歪なれど我らはそれを愛と呼ぶーシエスとヘルメティア②ー(12/11/21時 加筆修正)
シエスが落ち着いたのを見計らって取り払われようとするヘルメティアの掌の合間から、ぽつり、と落ちるようにして不意に漏れた声が、ヘルメティアの鼓膜を優しく震わせた。
「……エメラルデラさん、は…良い人だと思ったんですよ」
ヘルメティアは視線をエメラルデラから、シエスへと引き戻す。
黒い睫毛に縁取られたシエスの眸は、優しく微笑んでいた。出逢った頃から不安定で、どうしようもなく危ういシエスのことを、ヘルメティアは知っている。
他人を信用せず、閉じ籠り、恐怖だけに支配されていたシエス。
ヘルメティアという番いと支え合うことで心を救うことはできたが、失う恐怖の裏返しとなる偏愛と執着の性質は、より顕著になっていった。
他人に差し伸べる感情や手を持たずに来た彼の、初めて見せる心の揺らぎはとても、眩しくて。
思わず、ヘルメティアは瞳を細める。
「崖の上から彼が覗いていたの、ヘルメティアも気付いていたでしょう?あの時、逃げることも出来たと筈です。というか、私なら逃げていたでしょう。なのに、助けてくれた」
人間の聴覚領域を容易く凌駕する竜の聴力は、崖の上で様子を伺うエメラルデラの呼吸を、正確に捉えていた。
それは竜と能力を共有するシエスも同様であった。
エメラルデラの姿を眺めるシエスの切れ長な双眸が、つい先日を懐かしむように細められる。
「それに、とても綺麗でした」
シエスは記憶を辿る。
ヒポグリフの嘶きを携え、崖から駆け下りて来るエメラルデラの姿を。
跳ねる黒髪が柔らかく打ち据える、陽に薄く焼けた頬の清い輪郭を。
薄い唇の決然と引き絞られた形の良さを。
細く靭やかな身体に宿る柔らかさと、汗の熟れた匂いを。
帝国を華々しく彩る貴族や騎士達の行儀の良さとは異なる、性別の垣根を越えた生命の美しさは、未だにシエスに鮮烈な印象を残していた。
自分の失くした宝物を見付けたような心地にシエスの眸に一瞬憧憬が滲んでは、瞬きによって消える。
眠るエメラルデラからヘルメティアに視線を差し向けると、シエスはこれ以上ないほど上機嫌に笑った。
「生命力に溢れて、真摯で、気高い。頑固ですが柔軟さもある。脅したというのに、守ってもくれています…とても善良な方だと思いませんか?私はそんなエメラルデラさんが貴方達と逢って、どう変わってしまうのか見てみたいんですよ」
竜への憧れが嫉妬に変わる者もいれば、執着となっていく人間もいる。
選ばれた人間ともなれば、権力が約束される事であろう。
竜を得る、得ないに関わらず変わる人間が多いなか、エメラルデラがいかに自分を保てるのか…帝室の中で歪に育ったシエスの悪趣味な興味は、尽きない様子であった。
そんなシエスの姿にヘルメティアの口から、思わず溜息が零れ落ちる。
「はあ…本当にアナタって悪趣味ね」
「でも好きでしょう?」
「馬鹿ね、好きな筈ないでしょう」
言葉を切る。そして、優しい微笑みがヘルメティアの清んだ瞳に宿った。
「愛してるのよ。シエス」
その瞬間、一気に熱がシエスの心臓から発して血を巡り、耳まで火照らせる。
傲慢な白皙の面差しは、形無しといった具合に蕩けて、皇室の血を示す深紅の眸が情けなく歪む。
唯一の人。
憧れさえも穢したいと願う、自分の歪みまで、愛してくれる人。
生涯、伴侶である彼女には敵わないであろうと、シエスは確信を持ちながらヘルメティアを掻き抱いた。
彼女の華奢な腕が抱き返してくれる中、シエスは愛しさを噛み締めて眠りについたのだった─────