新たな誕生
輝きは周囲の人間の目を眩ませ、鼓動するように脈打ち、生きていることを教えていた。
誰もが未知を恐れて後退る中、エメラルデラの腕から這い出した少女だけが、その輝きに近付いた。
光を見上げながら、一瞬、少女は呼吸を止める。
それから、意を決して大きく息を吸い込み、声を上げた。
「たずけで、ください゛…!!!」
助けを求めること自体が、流民にとって勇気が必要な行動だった。
無視され、より深く傷付く可能性さえある。
それでも少女は泣きじゃくりながら、戦慄く唇を開く。
「だず、げで…っ、…わ゛たし、わ゛だじ…なにも、できなくてっ…っ、まも、って、くれた…のに、ぃっ…しんじゃ、やだぁ、あ゛」
『RRRRrrrrrrr─────』
少女のなけなしの勇気に応え、その光から不思議な音が響く。
悠久の時の彼方、未来、過去にまで届きそうな音。
鈴の音に似ていながら、どこまでも澄んで聴こえる。
人知を越えた音であったが、少女の願いを拒絶する色はなかった。
輝きから発される虹色の光の粒子が、エメラルデラを包み込むと身体は柔らかく浮き上がり、抱きかかえるようにして、エメラルデラを光の内側へと納めていく。
暖かな光に、意識を混濁させていたエメラルデラの双眸が、焦点を結ぶ。
目の前にあったのは、夢と重なる光景だった。
鉛のような重さを帯びた腕が緩慢に上げられると、エメラルデラは指を伸ばした。
「─────…きみ に、…あ ったことが…」
触れた光から伝わるのは、懐かしい暖かさだった。
心臓が締め付けられるような
恋しく
切なく
焦がれるような
無意識の内に、エメラルデラの頬を涙が伝う。
知らないのに、知っている。
脳裏に浮かんだ名前を、エメラルデラは口にした。
「…また、せ… て、ご…めん…、…オラト、リオ」
名を呼んだ瞬間、光が膨張し、閃光が放たれる。
周囲を取り囲む人々は各々の立場を忘れてた魅入り、あるいは眩さに手を翳した。
その輝きは聖地を目指すあらゆる人間に届き、新たな竜の番いの誕生を示していた。
光の膨張はやがて収縮し、人の輪郭を形作ろうとしていく。
しかし、それを見届ける前にエメラルデラは意識を手放した。
力を失ったエメラルデラの身体を掻き抱いているオラトリオの腕に、力が籠る。
新たな竜と騎士の誕生に水を打ったような静寂が広がるなか、この神聖な沈黙を最初に切り裂いたのは男の情けない声であった。
「ひっ…っ、ひぃ…ひっ…ぃい!!」
いまだに不安定な姿のまま、オラトリオは背後を振り返る。
そこには帝国民と名乗った男が腰を抜かして、下半身を濡らしていた。
転がっている剣を見下ろした途端、オラトリオの腹の底から、怒りが、悲哀が、憎悪が、沸き上がってくる。
大切な者を奪われんとした時に吹き荒れるあらゆる負の感情が、オラトリオの内側から溢れ出した。
徐々に人の形を成そうとする脚が、男の元へ踏み出そうとした瞬間、落ち着いた声がオラトリオを引き留めた。
「貴方の主の命がこのままでは危ないです。死にますよ、貴方も、貴方の主も」
響いたのは、群衆から一歩抜け出したシエスの声だった。
死、というものに理解が及んだ瞬間、男に対する怒りよりも、腕の中のエメラルデラにオラトリオの意識の全てが注がれる。
長い指が形作ると、オラトリオはエメラルデラの身体を抱きすくめる。
陽炎のように揺らぎながら、金色に輝くオラトリオの背中から、炎が噴き上げるように翼が広がった。
それは太陽に似て眩く、泣き咽ぶ少女の涙を輝かせた。オラトリオは少女を見下ろすと、柔らかく空気を震わせる。
『少女よ、助けを求めたお前の強さ、このオラトリオが見届けた。お前に代わって俺が、主を救おう』
声帯から発されるものとは異なる声は、少女を優しく癒撫するように包み、勇気を賞賛する。
そして微笑む気配を残すと、オラトリオは翼を広げ、一気に飛翔した。
風が巻き起こり、葉を散らし、エメラルデラを抱えたオラトリオは空へと舞い上がる。
シエスはヘルメティアの腕を掴み、二人を追って走り出した。
新たな竜の誕生となれば、この場に帝国と神国の両国が訪れるのも、時間の問題であった。
今更隠れている理由などない。
唖然と空を見上げる人々の合間を縫い、時にぶつかりながらシエスはヘルメティアを振り返り、鋭く声を発する。
「ヘルメティア、私達も行きますよ。一刻を争う」
「分かったわ」
頷くと、ヘルメティアの華奢な身体は一瞬深く沈み込み、次の瞬間、鋭く跳躍した。
人間にはない胆力で長身のシエスの頭をも易々と超えたヘルメティアは、背から軋む音を響かせる。
夜の帳のような黒衣の外套を押し上げ、瑠璃色の翼がヘルメティアの背中に打ち広がった。
日の光を透かす翼膜は、薄氷の下に清流が流れるように血管を走らせている。
翼に風を孕ませると、人々は巻き上がる突風によって薙がれて、後退った。
シエスを見下ろすヘルメティアの柔らかな唇と目蓋は、七宝を薄く張り重ねたような鱗に彩られ、口端から耳まで亀裂が走っていた。
竜に半ば変異したヘルメティアはシエスの手を引き寄せると、華奢な腕に抱きかかえて聖地へと向けて、飛び立つ。
二頭の竜は人々の網膜と記憶に、慈悲深さと畏怖を植え付け、飛び去っていった。
そして、残された人々と少女は、新たな英雄の誕生をいつまでも語り継いでいくのであった。
一人、汚辱にまみれた帝国民の男を残して─────