6.問題児か、そうでないか
その日、遅刻ぎりぎりに教室に入った和海が隣に目をやると、今日も空席だった。
席にかばんを置きつつ、和海は前の席のはるかに声をかけてみた。
「おはよ、河野さん。隣のやつって、今日も欠席? 病気か何か?」
ショートボブの髪を揺らして河野はるかが振り返った。
「おはよう、深町君。隣の彼、そういうんじゃないんだけど……」
困ったように言うはるかの声に被せて、まだ名前も覚えていないクラスメイトが話に割り込んできた。
「隣のやつね。如月ってんだけど、所謂、問題児なんだよ」
「そうそう。授業もまともに受けたことないし、勝手に早退はするし。不良だね」
「俺の友達の友達から聞いた話では、夜遅くに繁華街をちゃらちゃらした格好で歩いていたって」
「禁止されてるバイトもしてるって噂だし」
「一年のとき、上級生と乱闘騒ぎを起こして、相手を何人も病院送りにしたって噂もあるぜ。あいつ、やばいよ。絶対、目を合わせるなよ」
話に夢中になったおしゃべりなクラスメイトは和海を囲み、ずずっと顔を近づけてくる。……あまりアップで見たくない。和海はわずかに顔をのけ反らせて直視を避けた。
その話の内容より、何も知らない転校生のためという名目でクラスメイトの風聞を撒き散らす彼らの顔がショッキングだった。人の陰口を言うときの顔がきれいなはずがない。
(どうなってんだ。都会の高校生ってみんなこんななのか。俺、ついていけない……)
うわさ好きのクラスメイトに辟易していると、ショートホームが始まり、そのまま一時間目が始まった。
(それにしても、隣のやつ、いったいどんなやつなんだ。まさか、いじめられてるのか? まあ、何しろクラスメイトがこんな状態じゃ、来る気も失せるよな)
和海がまだ見ぬ彼に同情しつつ、授業が半分くらい過ぎたときだった。前の扉がガラッと開いた。クラス中が注目する中、学ランを着た小柄な生徒が入ってきた。
「……如月、また遅刻か」
「すんません。寝坊しました」
担任の数学教師の呆れた声も全く気にせずに、遅れてきた割に堂々と歩いて窓際の最後尾の自分の席に座った。それが合図のように、また授業が再開された。
今日も教科書がない和海がノートを出したまま隣をちらりと見ると、如月は腕を組み、半分目を閉じて俯いていた。机の上には何も出していない。寝ているのだろうか。
学ランを着崩しているわけではないし、髪を脱色しているわけでもない。整った横顔はわりに子どもっぽく、クラスのやつが噂していたような問題児には見えない。かと言っていじめられているようにも見えない。いったいどんなやつなんだろう。好奇心がむくむくとわいてきた。
ふと、伏せたまつげが揺れて、如月がゆっくりと目を開けた。気だるげに瞬きをした後、和海に目を向ける。
「……何? なんか用?」
思ったよりも低い声だった。
しまった、不躾にじろじろ見すぎちゃったかな、とあわてる和海の顔を、隣から覗き込むように今度はまじまじと見つめてくる。
「あれ? 隣って空席だったよね。おたく、転校生?」
漸く和海が初対面だと気づいたようだった。
「そう。昨日転校してきたんだ。深町和海。よろしく」
「……よろしくできるかわかんないけど、とりあえず、俺は如月凌」
面倒くさそうに言ってまた目を閉じかけた如月は、あ、そうそうと机の中を探り、数冊の本をぽんと和海の机に投げてよこした。
「教科書? いいのか?」
「いいよ。俺は見ないから」
急なことに面食らう和海に眠そうな声で返すと、如月は今度こそ寝る体勢になった。
名前も書かれていない教科書は、開かれた形跡がなかった。全くの新品。
――勉強しないやつ、か。なるほど、問題児だな。
隣の席のクラスメイトにますます好奇心を刺激されつつ、和海は授業についていこうと、借りた教科書に初めての折り目をつけた。
ずっと寝ていた如月だったが、四時間目の世界史の小テストのときには起き上がってやっていた。といっても、クラスの誰よりも早く書き終わるとまた腕を組んでうとうとし始める。
そのとき。ブルルル……と、小さく携帯のバイブレーションの音がした。小さな音といっても、小テストの最中だ。静まり返った教室の隅々までその音は響いた。
ん? と面倒くさそうにズボンのポケットから携帯を取り出した如月は、さっさと席を立った。
「先生、すみません。用事ができたので、帰ります」
「ちょっと、如月君。授業中よ」
世界史担当の女教師も困って、如月君授業中よと声をかけたが、すでに彼は出て行った後だった。
(ふうん。こういうところが噂話のタネになるわけだ)
しかも、ちらりと横目で見たテスト用紙はすべて回答済み。勉強ができない落ちこぼれというわけではないらしい。
クラスメイトの陰口には彼の問題行動だけでなく、やっかみも含まれているのかもしれない、そんな気がした。
クラスのやつが言うように如月は問題児なのか、そうではないのか。つらつらと考えていた和海は、肝心の小テストの方は結局半分くらいしか埋められなかった。