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穏やかに夜は更けて(2023/01/29 開放感と統合)

噛み潰せば、甘い香りに反して、歯に染みるようなこれ以上ない酸味が、舌どころか喉まで満たす。


この実のいいところは、食べられる野草が枯渇(こかつ)する冬季に起こる、出血を伴う病を予防してくれるところだ。旅の合間も病気を防ぐために、一日一粒ずつ、大切に口にするようにしていた。


「無理するな。私も初めて食べた時は驚いたから」


「今は驚かないのか?」


慣れた様子で咀嚼するエメラルデラの様子を、再び肩に顎を乗せて覗き込んでくるオラトリオをそのままに、記憶を手繰(たぐ)る。

空を見上げれば、頭は自然とオラトリオの肩に預けられた。

いつの間にか薪は燃え尽き、神樹の葉が宿す柔和な光だけが二人に降り注いでいた。

その葉の間や、枝の隙間から、降るような星の瞬きが見える。

いつもは方角を確かめ、明日の天候を占うために眺めている空が、とても美しいもののように思えた。


同時に、同じ星の下で今も生活しているであろう、家族の姿が思い出される。

幼い頃は自分かこの実を食べて泣き、テオドールに笑われながら慰められていた。

そして、その後で少しずつ増えていった家族たちが、同じようにこの実を口にして泣いていた。それを慰めるのは、エメラルデラの役目だった。


懐かしい思い出を反芻(はんすう)すると、今ならもっと兄弟たちとも親しく交わることができるのではないか…自然と、そう思える。


「そうだな…驚くよりは、初めてこれを口にした時の事を思い出す。今の君みたいに、酸っぱくて泣いてしまってな」


「俺は泣いていないぞ、主よ」


実際、オラトリオは泣いていなかったかもしれない。

しかし少しからかってやれば、思いのほか子どもっぽい言い方でオラトリオは反論してきた。

端正な顔立ちで唇を僅かに尖らせる姿は、どうにもおかしくなってしまう。


「まあ、そういうことにしておこう。ところでオラトリオ…そろそろ主と呼ぶのは止めてくれ。エメラルデラで良い」


笑いを交えた声と共に鷹揚(おうよう)に頷いてみせると、まだ納得のいっていないオラトリオを尻目に、エメラルデラは初めて彼に要望を伝える。

どうにも、名前が呼ばれないのは落ち着かないのだ。名前にこだわりがある分、余計に違和感を感じるエメラルデラは、すぐに彼から返事がくると思っていた。


しかし、返ってくるのは随分と長い沈黙だった。


「…エメラルデラ」


そろそろ様子を伺おうかと思った矢先に、低く、甘く、耳触りのよい声が蚊が鳴くような小ささで、エメラルデラの名前を呼ぶ。

何かあったのかと、エメラルデラが身体を捩るようにしてオラトリオの方を振り向くと、名を口にした彼を正面から捉えた。


しかし、視線が合わない。

出逢った時から一心にエメラルデラの姿を求め、決して離そうとしなかった眼差しが顔ごと力の限り、横へとそらされていく。

何があったのか心当たりがまったく思い浮かばないエメラルデラが、訝しげに双眸を眇めると、(くら)い中でも白く浮き上がってみえるオラトリオの肌に赤く火く火が灯ったように見えた。


「もしかして、照れているのか…?」


思わず瞬きを数度してから、確信を持てないままエメラルデラが尋ね掛けると、オラトリオの広い双肩は大仰(おおぎょう)に跳ね上がり、無言の肯定で返してくる。

分かりやすい彼の反応に、エメラルデラは楽しそうに笑い出した。


「ふふ、ははっ…君は面白いなぁ」


今まで散々に距離を詰め、手を取り、指先に口付けした彼が。

はからずもではあったが、人の秘密を裸ごと暴いて、まじまじと見つめていた彼が。

まさか、そんな可愛い反応を見せると思っていなかったのだ。


笑い声を上げれば、なんとも清々しい気分になる。

等身大のオラトリオに触れると、先程までの恐ろしさが嘘のようであった。

エメラルデラは背中をオラトリオから離すと、気の向くまま草地に背中を預けるように横たわり、両腕をめいいっぱい伸ばす。

酸素を力一杯吸い込むと同時に、開放感を胸に広がった。

傍らで立ち上がる気配に視線を向ければ、どうやら立ち直ったらしいオラトリオが、エメラルデラを上から覗き込んでいた。


「…エメラルデラ、そろそろ戻ろう。疲れているだろう」


告げれば、おもむろに伸ばされるオラトリオの両腕。

エメラルデラの(げん)のように(しな)やかに鍛えられた腕とはまた異なる、男らしい骨格と筋で作り上げられた輪郭は、竜の胆力を持ってしてエメラルデラを容易(たや)(すく)い上げる。


片腕は背を支え、もう片腕は臀部(でんぶ)の下に通されてると、エメラルデラは腕の上の乗るような形で、オラトリオを見下ろすこととなった。


神樹に照らされるオラトリオの顔は深い陰影が落ち、女性と見紛う顔立ちに男らしい精悍(せいかん)さを宿す。

そんなオラトリオを見下ろすエメラルデラのうっすらと日に焼けた膚は、彼と対象的に健康的な美しさに溢れ、意志の強さを宿す大きな瞳は、誰よりも驚きに見開かれていた。

それから、子供のように抱えられている事実に遅れて羞恥心(しゅうちしん)が込み上がる。


「っ…っ、下ろしてくれ」


思わず声を上げるエメラルデラであったが、落とされないように反射的にオラトリオの肩に(すが)ってしまっていた。

見上げてくるオラトリオの形の良い唇が、悠然(ゆうぜん)微笑(わらっ)ている。


「照れているのか、エメラルデラ」


余裕と鷹揚(おうよう)さを感じさせる声音だが、やっていることは子供っぽい仕返しだ。

だが、同じことをしてしまった手前、何も言い返せない。

それでも思わず口をついで出た言葉は、彼に輪をかけて子供っぽい言葉だった。


「殴るぞっ」


言ってから再び羞恥の熱と後悔が、一気に込み上がる。


「ああ、あれはかなり効いたからな、今度は優しくしておくれ。主を落とす訳にはいかないからな」


思い出すように細められるオラトリオの金色の眸。

長く繁った睫毛が半ば伏せられると、その影の奥から巡らされる視線は意地の悪い色を含んでいた。


「───っ、…っ」


自分の分が悪いことは分かっているエメラルデラであったが、それでも言い負かされていることに口惜(くちお)しさを感じる。

だが、何か言おうとしても言葉にならずに終わってしまっていた。

最後には諦めが(まさ)ったのか、結局大人しく身を預けてくれるエメラルデラの姿に、オラトリオは満足気に笑みを深めていく。


「俺のエメラルデラは、やはり可愛いな」


機嫌の良いオラトリオを尻目に、エメラルデラは頭を抱えることとなった。


もうどうにでもしてくれ、そんな投げやりな思いでエメラルデラが目を閉じれば、オラトリオが歩く度に心地好い振動が伝わってくる。


最初こそ気を張っていたエメラルデラであったが、結局は疲労感も相俟って、意識を手放してしまうのであった─────

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