。

荒涼とした道をただ一人歩き続けていくような、孤独な高潔さがエメラルデラには宿っている。

そんなエメラルデラが、養父を守ろうと真剣な表情を見せてくるのだ。

シエスの中でエメラルデラを信じる気持ちが、疑いよりも(まさ)った。


緩んだ空気の中に、まだ少し緊張感が滞留していた。

ヘルメティアがぱん、と両手を打ち合わせると、緊張の名残は今度こそ綺麗に消し飛ばされた。


「とりあえず、エメラルデラに勉強が必要ないのことは分かったわ。言語を忘れないように、時々あたし達と共通語以外でも話しましょう」


「そうだな……よろしく頼む」


旅の時も、聖地に着いてからも、いつだって緩衝材となってくれるヘルメティアの明るさに、エメラルデラは力みが抜けていくのを感じた。


「では、勉強の代わりにエメラルデラさんは私と一緒に、権能の使い方を学んでいきましょうね」


「権能というと?」


シエスの提案に疑問が浮かぶ。エメラルデラがシエスから答えを得る前に、二人の間にヘルメティアが割って入ってきた。


「はいはい、質問はあと。まずは全員身支度を整えてきて!ピカイアはオラトリオについていってね。食事をしながら話しましょう」


「はい!承知しました。では行きましょう、オラトリオ様!しっかりお顔を治さないと、エメラルデラ様ががっかりしてしまいますよ」


「そうだな……」


やや離れ難そうにしていたオラトリオであったが、エメラルデラの名前を出されると、素直に頷いて歩き出した。

遠ざかっていくピカイアとオラトリオを見送ったエメラルデラは、拗ねてしまった弟…オダライアを説得に乗り出すことにした。

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