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BLUE WIND  作者: kataru
53/60

53.朗報

 如月凌は、物心ついたときから父親と放浪生活をしていた。生後半年以後、彼が目にした肉親は父親の如月創一ただ一人であった。

 自分にも母親がいることは分かっていたが、世間一般ではありえない生活を当たり前のように送ってきた如月には普通の家族の感覚が乏しく、母親について、父親との話題に上ったこともなかった。

 徐々にその、母親の記憶(と言っても胸元だけだ)が蘇ってきた如月は目を閉じてその光景を反芻した。

 ヨーロッパ屈指のマフィア一家と繋がる人物が自分の母親である可能性が高い。つまり、彼女は行方不明の父親と相当関係が深い女性である。そして、あの島で通信機越しに会話した一家のボスを名乗る女性が呟いた父親の名前……。もしかすると、彼女が自分の母親で、父親の失踪とも関わりがあるのではないだろうか。

 島でのことを話し高遠に頼めば、その辺りのことを調べてくれるだろう。彼の情報収集能力は高く信頼に足る。しかし、自分の事情にこれ以上高遠と、何より和海を巻き込みたくはない如月だった。


 すっかり薄暗くなった室内に明かりが灯った。ライアンが立ち上がってベッドサイドのカーテンを引いている。

 それを合図のように、高遠が席を立ち、ライアンを招いた。ちょっと事務的なことだから、悪いね、と和海に断り、席を外した和海の代わりにライアン青年がソファーに掛けるのを待つ。人数が揃うと、流暢な英語で話し始めた。

「喫茶室での、二つ目の質問の答えだがな。今回、俺がこの病院に来たのはお前に会う以外にも理由がある。そっちの事情を知った上で最近動き始めたばかりだから、まだ確実なことは言えないんだが、その彼女の根本的な治療法がないか、美咲に調べてもらおうと思っている」

「ゆりさんに……」

 高遠の言葉に、如月はベッドで眠る少女に目をやった。

 美咲ゆりは如月が通う高校の養護教諭だが、大学院に在学中はその研究論文が認められ、学会をにぎわせた。短い期間ながら臨床経験を積み、さまざまな症例に精通している。特に外科的な技術の高さは大病院からもしつこく声がかかったほどだ。大学に特別講義に来ていた海外からの客員教授にも目を掛けられ、彼を通して海外の有名な教授とも親交があった。

 彼女を介してその道の権威に診てもらえれば転落事故以来寝たきりの少女の、延命ではなく、治療方法が見つかるのではないかと高遠は考えたのだ。自らの事情に巻き込むまいと多くを語らず去った仲間のためにできることをと考えた結果である。そういう考えに至ったのも深町和海と接触を持ったからだ、と高遠は思っている。

 これが、如月に電話を掛けてきたときライアン看護士が言った朗報だったのであろう。待ちかねたように、彼は美咲ゆりを招く日取りや病院との折衝などについて細かい手続きのことを話し、その後の話を如月の代理として進めることを申し出た。

 それを聞きながら、四年間ずっと少女のことを案じながら治療費の送金を続け、今後も自らが一生背負っていくと決めていたことに、別の道が開け、希望の光が差し込んできたような気がする如月だった。

「俺は、とりあえず手続きが済み次第、美咲を迎えに一度帰国する。如月、お前はどうする?」

 ライアンが夜勤のため部屋を出て行った後で、高遠が如月の方を見て言った。その目が暗に、俺と一緒に戻らないか、と促しているようだった。しかし、如月は首を振った。彼はもう一度島に戻るつもりだった。

「俺はまだやることがあるからこっちに残るよ。ここに来るまでいた場所に親父の手がかりがありそうだから。明日、発つよ」

「お前まさか、あの刺青のマフィアの元に乗り込むつもりじゃないだろうな」

 相手は裏世界のプロである大規模な組織だ。いくら如月でもたった一人では危険が大きい。侵入が見つかれば、非道な仕事に慣れたマフィアたちの手によって蜂の巣にされてしまうのが落ちだ。高遠が心配そうな表情になる。

「いや、正確な本拠地もまだわからないのに行けるわけないよ。全くそんな心配は無用だ。ただの無人島を調べに行くだけだから」

 あはは、と笑顔で否定したものの、如月の本心はあの島に行き、マフィアの手下を通じて、彼らの上に立つ、自身の母親かもしれない女性との接触を再び試みるつもりだった。

 


 その晩、如月と和海はライアンが用意してくれた病院の宿直用の一室に泊めてもらうことになった。高遠は仕事があるようで、少し離れたビジネスホテルに向かった。

「なあ、和海はこのあとどうするんだ? 学校もあることだし、高遠社長と一緒に帰るのか」

 備え付けのベッドを和海に譲り、自分は寝袋にくるまりながら如月が尋ねた。

「いや、実は期末試験も終わって、実質もう春休みなんだ。で、俺兄貴に両親のところに行くって言って出てきたから、明日そっちに向かうよ」

 海外出張中の両親は寄寓にもヨーロッパに住んでいる。春休みに一度顔を見せに来いと言われていたので、兄にはいい口実になった。

「そっか。あ、そうそう。学校のみんなは元気か? 吉村とか」

 話のついでのように如月が聞く。もう戻らないつもりで日本を出てきたが、気になっていないわけではない。

「ああ。みんな急にお前が転校したってんで驚いてるよ。……なあ、凌。お前、本当にもう戻ってこないつもりか?」

 電気を消した暗闇の中で、和海が自分の方を向く気配がした。

 戻りたくないといえば嘘になる。はじめはどうでもよかった高校生活だが、和海と出会ってから過ごした日々を考えると、もっとあの場所で普通の少年みたいに過ごしていたかった、とという思いが頭を占める。

 しかし、和海に自分のしてきたことを知られてしまった以上、今まで通り彼のそばにいることなどできないと如月は思っている。犯罪を知っていながら黙っていることも罪になるのだ。まして彼の兄は刑事である。大切な友人に犯罪の片棒を担がせるわけにはいかない。

 和海の問いに、結局、如月は答えられなかった。


 ***


 次の朝早く、如月は病院をあとにした。気配を殺して出たので、同室の和海も気づかなかっただろう。ライアンにだけは夜が明けたら連絡を入れるつもりだった。

 気が急いていた如月は、人影が少ない早朝ということもあり、足取りをくらます手間のかかる小細工を省いて、まっすぐに島に向かうことにした。

 後から思えば、これが、彼にしては迂闊な失敗だったのである。



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