竜の本能 (2023/01/13 改稿)
エメラルデラに子供扱いされたオラトリオの背中は、煤けてみえた。そうなると、今度はエメラルデラの方が落ち着かない気分になってくる。
表現しがたい、気持ちに靄がかかったような感覚はどうにも居心地が悪い。
思考を他に逃がそうと視線をさ迷わせると、ふと今朝のことが思い出された。
「ヘルメティア、聞きたいことがあるんだが」
エメラルデラはヘルメティアに視線を向けると、今は弟の態度よりもスープの仕上がりが気になるらしいヘルメティアが、顔を上げる。
「なぁに?」
「ええっとだな…」
一瞬だけ口ごもったエメラルデラであったが、すぐに思い直して表情を硬く、引き絞る。
「竜には、同衾する習性があるのか?」
「同衾?」
あまりにも真剣な声に、ヘルメティアの大きな瞳が瞬いた。なにを言い出すのかと鸚鵡返しに問う声に、エメラルデラは言いにくそうに目を泳がせる。
「今朝、オラトリオが私の隣で眠っていたんだが…駄目だと言っても聞かなくてな。動物によっては、同衾する習性があるだろう?それなら、受け入れようと思って」
種族によるが、野生の動物はお互いの体温で身体を温めあう習性がある。
動物が夜は巣穴で身体を重ねて眠るのはそのためだが、同様の習性が竜にあるなら、人の社会の常識に括くくりつけるのはあまりにも酷だ。
真面目に考えた結果なのであろう。エメラルデラの硬い言葉に、ヘルメティアは思わず声を上げて笑い出した。
「あははっ!そんな習性はないわよ。オラトリオったら、そんなことしたのね」
「俺はエメラルデラの傍に侍っていただけだ。あんな怪我をした後に離れていろだなんて、俺には耐えられん」
拗ねたようにそっぽを向くオラトリオの声は、まるで砂で喉を擦りながら吐き出されていくようだった。
ざらざらとして苦し気な言い方に、思わずエメラルデラはオラトリオを見つめた。
思い当たることがあったのか、ヘルメティアは大きく息を吐き出してから、笑い声を収めていく。
「あー…、まあ、あれね。オラトリオの気持ちも分かるわ。アタシたちって基本的に、寂しがり屋だもの」
「どういうことだ?」
「竜ってね、番いから離れると不安になるのよ。別に単独行動できないワケでもないし、死にもしないんだけど…」
そうでしょ?と尋ねかけるようにヘルメティアは目を細める。
視線を向けられたオラトリオは、頷かなかった。
しかし、随分と不安だったのだろう…オラトリオの金色の瞳は湖に反射する陽光に似て、落ち着かなげに揺れていた。
「私も不安になりますからねぇ、ヘルメティアが傍から離れると」
「それはシエスだけよ」
シエスの横槍に、ぴしゃり、と言って返したヘルメティアは、エメラルデラと視線を合わせる。少しばかり眉尻を下げて笑う仕草は、暖かく。
声は、どこか寂しげに揺れていた。
「番ったばかりの頃だったり、主が大怪我をしたりするとね…余計に不安になるのよ」
ヘルメティアは握っていた匙をエメラルデラに差し向けると、エメラルデラは反射的にそれを受け取った。
何事かと視線を交わせば、向けられている菫色の瞳が、微笑んでいる。
そこには、生まれたばかりの弟を慮る優しさが、宿っていた。
「迷惑を掛けるけど、優しくしてあげて。悪気はないから」
「ああ…分かった」
自分の命と繋がっている相手から離れる、それはきっと魂が肉体から引き離されるような…そんな恐ろしさがあるのかもしれない。
まだ番いになった実感が乏しいエメラルデラであっても、それは想像に難くない恐怖だった。
安心するなら一緒に寝よう。
エメラルデラがオラトリオにそう告げようとした瞬間、華奢な影が二人の間に立ち塞がる。
オラトリオが主と自分を隔てる影を見上げれば、そこには強権を持つ姉が君臨していた。
「それにしたって、許可を取らないのはいけないことね。ということでオラトリオ、ちょっと来なさい」
「でもヘルメティア、俺はエメラルデラと離れたくなかったんだ」
「でも、もヘッタクレもないわ。あなたが暴走して一番困るのはエメラルデラでしょ。オラトリオはまだまだ学ばなきゃいけないことがあるんだから、大人しくついてきなさい」
竜の姉が、文句を垂れる弟に正論をぶちかまして黙らせると、ピカイアを振り返る。いきなり視線を向けられた少年は、何事かと目を丸くした。
「ピカイアも一緒に来なさい。オラトリオの教育係でしょ?」
ヘルメティアはピカイアが持っていた食器を取り上げてシエスに手渡すと、颯爽と歩き出した。
「え、あ、はい!???」
戸惑いながらも彼女の後を追いかけるピカイアの後を、オラトリオが仕方なくついていく。
時折こちらを振り返っては、捨てられた幼いヒポグリフのような眼差しで見つめてくるオラトリオに、エメラルデラは何も言えずにただ片手を持ち上げて見送った。
「ああ、私もヘルメティアと離れると不安になるのですが…」
受け取った器を置くと、シエスはヘルメティアを恋しがるように、深々と嘆息を漏らした。




