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一夜開けて

まだ陽射しが洞窟に差し込む前に、エメラルデラは目を覚ました。誰よりも早く起き出して泉で身体を清めるか、沸かした湯で身体を拭ってから狩りへと向かうのが、エメラルデラの日常だ。

長い年月のうちに身につけた習慣は、おいそれと変わることはない。

まだ眠っているルルとエウリカの傍らからそっと抜け出すと、エメラルデラは洞窟の入り口を遮る帳を押し上げて、外へと踏み出す。

まだ群青色の空の下、赤々と揺れる焚き火の前で寝ずの番をしてくれていたオラトリオの背が、目に入った。


「…オラトリオ、おはよう」

「おはよう、エメラルデラ」


振り返った顔に、エメラルデラは言葉を失う。

別に、誰もが見惚れる美貌が素晴らしいとか。

容姿の美しさに価値があるとか、そんなことを思っている訳ではないのだが。

それにしたって、一晩明けて頬に青痣と腫れをこさえた美丈夫を見れば、誰だって絶句するだろう。

自分が平手打ちした時よりも酷いのだから、余程の威力だ。


「何があった?」

「転んだだけだ。心配ない」


分かりやすい嘘だ。

器用に頬だけ負傷する転びかたがあるなら、教えて欲しい。しかも、拳の形をしっかり残して。


「いや、転んだって…」

「転んだんだ。数日で治る」


思わずエメラルデラが重ねて問い掛けようとすると、オラトリオは言葉を被せてくる。今までも譲ろうとしない姿は多々見てきたが、こんな強引なやり方はしていなかったように思う。エメラルデラは思わず眉を歪めて、オラトリオを見据えた。

エメラルデラの訴え掛ける視線に、彼は蜂蜜色の双眸に茶目っ気をたっぷりと含めて、笑って見せた。

男女問わず魅了しそうな表情だが、どうしたって頬の腫れに視線が吸い寄せられる。


「エメラルデラ、そんなに見詰められると、照れてしまうのだが」


拳の痕をこさえた男が、こんな事を言ってくるのだ。自分の竜は、番いの腹筋を鍛えるのが趣味なのだろうか。そうとしか思えなかった。

何かと残念なオラトリオの姿に笑い出しそうになるのを、喉に力を込めて、ぐっ…と堪える。


「…君がそこまで言うなら、そういう事にするが…、…痛ければちゃんと言うんだぞ」

「ふむ…、…では痛いから撫でてくれないか?」


どうにか笑いを押さえていたエメラルデラであったが、相変わらず我が道を突き進むオラトリオの子供のようなねだりに、結局噴き出してしまった。

こうやって振り回されるのは苦手であった筈なのに、今は好ましく思うのだから、慣れとは不思議なものだ。


「君のすぐ調子に乗るところは、どうにかした方が良いと思うぞ、私は」


エメラルデラの手が優しくオラトリオの頬に触れると、エメラルデラひんやりとした掌の感触が、腫れた頬に心地好く伝わっていく。

オラトリオは掌に頬を預けると、淡く微笑んだ。

まるで、愛しいと物語っているように。

以前とは明らかに違うオラトリオの成熟した反応に、エメラルデラは一瞬動きを止めると、不自然な程のぎこちなさで手を離していった。

そのまま軋むような歩きで踏み出せば、オラトリオの横を通って、無言で森へと立ち去ろうとする。

オラトリオはエメラルデラの背を追って振り返った。


「どこに行くんだ?」

「狩りだ、…昨日約束、したから」

「道具は持ったか?」


エメラルデラは、はっ、として自分の身体を見下ろした。

道具をなに一つ持っていなかったのだ。

ただ、何時もの癖で起きてしまっただけなのだから、当たり前だった。

思わず無言で両手を握るエメラルデラは、自分の項が熱くなっていくのを感じる。

言い訳をしてまで逃げ出そうとする程、照れてしまったという事実に直面したのだ。

沸き上がってきた羞恥心は一度箍が外れるともう制御できない。

こういう時は、沈黙する方が辛くなる。


「…、…持ってない」


絞り出すように呟くと、背後でオラトリオの低く柔らかな笑い声が聞こえてきた。


「分かった、では弓と矢を借りてくる。俺も一緒に行くから、沢山狩って帰ろう」


振り返らないまま頷くと、オラトリオの足音が遠ざかっていく。

起き出してきた家族の声が僅かに漏れ聞こえるのを耳に止めながら、エメラルデラはゆっくりと深呼吸を繰り返して、どうにか動揺を押さえる。

オラトリオが道具を持って戻る頃、ようやく熱が引いてくると、二人はそのまま森の中へと踏み込んでいった。



オラトリオとエメラルデラの二人で行った狩りは、結果だけ見れば成功だったと言えた。

狐と山鳥数匹に、竜がいなければ運ぶことも難しそうな大きなアカシカが一匹。

意気揚々と帰っても良い狩猟であったが、エメラルデラは今までになく落ち込んでいた。

血抜きを終えた獣たちに、エメラルデラは視線を落とす。

傷一つない毛皮を改めて目にすると、思わず溜息が漏れた。


「はあ…」


「余り落ち込むな。力の制御がまだ出来ていないだけだろうから。シエスとピカイアに教われば良い」


オラトリオの気遣いに、無言でエメラルデラが頷く。

狩りに剣術、体術においても、テオドールを除けば家族の中で一番の腕前だと、自負していた。


なのに、矢が一本も当たらないのだ。


集中し、いつもの感覚で弓を引くと、弦どころか弓幹が軋んで折れそうになる。

さりとて、加減して引けばヘロヘロと力なく地面に落ちる。

手間取るエメラルデラに、気配に敏感な獣たちが気付かない筈もなく、あっという間に逃げられてしまっていた。

結局、オラトリオの雷撃で狩り取った獲物だけが成果となっている。

お陰で傷のない上等な毛皮と肉を手に入れることができたが、エメラルデラにとっては不甲斐ないを通り越して、絶望するほどに落ち込む結果であった。


「本当に鍛え直さないとな…」


新たな決心を固めながら獲物を引き摺り森を抜け、家族の待つ棲家に戻ってくると、二人は家族の歓声に迎えられた。

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