7.親切
昼休み。クラスメイトの半分くらいは学食に行き、残った弁当派は食べ終わると、思い思いの場所で好きなことをしている。
窓辺に陣取り談笑する男子グループ、集団でトイレに行く女子グループ、次の時間に当てられる問題を、友達に泣きついて必死でノートに書き写しているやつ。机に突っ伏して寝ているやつ。
そんな中、早めに学食から戻った和海をはるかが呼び止めた。
「深町君、ちょっといいかな」
「ああ、いいけど」
席も前後だし、教室で話すのだろうと気軽に応じた和海だったが、はるかは和海の腕をぐいぐい引っ張って廊下に連れ出した。
そのまま、渡り廊下に出ると、暖冬とはいえ、寒い外気に進んで身をさらすものはいないのだろう、人っ子一人いなかった。
「何、話って?」
ひょっとして、告白? などとふざけてみせるほどまだ新しい環境になじんでいない和海はとりあえず、当たり障りなくはるかを促した。
「あの、ええと、如月君のことなんだけど」
言いにくそうにはるかが切り出した。
「如月?」
「うん。彼、今日深町君に教科書貸してたでしょ」
「ああ。使わないからって」
「それってすごく珍しいことなのよ。彼が人に親切にするなんて」
なんか、ひどい言われようである。
「あ、もちろん教科書を使わないって言うのは本当よ。今までに開いているのを見たこともないもの。でも彼、成績だけはいいから」
「……はあ」
適当に相槌を打つ。予想通りだ。やはり勉強はできるやつなんだ、授業を聞く必要もないくらいに。
「でも、自分に必要ないからってあなたに教科書を貸すなんて考えられない。如月君が他人を気遣う様子なんて見せたの、あなたが初めてなのよ。」
なんだか如月が気の毒になってきた。優しい都会人、河野さんにまでこんなこと言われるなんて。……ちょっとフォローしておこうか。
「ええと、俺さ、如月ってそんなに怖いやつでも問題児でもないと思うよ。……ああ、いや、授業サボったりするのは問題なんだけど。でも今日見た限りでは、暴力的なやつでもなさそうだし、転校生の俺を威嚇したりもしないじゃん。授業妨害するわけでもないし。俺も、あんまり話してないけど、普通だったよ?」
俺が頼まなくても、困ってるのを見て教科書も貸してくれたし、と付け加える和海に、はるかはまた驚いた視線を向けた。
昼休みの話はそこまでだったが、その後もはるかの話が頭を離れない。和海は午後の授業を聞いているふりをしながら、今日のことを思い返していた。
そういえばこんなこともあった。
たしか、三時間目の英語の授業中だった。
もともと苦手な英語だが、前の学校とは授業の進度が違うため、和海にとってさらに難易度が増していた。教科書を見ても全くわからない単語のオンパレードだ。
しかも、この教師の授業では、指名された列の生徒が順番に本文の和訳を言うことになっているらしい。運悪く自分の列の生徒が指名されたため、後五人で和海にも順番が回ってくることになってしまった。
もちろん、和海は転校してきたばかりなのだから、訳せませんと答えてもよかった。だが、前の学校のレベルを低く見られるのは嫌だと思った。平気でその場にいないクラスメイトの陰口を叩く都会の学校より、元母校にはずっと愛着があるのだ。
でも、無理なものは無理か。意地で急に英語がわかるようになるわけがない。
知らずため息を吐いた和海の横で、動く気配がした。この時間もずっと寝ていた如月だ。彼は、急に起き上がり、和海の机を指差した。
「あのさ、それ、一枚くれる?」
和海がノートを破って渡すとさらさらと鉛筆を走らせて、何か書き出した。一枚の三分の二ほど書くと、これくらいかな、と呟いて鉛筆を置き、
「これ、やる」
ぴっと紙を和海の机に飛ばした。
「は?」
見ると、整ったきれいな字で日本語訳が書いてある。それは、和海が当たる予定の英文訳だった。
如月も、河野さんと同じように、都会の人間にしては親切だ。彼の場合、あまりにそっけなさすぎて親切だとはわかりにくいが、間違いない。決して他人を気遣うことができないやつではない。
でも、今のところその親切な部分を見せるのは、季節外れに転校してきた和海にだけらしい。なぜだろう。
昼休みが終わった後も、和海は無人になった隣の席を見ながらぼんやりと考えていた。放課後、まだ何か話したそうなはるかの様子には全く気づかず、家路につきながらも。
歩きながら考えているうち、ふと思い浮かんだことがある。
一度しか聞いていないが、彼が始めに名乗ったとき、どう言った? 如月……凌と言わなかったか?
凌――りょう。その名前を知っている。