50.質問
「おい、なぜ、あいつ戻ってこないんだ?」
監視対象である男たちのうちの一人が小用から戻り、焚き火の前で酒盛りを再開してしばらくしても、その男をつけて行ったはずの仲間が戻って来ないことを、迷彩服の一団は不審に思い始めたようである。
彼らと、彼らが監視している男たちのほかはこの島に誰もおらず、監視対象のグループがこちらの存在に気づいた様子もなかった。そのため、すっかり油断してしまっていたようだ。
監視者の集団は、仲間の行方不明に警戒心を取り戻し、様子を探るため、武器を片手に仲間が消えた茂みの奥へ、また一人入っていった。
そしてその男も、帰ってこなかった。
残りは二人。焚き火の前の男たちの監視という役目がある以上二人ともがこの場を離れるわけには行かない。仕方なく、一人が残り、もう一人が様子を探りに行く。
そして、彼も戻ってこなかった。
この異常事態に、さすがに一人残った男も自分がまずい状況にあることに思い至ったのだろう、とりあえず彼の上に立つ人物に指示を仰ごうと懐の無線機を取り出した。だが、ボスに繋がるよう周波数を調整しているとき、その腕を後ろから伸びてきた手にがしっと掴まれ、男は動きを止めることを余儀なくされたのだった。
男は苦痛に小さく呻いた。暗がりの中、自分を押さえつける相手の腕だけが見えている。その腕は、自分のものと比べて断然華奢だったが、意外にも力が強く掴まれた腕はびくともしなかった。
「静かに。後で聞きたいことがあるから、向こうを片付ける間、ちょっと待ってろよ」
男の腕を後ろ手に地面に押さえつけたあと、漸く掴む力を少し緩めた如月は、潜めた声でそう言った。
そして男の懐から、仕舞っておいた諸々を取り出したあとで、無駄のない動きで彼の腕と脚をワイヤーと細いロープを使って縛り上げた。
これだけの動きが近くであればさすがに気配に気づきそうなものだったが、焚き火の前で酒盛りを始めている三人の男たちには程よくアルコールが回り、もはや警戒心の欠片もなくなっていた。
それでも、突然現れた黒髪の少年が仲間を次々に殴り倒していけば、さすがに残った一人の男も事態を察し、身を守るために、おぼつかぬ手で拳銃を取り出した。だが、男が銃の安全装置を外す前にその腕は、少年の無駄のない動きによって取り押さえられてしまっていた。
「さて、聞かせてもらおうか。おじさんたちが何の目的でこの島に入ったのかを」
如月が焚き火の前で取り押さえた男に銃を突きつけながら言うと、男は目の前の少年の尋常でない動きに恐れをなして震えながら口を開いた。
男の口から語られた説明を聞いて、如月は目を丸くした。
「…………はあ? 宝探し?」
男の説明はアルコールの影響もあってしどろもどろで的を射ないものであったが、要約すると、彼らはこの島にとてつもなく高価な宝が隠されているという情報を聞いて仲間と一緒に探しに来たのだということだった。
泥酔一歩手前だった男は、取り上げられた自身の銃で脅されながら、如月の疑問に答えていく。この情報の出所は不明だが、地中海付近を拠点にする裏家業の者たちの間では有名な話であることや、数年前からその話を頼りに、何組もこの島を訪れていることなどをつっかえながら話す。
意外な話の内容に驚いた如月が銃を持つ指に思わず力をこめるのを見て、男は恐怖のあまり白目をむいた。あわてた如月が、安全装置をかけてるから心配ない、と言ってももう遅く、彼は既に失神していたのだった。
とりあえず聞くことは聞いたからまあいいかと、如月はその男をあきらめて、一応紐で両腕を拘束したあと、先ほどの迷彩服の男の方へ戻った。
「で、あんたたちは何であいつらを見張ってたわけ?」
早速質問を開始した如月だったが、先ほどの泥酔男と違い、この男は裏の仕事のプロだった。やすやすと口を割ったりはしない。薬を使うか、かなりの精神的、身体的ダメージを与えなければ口を割らないだろうと判断を下した如月は、ため息を吐いて質問をあきらめ、代わりに男の持ち物の中の通信機を手に取った。
先ほど上に連絡を取ろうとした男を押さえたとき、彼がいじっていた機械の状態を記憶から引き出した如月が、そのとき目にした周波数にダイヤルを合わせていると、男が慌てたように頼む、やめてくれ、と叫んだ。
「頼む。上には俺たちがヘマしたこと黙っててくれ」
如月は横目で男を見ながら、にやっと笑った。
「でも、おじさんが俺の知りたいことに答えてくれないって言うからさあ。これはもう、お偉いさんに聞くしかないよね」
「は……話す話す! 何でも話すから、頼む、ボスには黙っててくれ!」
必死の形相の男に、おっけー、とわざとらしくため息を吐いて向き直り、如月は通信機を自分の懐にしまった。
こちらの男は、先の酔っ払いとは違い、聞かれたことに簡潔に答えた。しかし、彼らが知っている情報もそう多くはないようだった。
「……で、つまり、この島に隠されているという宝のもともとの持ち主はお前たちのボスで、そのお宝は以前に彼のもとから盗まれた盗品だということだな」
「あ……ああ。そうだ」
少しのためらいを見せて、男が頷いた。その様子にちょっと眉を上げつつ、如月は確認を続けた。
「それで、ボス自身にもそれがどこに隠されているかは分からないから、宝の噂を聞きつけてやって来るやつらを監視して、宝が見つかるかどうか探っているってことだな」
「そうだ」
如月の言葉は男が語った内容をさらに要約したものだった。さらに彼はいくつか質問を重ねた。
「そのお宝ってのはいったい何なんだ?」
「それは俺らみたいな下っ端にはわからん」
「あ、そう。……じゃ、そのお宝はなぜ盗まれたわけ? 犯人は分かってるのか」
「犯人は、ボスの知り合いのようで、詳しいことは俺らには知らされていない。盗まれた状況も全く不明だが、盗まれた時期は五年前だ」
「その頃、何かボスの周辺で変わったことはなかった?」
「わからん。ただ、組織内で、新しい事業に手を伸ばすという噂が流れていた。結局その泥棒騒動でその話も立ち消えになったようだが」
その言葉に、如月は考え込んだ。
「……お前たちの組織って、いったいどういったものだ? マフィアか?」
「まあ……そんなところだ」
自分たちのファミリーのことを外部のものに話してはならないという暗黙の掟がマフィアには存在する。途端に口が堅くなった男に、あの手この手で質問したが、彼はそれ以上のこと、例えば組織の所在地やボスの素性などに関しては頑として口を割らなかった。
「分かった。さんきゅ」
それ以上の追求をあきらめた如月は、男を催眠スプレーで眠らせた後、懐の通信機を再び取り出した。意識があれば、男は泣いて止めただろう。大人しく情報を喋ったのにボスに連絡するなんて卑怯者、とでも言ったかもしれない。
だが、彼の話を聞いて、如月が確かめたかったことは一つだけだった。
『こちら本部だ。監視部隊B班だな。どうした? 任務中の連絡は禁止されていたはずだが。明日の交代まで待てなかったのか』
「ああ、すまん。監視の方は順調なんだが、緊急に指示を仰ぎたいことがあってな。ボスと話せるか」
取次ぎの男に、如月は通信機の持ち主だった男の声色をまねて言った。
『ああ。ちょうど今、来られたところだ。……ボス。例の島の監視部隊から、通信です』
そのあと、短いやり取りがあって、ボスらしき人物が受信機を取った気配がした。如月は慎重に耳を済ませた。
『私だが。どうした? くだらん用事だったら、戻ったとき、覚えてろよ、貴様』
不機嫌な声だった。如月はその声に、自分の予想が確信に変わるのを感じた。そのボスの声は、女性のそれだったのだ。
『……おい? お前、何を黙っている?』
沈黙する相手にいらつく様子で女の声がだんだん大きくなっていく。だが、そのうち、はっと息を飲むような音がして、彼女も沈黙した。
ややあって、機械のノイズに混じり、微かな声が聞こえた。
『もしかして、ソウイチなのか?』
その声は驚くほど真剣な色を帯びていた。
ソウイチ――如月創一
耳に飛び込んできたその名前に、如月は珍しく動揺した。思わずとっさに通信を切ってしまったほどだ。
(ソウイチと言ったか。この女性は、親父を知っている。では、彼女はやはり……)
通信が切れた機器を握り締め、立ち尽くす如月の懐で、彼自身の携帯電話が着信を告げる。
相手を確認した如月は、表情をわずかに曇らせ、すぐに通話ボタンを押した。