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旅路

旅はおおむね順調と言えた。

聖地を挟んで相対する神国と帝国の境界は、常に小競り合いが繰り広げられている。

しかし、今は瑞雲の出現と共に一時休戦となっていた。というよりは、誰しも新たな竜の誕生に心を奪われているのだ。


実際に旅立つ者、夢見る者、様々であるが誰もが半ば夢想の中に生きているお陰で、エメラルデラに構う者は一人もいない。両国の争いに巻き込まれることもなく、国境の堺となる谷地に入ることができた。


聖地へ訪れるためのルートは、二つに分かれている。

両国の首都から伸びる整備された大きな街道を行くか、両国の境として走る山岳の谷間を抜けて、向かうかだ。

安全を考慮するならば、多少遠回りになろうとも整備された街道を選んで行くであろう。

しかし、エメラルデラは敢えて谷間を進んだ。獣や賊に遭遇するよりも、聖地へと向かう人間の方が余程恐ろしいと知っているからだ。


大抵の旅人は賊や獣に襲われる危険から身を守るため、目的地を同じくする者同士、寄り合って一つの集団となり行動することが多い。

エメラルデラにとって、それが何より厄介であった。


集団の属するということは、必ず名前を聞かれることになる。

神国、帝国、両国の共通の礼儀として、名乗られた時点でこちらも名乗りを上げなければならない。

その時に、自分の所属する国名を姓とし、家を興した始祖の名前をミドルネームとして告げることが必須となるのだ。


これはお互いの立場を明確にし、旅の道程を保証しあうための儀式に近い。

帝国であれば『チェンチアン』、神国であれば『エルドニア』がそれぞれ姓となる。

しかし、どこにも所属しない流民には、名乗る姓がないのだ。この時点で集団から追い出されるだけならば、まだ良い。

下手をすれば金品を奪われ、殺されることもありえる。


偽りの姓を名乗ったとして、暴かれた時に一気に伝播する私刑(しけい)の熱。その筆舌に尽くし難い恐ろしさは、流民ならば幼い頃から教え込まれている。

それはエメラルデラ自身も、例外ではなかった。

一人で居ることは孤独であり、休まる時はほとんどない。しかし、いつ自分の正体が露見するかと怯えずにすむ。ある意味では気楽な旅路だった。


左右の森から垂れかかる梢が落とす影は、暑さを衰えさせ始めた夕刻の陽射(ひざ)しを遮る。

心地よい涼風が、エメラルデラの細い顎と柔らかく繁る睫毛の先を撫でて、汗ばんだ肌を慰撫していく。

ふと、力を抜くように吐息を漏らすと、細かい瘢痕(はんこん)の残る手を伸ばしてヒポグリフの首に優しく触れた。


「そろそろ今夜の夜営の場所を探そうか、お前も疲れただろう。オダライア」


オダライアと名を呼ばれたヒポグリフが頷くように嘶いて、エメラルデラの掌に甘える仕草で首を押し付ける。その艶やかな手触りにエメラルデラの双眸が微笑みを溢そうとした瞬間、悲鳴が響き渡った。


鳥が飛び立ち、不気味に枝葉がざわめく。


弾かれたように澄んだ瞳を向け、首を巡らせるオダライアの首を叩いて(なだ)めてやりながら、エメラルドの双眸は鋭く(すが)められた。


原因は賊か、獣か…いずにせよ暗くなる前に問題を見極め、解決しなければ安全に夜を迎えることはできないであろう。


「行くよ、オダライア」


声を潜め、エメラルデラはオダライアの胴腹を軽く蹴った。途端、走り出す体躯(たいく)

一気に風が駆け抜ける。


身を低めて、枝木を避け、視界の高さの枝葉は腰に帯びた短剣で薙ぎ落とす。

疾走する先は森の奥、響いた悲鳴の元へと急いだ。


緩やかな傾斜を駆けて上がっていくほどに、川が近いのであろう、水の音が徐々(じょじょ)に近付いてくる。見るより先に人の気配と言い争う声が、先程より近付いてきた。


速度を落とし、息を殺す。いつでも行動を起こせるように短剣から弓に持ち替えて矢をつがえると、歩む先は低い崖となっていた。水の音は崖の底から聞こえ、流れる清流を打ち消すような下卑(げび)た声が響き渡る。


「女と金目のモン置いていけ、服もだ!命が欲しかっ────」


「アンタは、ちょっとはしっかりしなさい!あたしを盾にするなんて、本当に信じられない子ね!!」


定型文、とも言うべき脅し文句が途中で打ち消す女性の声は、気炎(きえん)を発するかのごとき勢いだった。静かに囁き掛けるならば、妖美とも言える声が腹の底にねじ込まんばかりの怒気を孕んで、鼓膜を叩く。


思わず崖の下を覗き込むと、川縁で相対する影が複数あった。

暮れ行く森の中でも判別できる、まるで看板を下げているかの様に分かりやすい賊が五人。


先頭で(いささ)かの困惑と苛立ちを(たた)えている男が、この賊の首領なのであろう。開いた口をどうすべきか、悩むように開閉している。

そんな男達と対峙する女性と、そして彼女を盾にして、へたりこんだ人物が一人。

目深に被ったフード付きの外套(がいとう)のせいで顔は伺えないが、震えているのは離れた崖の上からでも分かった。


「ひぃっ、ごめんなさい!ごめんなさい!死んでお詫びするのも怖いんで、頭を下げます許してください!」


へたりこんでいる男の声は裏返っていた。

怯えきっている癖に、言っている言葉は厚かましい、というか目茶苦茶だ。

その男の言葉に怒髪天(どはつてん)を突いた首領が、再び威勢(いせい)を取り戻す。


「テメェ、ざけたこと言ってんじゃねぇ!!ぶっ殺すぞ!!」


言葉と同時に振り下ろされる刃。反り返った重たげな鈍色に、エメラルデラの身体は反射的に動いていた。



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