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バイバルスってご存知ですか?

 いかにも「なろう」っぽいタイトルを付けてみましたが、小説ではなく歴史エッセイです。

 取り上げるのは、イスラム世界が誇る英雄の一人、エジプトマムルーク朝第五代君主(スルタン)バイバルス一世ことアル=マリク・アッ=ザーヒル・ルクヌッディーン・バイバルス・アル=ブンドゥクダーリー((なげ)えよ)。


 タイトルの通り、奴隷出身ながら十字軍やモンゴル軍を撃退するなど大活躍し、ついにはスルタン――イスラム世界における世俗の最高権力者にまで成りあがったすごい人……なんですが、日本での知名度は泣けてくるくらい低いんですよね。同じくイスラムの英雄、サラディン(サラーフアッディーン:1137または38~1193)にも遠く及ばない。まあ、サラディンの場合は、イングランド王で第三回十字軍の中心人物、獅子心王(ライオンハート)ことリチャード一世(1157~1199)のライバル的立場での知名度という面もあるのですが。

(主要人名の後の数字〇○~〇○は生没年です。以下同じ)


 ちなみに、小説家になろう内で「バイバルス」というキーワードで検索を掛けると、「サ()()()()()トーリー」とか「サ()()()()()キル」とかいったワードが入っている作品が多数引っかかります(笑)。

 それでは、奴隷に堕とされたバイバルス君の波乱の人生(サバイバルストーリー)を見ていくといたしましょう。



 さて、まず「奴隷」と言っても、イスラム世界における奴隷は、必ずしも一切の自由を奪われ(あるじ)への絶対服従を強いられるような存在ではありません。一応、主の「所有物」という扱いではありますが、ある程度の自由は認められ、また、主にとって奴隷を解放し自由民にしてやることイコール徳を積む行い、という考え方もありました。


 このあたりの「ふわっとした」奴隷観は、意外となろう的異世界に通じるものがあるかもしれません。少なくとも、かつてのアメリカにおける黒人奴隷などとはかなりかけ離れたイメージです。


 中でも、「マムルーク」と呼ばれる奴隷出身者による軍団は、奴隷として購入した主に遊牧民族出身の少年に、幼いうちから乗馬、弓射、槍術などの訓練を受けさせ、エリート騎兵兼親衛隊として育成したものです(時代によって名称は異なったりしますが、似たような制度はイスラム王朝の歴史に幅広く見られます)。

 彼らは主にとっては妙な利害やしがらみに囚われたりする心配のない部下であり、もはや身内(みうち)と言ってもよい存在でした。

 いささか乱暴な表現ではありますが、「金で買ってきた養子」と言ったところでしょうか。

 実際、奴隷の中から優秀な者を選んで後継者に据えることも珍しくなかったようです。


 本稿の主人公バイバルス君は、黒海北方のキプチャク草原に居住するテュルク系遊牧民族クマン族の出身で、生年は1228年(1223年説もあるようです)。14歳の頃、当時勢力を伸ばしつつあったモンゴル軍に捉えられ、奴隷として売られてしまいます。

 が、奴隷の供給過多気味だったこともあり、中々買い手がつかなかったり、買われてもすぐに売り払われたりを繰り返したようです。


 彼が不人気だった理由の一つとしては、片目に白内障の斑点があったからだと言われています。

 なので、「バイバルス=隻眼(せきがん)」というイメージがあるのですが、実際のところ、視力に影響があったのかどうかはわかりません。

『物語 中東の歴史』の著者・牟田口義郎氏は「片目を失明」と言い切っておられますが……。彼が所属したバフリ・マムルークは、モンゴル軍の侵略に対抗すべく武芸、中でも騎射の技術に優れた者たちで編成されました。その中で頭角を現したバイバルスが、片目の視力が不自由だったとはちょっと考えにくいように思います。

 軽度の白内障を患ってはいたけれど、視力にはそれほど支障が無かった、くらいが妥当かと。

 まあ、ビジュアル化するならやっぱり隻眼の方が映えるんですけどね(笑)。


 さて、そんなバイバルス君ですが、最終的にはアイユーブ朝(サラディンを始祖とする王朝)第七代スルタン・アル=サーリフ(1205頃~1249)が彼の主となり、サーリフ直属のマムルーク部隊「バフリ・マムルーク」に配属されます。

 正確には、サーリフ配下のマムルークの一人・アル=ブンドゥクダーリー(「弓兵」の意)という人物に買われ、その後サーリフ直属となったようです。この買い主の名がバイバルスの名の一部になっているあたりにも、「イスラム世界の奴隷制≒疑似親子関係」の一端が現れていると言えるでしょう。


 サーリフがバフリ・マムルークを組織した理由は、高い忠誠心を持つ精鋭部隊として国内の敵に睨みを利かせるため、そして、間近に迫りつつあったモンゴルの脅威に対抗するためでした。

「バフリ」とは、アラビア語で「海」を意味する「バフル」から来ていますが、ここではナイル川のことを指します。彼らの兵舎がナイル川の中州(なかす)であるローダ島に設けられたことに由来する名称です。

 サーリフはこのバフリ・マムルークの育成にかなりの情熱を注いだようで、王宮を出てローダ島の兵舎に寝泊まりするようになったという話もあるくらいです。


 バフリ・マムルークの育成の様子について、十字軍に従軍したフランス人が書き残してくれていますので、引用してみましょう。


 ――(略)子供らは髭が生えるまでスルタンが自邸で養い、各人に応じてぴったり合った弓を作らせるといった具合で、体力を付けるにしたがい、張りの弱い弓をスルタンの工廠(こうしょう)で溶かし、工廠の長が各々の絞る力に応じた強さの弓を授けるのであった。

 スルタンの常紋は黄金造りであったが、これら若者たちはスルタンが付けるのと同じ定紋を付け「バハリ」(原文ママ)と呼ばれていた。――ジャン・ド・ジョワンヴィル著・伊藤敏樹氏訳『聖王ルイ―西欧十字軍とモンゴル帝国』ちくま学芸文庫より引用


 いやあ、サーリフさん、中々の熱の入れようですねえ。


 ただし、ここで注意が必要なのは、サーリフのマムルークの全てがバフリ所属ではないという点です。後で登場するアイバクという人物なども、サーリフ麾下(きか)のマムルークではありますが、バフリ・マムルークではありません。


 そんなわけで、バイバルスはバフリ・マムルーク内で次第に頭角を現していきます。残念ながら、サーリフから直接個人的に目を掛けられたといったエピソードは残っていないようですけれども、小説に描くなら想像を膨らますのは有りな部分でしょう。


 しかしながら、来るべき対モンゴル戦に備えて鍛錬に(いそ)しんでいた彼らですが、東からの侵略者と戦う前に、西からの侵略者と矛を交えることになります。

 そう、「十字軍」と称する西方のキリスト教徒たち、イスラム世界で言うところの「フランク」の侵攻です。


 それでは、次話ではバイバルス君の対十字軍戦での活躍――を見る前に、そもそも「十字軍」とは?というのを紐解(ひもと)いてまいりましょう。

全五話構成です。

短編のつもりだったんだけどなぁ。書きたいことを全部詰め込んだらエグい文章量になってしまいました。

反省はしている。でも後悔はしていない(一遍言ってみたかった)。

毎日更新でお届けしますよ~(努力目標)。

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