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旅の再開(2023/09/05 改編)

ほどなくして昨日家族が再会した森の中腹の開けた場所に到着し、そこから更に獣道を下っていくと麓近くに大きな草原が広がっている。

6年前の戦禍で焼き払われた森の跡地だ。僅かな雑草が疎らに芽吹くばかりの不毛の地であったが、お陰でオラトリオが気兼ねなく竜に変じられるだけの空間が確保できる。


「少し下がっていてくれ、皆」


エメラルデラは声を張り上げて全員に距離を置くように告げ、自分自身も十分に離れる。

同時に、オラトリオの身体の骨格が軋み、肥大していく。

黄金の翼、独特の光沢を持つ鱗に、人に畏怖と憧れを同時に抱かせる竜の威容。

エメラルデラがオラトリオを見上げると、竜は長い首を巡らせて顔を差し向けた。長く垂れた鬣は繊細なヴェールのように、彼の鋭い目元を優しく彩っている。

家族が声もなく見上げる中、エメラルデラはオラトリオの顎の下を優しく撫でてから、初めての時と同じ軽やかさで胴腹の横から長く伸びた首の付け根まで登りきり、腰を据えた。

気後れする家族のなかで養父だけがオラトリオに変わらぬ眼差しを向けていた。


「父さん、冬が明けたら一度オダライアを連れて戻るよ。あの子が居ると、暮らしが楽になるだろうし、もう私と離れても心配ないだろうから」


「そうだな、そうしてくれるとありがてェ」


エメラルデラに届くように張り上げられる、鑢を荒くかけたようなざらついた声。

焼け爛れた恐ろしい顔に反して、人を包み込むような寛容な表情が今度はオラトリオに差し向けられると、テオドールは温かく笑った。


「オラトリオ、お前もまた来いよ。もう家族みてェなモンなんだからな」


『ありがとう、テオドール』


投げられた言葉は気安く、だからこそ気負いも硬さもなく、すんなりとオラトリオの胸の中に溶け込んでいく。

当然のように応えた後から、オラトリオの胸にじわじわと驚きが溢れてきた。

初めて主や兄妹以外から受け入れらたという事実が、心を踊らせた。

縦長の瞳孔が驚きに丸くなり、目蓋を僅かに伏せるようにして喜びを表す。

オラトリオが滲ませた表情に、家族が抱いた本能的な恐れが薄められ、深い渓谷に思われた隔たりは、浅い堀へと変わっていった。


「……またね、エメラルデラ。二人とも元気でね」

「オラトリオ、兄さん。それとも弟になるのかな?また遊びにおいでよ」


ルサとユリウスが並んでエメラルデラとオラトリオを見上げ、笑い掛けた。

テオドールの横にいたアガサが砂利を散らして一歩踏み出すと、精悍な顔立ちと鋼に似た眸が、エメラルデラを射すくめる。

こんなにも真っ直ぐに見詰められたのは、何年ぶりだろうか。

エメラルデラがその視線に込められた感情を読み取る前に、アガサは一度だけ瞬くと、表情を緩めた。


「エメラルデラ、元気でな」


アガサの穏やかな声。

柔らかな諦念が、滲むような。

それでいて透明で晴れ晴れとした決意が宿っている。


「……うん、ありがとう。アガサ」


エメラルデラは何も聞き返せないまま、頷いた。

アガサはふと目元を綻ばせると、視線はオラトリオへと向けられる。

重く、鋭く、竜にさえ挑み掛かる眼差しに、孤独と後悔の影は既に存在していなかった。


「オラトリオ、約束忘れるなよ」


『勿論だ』


対等な相手としてオラトリオはアガサに対峙していた。

一瞬、二人の視線が混じり合うと、お互いそれ以上は何も語らず、必要な返事を得るとそれぞれ視線を外す。

オラトリオが向けた視線の先に、幼い子供達がいまだ戸惑うようにこちら見上げているのが目に入った。

オラトリオが少し寂しげに目蓋を伏せると、エメラルデラはオラトリオを宥めるように項の付け根を軽く叩いてから、声を張り上げる。


「皆、また会う日まで!!」


別れを告げるエメラルデラの言葉に、オラトリオが力強く大地を一歩、二歩と蹴る。

同時に翼が力強く羽ばたけば、逆巻く風に煽られて木々が撓り、巻き起こる突風が見送りに来た皆の髪を乱していた。

竜の巨体が風を掴むと、空へと舞い上がる。

あっという間に木々の高さに達しようとした瞬間、今まで隠れていた子供達の声が聞こえてきた。

下を見下ろせば、小さな手が力一杯振られている。


「エメラルデラ、オラトリオさん!!待ってるから!」


エメラルデラは驚いたように瞬いてから、珍しく力一杯笑うと、片手を持ち上げて子供達に応えて見せる。

オラトリオも大きく裂けた口角を撓らせ、歯牙を覗かせるように笑みを残すと、一気に蒼天を目指して飛び立っていった。

家族の姿が見えなくなってからも、エメラルデラはしばらく眼下の森を見下ろしていた。


『戻りたくなったか、エメラルデラ』


オラトリオの声が優しく鼓膜を擽る。エメラルデラはようやく顔を上げると、緩やかに左右に顔を振ってみせた。


「いいや、寂しいとは思うが、また会いに行けば良い。皆と約束したから」


不安や焦燥感の拭われた空の旅は、心が洗われるような心地好さがある。

しばらくの間、晴れ渡った空と鮮やかに色を変える木々を見下ろして心を弾ませていると、やがて枯れ落ちることを知らない神樹の姿が見えてきた。

常春の聖地の在りかを示す神樹の木陰に入るべく、ゆっくりと高度を下げていくオラトリオが聖地の内側に入った途端、脚に痛みが走る。


『っ……!!』


「どうした、オラトリオっ」


瞳孔が鋭い刃のように収縮し、素早く地面を見下ろす。オラトリオは自分の脚に絡み付く氷の鎖と、それを握る美しい女性────自分の姉であるヘルメティアの姿を見た。

蒼玉のような色彩の髪の合間から、菫色の瞳がこちらを見上げている。

穿たれた瞳孔は、今は怒りに燃え上がり揺らめいていた。

本能的に翼を翻して逃げ出そうとしたオラトリオの巨体は、まるで巨大な錨に縫い止めれたかのように動かない。

自分の番いを案じてエメラルデラが視線を大地に向けようとした瞬間、ぐわん、と視界が揺れた。

オラトリオの身体が思い切り傾いたのだ。


「あんた達!!!どれだけ心配したと思ってるの!!」


怒号が響く。

鼓膜がビリビリと痺れ、声は頭蓋に直接叩き込まれ、内側で反響するかのようだ。

氷の鎖はヘルメティアの両手に絡め取られて、オラトリオは徐々に大地をへと引き摺り下ろされていく。

それでも逃げようと身を捩ったオラトリオに、ヘルメティアの瞳が眇められると、華奢な身体を捻り、信じられない力で鎖に繋がれたオラトリオを振り回す。


『エメラルデラっ!』


声に反応してエメラルデラは反射的に両足でオラトリオの背を蹴ると、人間では耐えられないような高さから落下した。

臓器が浮き上がるような不快感の後、エメラルデラは訪れる痛みを覚悟していた。

しかし、衝撃が走る代わりに、両足は靭やかに着地してみせた。と同時に、巨大な金槌を大地に振り下ろすような振動と轟音が、響き渡る。

竜であるオラトリオの巨体が、地面に投げ飛ばされたのだ。

身体を強かに打ったオラトリオが首を擡げようとした瞬間、ギチギチギチ、と嫌な音が響く。

オラトリオが見上げる先、その頭上には、巨大な水晶の結晶に似た氷塊が作り上げられた。


「頭を冷やして、反省なさいっっ!」


姉の怒りを止める暇も与えられず、巨大な礫はオラトリオの硬い鱗に覆われた眉間をゴッッ、と凄まじい音を立てて叩き伏せる。

完全に撃沈したオラトリオの姿を、エメラルデラは動くこともできずに、唖然と見詰めていた。

その傍らへ、今までヘルメティアの横に佇むだけだったシエスがそっと近付くと、紅い眸がエメラルデラを見下ろした。


「ヘルメティアは怒らせると怖いんですよ。なので、言うことを聞くことをお勧めします」


「ははっ……そのようだな」


気抜けしたように笑い掛けるシエスに、エメラルデラは乾いた笑い声を漏らした。そして、こちらへ歩み寄ってくる美女を見上げて呟いた。

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