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短編

マナー蠱毒

作者: 咸深

 西暦二〇××年。日本では一つのブームが起きていた。それは『マナー』。他人を不快にさせないために発祥したそれは大衆に広まり、更に長い年月をかけて変化し続けた。自身の美意識や様々な相手に対する態度だけにとどまらず、マナーを多く知り臨機応変に使用ができることが一般教養とされ始め、ついには生活に根付くほどまで波及していた。

 そして時代の流れかはたまた必然か。マナー講師という職は派生し、淘汰され、長く残っているつわもののマナー講師たちはある種の聖職とまで謳われるようになっていた。

 そんなつわものの一人、美しい所作に憑りつかれて講師の道を二十年歩んだマナー講師・麻奈木の元に送られたのは一通の手紙だった。

 上品な調度品が揃ったリビングで、麻奈木はペーパーナイフをフォークのように持ち水平にゆっくりと封を切る。中から手紙を丁寧に取り出し、まず顔の前に掲げ軽く頭を下げる。

誰も見ていないとわかっていても、その姿は己が尤もよく見ていると戒めてからは視線の有無に関らず相手に礼を尽くす。その姿はやがて人からは儀礼流と呼ばれ、麻奈木もそう名乗るようになってからはますます一挙手一投足に気を配るようになった。

手紙を開き、縦書きであることを確認すると右上に焦点を合わせてから手紙を読み始めた。


―――

『日本マナー選手権開催のお知らせ』

 常世はまさに大マナー時代。有象無象のマナーが乱立しては消えていく中では何がより良いマナーとされるかというのは多くの人が気がかりにしている事の一つである。また様々なマナーが乱立するほど煩雑になってしまい、所作一つの意味合いを読み取り間違えてしまうと火種となってしまいかねない事を憂いている。

そこで津々浦々で活躍するマナー講師を招集し、一度最良のマナーというものを明確にすることで、相反するマナーは整合を取り、細部が異なれば統一するようにすることで、作法一つの違いに神経を磨り減らす人々の憂いを解消したい。

 第一人者とされるマナー講師すべてにこの手紙を送っている。麻奈木氏もそこに加わって頂き、彼等と激論を交わし最良のマナーを創り上げられることを切に願っている。

―――


丁寧な楷書体で掻かれた手紙を要約すれば、そんな内容が書かれていた。

「ふむ、手本のような楷書体。筆でここまでの文字を書くまでに至るには相当な努力をしたに違いない。文字に温かさが籠っていて、期待や切実さといった感情も伝わってくる。実に心温まる手紙だ。」

 麻奈木は世にはびこる有象無象のマナーを憂いてはいたが、すべてを正そうなどとは思っていなかった。現実に次々に生まれるマナーを正すのはきりがなく、そこに労力をかけるよりも一人でも多くに自ら信じる正しいマナーを伝えるべきだと考えていた。だから、世のため人のために行動できる誠実な人間がまだいることに対して感動を覚えていた。

 しばらく感慨に耽ってから、差出人を確認した。麻奈木はこの差出人の芳名を未だに確認していなかったことを一人恥じ、目を見開いた。

 そこには世界に名を轟かす巨大グループ企業の名前と、その総帥の名前が書かれていた。

「……この方が。よし、早速参加の返答をしよう。ではまずはこの紙よりも一ランク下の紙を探してこよう。あの文具店だったら取り扱いがあるはずだ。」

 麻奈木は丁寧に手紙を畳み、取り出したときと同じように礼をすると封筒に丁寧に仕舞う。

 品の良いコートを身に着けて文具店へと足を向けた。


―――

「マナー選手権。二千年代序盤から伝わるマナーが最良だというのに、わからぬか…いや、逆か。儂が伝えるマナーこそが正しいと証明してくれる、そういっておるのだな。」

 そう一人ごちる老人の名は古枚といった。二千年代初頭、マナーというものが一般家庭にも取り入れられ始めた頃から古枚の一族に伝わっていたのが古枚流と呼ばれるマナーだ。

 古枚流は他所で教えられる所作は所々に多少の無礼を含んでいるものもあるが、お互いにそれを許容することから始まる。

しかし時代の移りによってマナーと呼ばれる行動にしてはお粗末な点が多いと批判を受け、現在は門下など既に去った後の寂しい流派でもあった。

 古枚は持っている紙の中で最も上等な紙に、ワープロで打った返答を印刷した。

「よし。やはり文字は読みやすさ、一定の綺麗さをむらなく出せる電子媒体からの印刷よな。」


―――

 マナー選手権への参加を決めた深嶺は三ランク下の紙を選んで書道のプロに代筆させた。美しい文字を送り付けられた以上、不慣れな筆文字で返答を送りたくなかったのだ。

 一部で熱狂的な人気を誇る深嶺流マナーは美しい振舞いを心がけることを信条にしている。他人によく見られたい、という願望を持つ者にはうってつけのマナーだが、それゆえにまた排他的でもあった。

その排他性は深嶺自身も厄介に思ってはいたが、それを言うこと自体が美しくないと自省していた。だから、信者…もとい生徒たちが口をそろえて

「ふざけている!深嶺先生の伝えるマナーこそが至高だのに!深嶺先生、こいつらをぎゃふんと言わせてください!」

 などと死語丸出しで美しくない言葉を目の前で吐かれたときには卒倒しそうになった。

 内心では嫌だなあ、めんどくさいなあと思っていてもおくびにも出さず、淡々と進めるほかなかった。

(はあ、過ぎたマナーなんてやっぱりクソだわ。)


―――

「お休みのところ失礼いたします、総帥。」

「うむ。なんだ、例の件か?」

「はい。総帥の選抜されました各地の有名マナー講師に送った手紙の返答が来ております。」

 世界に夢を与える仕事をキャッチフレーズに世界に名を轟かせたトドロキグループの総帥・峠家はキセルの煙を静かに吐いた。小さく唸るような声だったが、

「それで、その返事は?」

「はい。先週に手紙を配布しました七十二人、全員が参加を表明されました。」

 峠家はその言葉に満足そうに頷くと、もう一度キセルに口を付け、少し薫りを楽しんで吐き出す。宙を漂う紫煙は、峠家の上機嫌さそのもののように楽し気だ。

「済まないが、棚の酒を取ってくれ。ああ、好きなのを選んでいい。グラスは二つ、一つは君の分だ。」

「光栄です。」

峠家は部下の注いだ酒を呷り、口元を小さくゆがめた。部下がグラスを空にするのを待ってから、あらかじめ用意していた次の指示書を部下へと渡す。

「なんとしても私の指定したマナー講師を集めるんだ。飛行機、ヘリ、リムジン、好きな移動手段を択ばせろ。必要はないと思うが、万が一取りやめなどと言うのであれば拉致しても構わん。詳細は指示書に書いてある、明日にでも読みたまえ。」

「ありがとうございます。しかし拉致は犯罪ですよ、総帥。戯れもほどほどになさってください。」

「はっはっは、戯れ、戯れか!はっはっはっは、ふう。覚えておくといい。ワシが戯れなど言ったことはない。」

「ははーっ。ではそのようにいたしまする。」

 当然だが、部下は峠家が冗談の類をあまり好まないことは知っていた。彼が冗談を口にするときは決まって新入社員とコミュニケーションをとるときだけだ。つまりこの拉致しろ、は本気だ。

「ああ、ついにワシの夢がかなう。」

「ええ、成就も最早目前。かならずや世にはびこるマナーという悪しき風潮を取り壊すべきです。」

 峠家の夢、それは常世にはびこるマナーという怪物を叩き潰す事。有力なマナー講師同士を潰し合わせ、最後の一人だけは栄誉と共に世に放逐する。

 これを短いスパンで幾度も繰り返すことで、厄介なマナーの大多数は駆逐できる。毒を以て毒を制すように、マナー講師を以てマナー講師を制せばよいのだ。

「さあ、このマナー蠱毒、果たして誰が生き残るか…クク、ああ楽しみだ!」




敬愛、嫉妬、義憤、憐憫―――様々な思惑が交錯する。

七十二人のマナー講師たちによる生死を賭けたマナー対決が今、始まらない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 始まらない(笑) しかし現代でも妙なマナーが氾濫して、 マナー戦国時代の様相になっていますね。
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