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マンスーラでミラクル大逆転☆

前回のあらすじ、または一分でわかる十字軍史


・エルサレムはイスラムの勢力下に入っちゃったけど、キリスト教徒やユダヤ教徒も普通に暮らしているよ。

・教皇さまが「聖地を異教徒から奪い返せ」とおっしゃった。とりあえず片っ端からぶっ殺すぜ!

・サラディンさんがエルサレムを取り返したよ。獅子心王(ライオンハート)は手強かったけどどうにかこうにか退けたよ。

キリスト教徒(フランク)がまた攻めてきやがった。エルサレム返すから帰ってくんない?

・うるせえ! 異教徒と馴れ合いなんかできるか……フン、今回はこれくらいにしといてやらあ(すごすご)。

・僕フリードリヒ。エルサレム返してくれるの? じゃあ頂戴。

・モンゴルに故郷を逐われてはるばる流れてきたけど、エルサレム襲っちゃうぜ! ヒャッハー!!

・ヒャッハー共は自滅したけど、キリスト教徒(フランク)にエルサレムを返してやる義理もないよね。

・そうは問屋が卸さねえ!! ←今ココ

 ホラズム騎兵団によるエルサレム奪取が引き金となって、七たび催されることとなった十字軍。第七回のそれは、フランス王ルイ九世(1214~1270)の主導によるもので、各国の混成であることが多いそれまでの十字軍と異なり、ほぼフランス軍中心という点が特徴です。


 このルイという人物、国内政治においては優れた内政手腕を発揮し、フランスを繁栄に導いて、後に「聖王」と呼ばれることになる――MLB(メジャーリーグ)カージナルスで知られる、アメリカ合衆国中西部の都市セントルイスの名は、彼に由来します――のですが、()()()()()()敬虔なキリスト教徒で、西欧全体としてはあまりエルサレム奪還の機運が盛り上がらない中、フランス単独で十字軍を催します。


 フリードリヒはルイを思い止まらせようと手紙を送ったりもしたのの、彼を翻意させることは出来ませんでした。ルイはフリードリヒに対し、かつての「エルサレムの解放者」として、彼が教皇に破門された後も一定の敬意を抱いてはいたようなんですけどね。


 一方、当時フリードリヒと絶賛対立中だった教皇インノケンティウス四世(1195頃~1254)も、本来十字軍を鼓舞すべき立場ながら、フリードリヒを掣肘せいちゅうするためにルイにはフランス国内にいてほしかったのですが、ルイは神が夢枕に立たれたからなどと(のたま)い、1248年に出兵していってしまいました。


 なお、フリードリヒは十字軍出陣の情報を、サーリフに手紙で知らせていたようです。



 海路でキプロス島を経由し、十字軍が向かった先は、今回もダミエッタ。

 その陣容は、第一話でも引用したジャン・ド・ジョワンヴィルの記すところによれば、船舶大小合わせて1,800隻、騎士2,800名。

 歩兵等も含めた総兵力については、研究者により25,000~50,000とばらつきがあるようです。

 ちなみにこのジョワンヴィルさん(1224~1317)は、フランスの大貴族シャンパーニュ伯の家老で、(あるじ)名代(みょうだい)として手勢を率い、十字軍に参加していました。


 対するダミエッタの指揮官はファクルッディーンという老将で、カーミルに長く仕えてその信頼も厚く、ヤッファ条約の締結においてフリードリヒとの交渉役も務めた人物だったのですが……、何を思ったのか、十字軍が攻めて来るや、さっさとダミエッタを放棄して逃げ出してしまいます。最大限好意的に解釈すれば、勝ち目のない戦いで無駄死にすることを避けた、と言えるかもしれませんが、それにしてもねぇ。

 かくしてダミエッタは、今回はいともあっさりと陥落してしまいます(1249年6月)。


 ダミエッタを占領した十字軍は、そこにしばらく腰を落ち着けます。というのは、これ以降ナイル川が増水期に入るためです。ナイル川は毎年必ずと言っていいほど氾濫を起こし、その際上流からもたらされる肥沃な土壌のおかげで、流域に文明が築かれた、という話をご存知の方も多いでしょう。

 前話で軽く触れましたが、第五回十字軍は、ナイルの増水期にカイロへ向けて進軍しようとして、地の利を心得たアイユーブ軍に()められ、増水で立ち往生し撤退に追い込まれました。ルイとしてはその轍を踏むことは避けたかったのです。


 さてその十字軍ですが、ダミエッタの次の戦略目標について、内部で意見の対立がありました。

 諸侯の多くは、豊かな港湾都市アレキサンドリアを攻略し、物資とより完全な制海権を確保する案を支持したのですが、ルイの弟のアルトワ伯ロベールは、一息にカイロを攻略する案を主張します。

 このロベールこそ、疫病神(やくびょうがみ)シリーズ第二弾、「第七回十字軍の疫病神」と呼ばれる人物です。

 一説によると、ロベールがカイロ攻略を強く推したのは、エジプト征服の暁には彼をエジプト王に(ほう)ずるという話が出ていたため、それで気が(はや)っていたのだとか。


 ロベールは、ダミエッタ占領後サーリフからエルサレムとの交換が提案された際にも、エルサレムとエジプト、両方手に入れる好機ではないかと主張し、和睦を撥ねつけるよう(ルイ)(そそのか)しています。


 かくして、ロベールに押し切られる格好で、十字軍はナイル川の流れも落ち着いてきた同年11月、カイロ目指して進軍を開始します。


 一方、スルタン・サーリフは、この十字軍襲来時に折悪(おりあ)しく、病の床にありました。

 肺結核と鼠径部(そけいぶ)――ふとももの付け根の腫瘍だったと言います。結核と癌、二つの病魔に同時に襲われるとは不幸の極みですが、もしかすると、「腫瘍」と伝えられているけれど実際には結核菌の侵入によるカリエスだったのかも……まあ、素人の詮索はほどほどにしておきましょう。

 いずれにしても、この時サーリフは重病で明日をも知れない身。それでも彼は、ダミエッタ陥落の報を耳にするやいなや、病の身を押して、ダミエッタの南西70km、ナイル川の東岸に位置するマンスーラに陣を張り、十字軍の襲来に備えるのですが、結局病状は回復せず、その地で病没してしまいます(1249年11月)。


 サーリフの跡を継いでスルタンとなるべき嫡男トゥーラーン・シャー(?~1250)はこの時、イラク北部で辺境の守りに就いており、すぐに駆け付けることは出来ない状況にありました。

 マンスーラは元々カーミルが先の十字軍に対する勝利を記念して築いた、「勝利者」を意味する名を持つ町ですが、ここを抜かれてしまえば、もはやカイロまで敵を遮るものはありません。

 国難を前にして指導者を失い、エジプトアイユーブ朝の命運もこれまでか――廷臣たちが混乱に陥る中、ある一人の女性が決断をくだします。


 その女性とは、サーリフの元奴隷で、彼の晩年の愛情を独占したシャジャル・アッ=ドゥッル(?~1257)。「真珠の木」という意味の名を持つ才色兼備のこの女性は、トゥーラーン・シャーの母親ではありませんが、ハーリルという名の男児を産み、サーリフの正妃となりました。残念ながらハーリルは幼くして亡くなりますが、サーリフの彼女への愛情は変わりませんでした。


 マンスーラにも同行していた彼女は、先述のファクルッディーンをはじめとする重臣たちと(はか)り、軍の動揺を抑えるため、トゥーラーン・シャーの到着まで、サーリフの死を秘匿する方針を固めます。スルタンは重病ということにして面会を謝絶し、毎回食事も届けさせ、署名も筆跡をまねて代筆させる、といった具合。


 そして同時に、トゥーラーン・シャーの元に使者を走らせ、至急駆け付けるよう要請しました。その使者に立ったのが、サーリフが手塩にかけて育て上げたバフリ・マムルークの長であるアクターイという人物。そのため、当時副長格だったバイバルスが、臨時の指揮官の座に就くこととなります。


 ただ、残念ながら、スルタン死すとの情報は、間諜の手によって十字軍にもたらされてしまったようです。運河を隔ててマンスーラの対岸に陣を張っていた十字軍は、地元の人間(遊牧民(ベドウィン)とも土着キリスト教徒ともいわれています)に浅瀬を教えてもらい、1250年2月8日の早朝、ロベールの指揮の(もと)、彼の手勢、テンプル騎士団、ソールズベリー伯率いるイングランド人部隊などから成る一団が、朝霧に紛れて渡河(とか)し、アイユーブ軍の本陣に奇襲を掛けます。


 この時、アイユーブ軍の指揮を執っていたのは(くだん)のファクルッディーン。ダミエッタでの大失態にもかかわらず、サーリフはじめアイユーブ朝首脳陣の信頼は揺るがなかったようで、スルタン(サーリフ)崩御の際の謀議にも参加し、軍の総指揮も委ねられていたのですが、この奇襲には完全に(きょ)()かれます。朝風呂に入っていた彼は、甲冑を身に着ける暇もなく馬に飛び乗って駆け出しますが、十字軍兵に囲まれあえなく落命してしまいます。あのさぁ……。

 かつてカーミルを支えた名臣も、晩節を(けが)したと言わざるを得ませんね。


 見事敵将を討ち取ったロベール君。そこで調子に乗らずに一旦引いて、アイユーブ軍をじわじわと追い詰めていったなら、彼の歴史上の評価は全く異なるものになっていたのでしょうが――、(ルイ)からの指示も、僚友たるテンプル騎士団長らの制止も無視して、敗残兵を追ってマンスーラ市街になだれ込みます。


 ロベール率いる290騎が突入した市街地は、狭い路地が入り組み、騎馬がUターンもできないほど。興奮に駆られるままに、逃げ惑う敗残兵や市民を追い立てていた彼らを待ち受けていたのは、もうおわかりですね。そう。バイバルス君率いるバフリ・マムルークの精鋭たちです。さらには、マンスーラの市民たちも、家々の屋根の上から投石を仕掛けるなどして、十字軍を散々に打ちのめします。


 かくして、ロベールは討ち取られ、逃げ延びることが出来たのは290騎のうちわずか5騎のみ。ソールズベリー伯も戦死、テンプル騎士団長は一命を取り留めるも重傷。

 さらに、ロベールがフランス王家の紋章を身に着けていたことから、「フランス王討ち取ったり!」との雄叫(おたけ)びが上がり、アイユーブ軍の士気はいやがうえにも高まります。

 その勢いをかって十字軍本隊に逆撃を加え、これを敗走に追い込んだのでした。


 イスラム側からのエルサレム返還の提案を蹴り飛ばし、カイロ攻略を主張して敗戦の原因を作る――歴史は繰り返すというか、疫病神は何度でも蘇るというか、見事なまでに前回のペラギウスと同じことをやらかしてくれた疫病神(ロベール)君。


 ただ、ここで注意すべきは、第五回の時とは大きく異なる要素があるという点です。そう、十字軍国家群の戦力が、前話でも触れたとおり、ラ・フォルビーの戦いで壊滅してしまっているのです。

 エルサレムを力ずくで奪還するにしろ、交渉で返還させるにしろ、その後聖地を守るべき現地戦力が失われているという状況では、後顧の憂いを絶つために、エジプトのアイユーブ朝軍主力を叩いておくことはどうしても必要なことだったと言えるでしょう。そう考えると、アレキサンドリア攻略案も、仮に占領できたとしても、カイロに敵主力部隊を残したままだと、ルイがフランスに引き上げてしまえば奪い返されるのがオチではないでしょうか。

 カイロを攻めるにしても、いつでも好きな時にというわけにはいきません。うかつにナイルの増水期に攻めようとすると、第五回の(てつ)を踏むことになってしまいます。


 そんなわけで諸々考慮してみると、ロベールの戦略眼はそれほど的外れでもないように思われます。マンスーラで一旦は奇襲を成功させ敵の指揮官を討ち取った戦術手腕も評価されてしかるべきでしょう。その後市街に突入して全滅したのは……まあ、バイバルスが一枚上手だったということで。


 確かに、宗教上の寛容性とか視野の広さとかとは無縁で、いささか血の気が多い、あまり友達にしたくはないタイプの人物――本陣奇襲の際には、陣が置かれていた村落で非戦闘員の虐殺もやらかしているようですし――ではあったのでしょうが、敗戦の責任を全て押し付けられている感が無きにしもあらずですね。エジプト王云々の話も、何だか取って付けたような感じですし。

 とは言え、歴史上の評価は基本的に結果がすべて。勝てば官軍負ければ賊軍、というのが世の習いですから。まあ仕方ないですね。


 ところで、ちょっと気になる点が一つ。アイユーブ軍本隊がロベールらの奇襲を受けていた時、バイバルス達は何処にいたのでしょうか。少なくとも、本隊からは離れた場所にいたのでしょうね。少し離れた地点に陣を張っていたか、もしくはマンスーラ市内で待機していたか。

 いずれにしても、本隊が奇襲を受けた時、(バイバルス)は決断を迫られたことでしょう。そんな彼の心の内に分け入ってみよう(narrated by 松重豊さん)。

 本隊の救援に向かうか、それとも本隊は見捨て、マンスーラの市内に罠を仕掛けるか――。そして彼は、冷徹にも本隊を捨て石にして、敵を罠に引きずり込んだのでした。バイバルス、恐ろしい子!


 かくして、マンスーラで一敗地に(まみ)れた十字軍は、ナイル川を下って敗走していき、バイバルス率いる部隊がこれを追撃します。

 この時、バイバルスは単身小さなラバに乗って、敵情を偵察しに乗り込んだ、と(くだん)のジョワンヴィルさんは記しています。あんたホンマに見たんか、とか野暮なことをいうのは()しておきましょう。


 何とかダミエッタまで辿り着くことが出来れば、と希望をつなぐ十字軍でしたが、そこへトゥーラーン・シャーが水軍を率いてやって来て、退路を断たれてしまいます。

 決死の反撃もバフリの精鋭部隊に打ち砕かれ、ついにルイは捕虜となります。


 聖王率いる第七回十字軍は、散々な結末を迎えたのでした。

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