5.深夜の逮捕劇
真夜中。誰もが眠りにつく時間だというのに、都会の片隅では警視庁捜査員による大規模な逮捕劇が行われていた。
まぶしいサーチライトが幾筋も走り、林立するビルの窓ガラスがその光を跳ね返すと、あたりは昼間さながらの明るさになる。さすがに時間を考えて拡声器は使っていないものの、大規模な闇組織の一斉検挙を前に、警察関係者の興奮は収まりそうもなかった。
「深町さん。いよいよですね」
ずっと件の闇組織を追っていた、同じ捜査チームの後輩の興奮した声を聞きながら、深町和洋刑事は釈然としない気持ちでいた。
深町たちのチームはもう何ヶ月も前から捜査を重ね、先日漸く裏取引の情報を掴んだ。それが昨夜、組織の資金源が消えたとかで相手が動揺し、その隙を捉えての一斉検挙なのだ。謂わば、相手方の自滅といってよい。
「なんか、気に入らねえんだよなあ」
「何言ってんですか。俺たちのチームの地道な証拠固めがあったから、相手が崩れたときに一気に逮捕に踏み切れたんです。大手柄ですよ」
後輩の磯崎は、誇らしそうに胸を張る。彼自身はもちろんだが、尊敬する先輩刑事とともに初めての手柄を立てたのが相当嬉しいのだ。それなのに、その先輩の表情は優れない。
「でもなあ。前も、こんなことがあっただろ?」
「ああ。ありましたね」
磯崎刑事は深町の言う前の件をよく知っていた。もちろん、尊敬する深町が関わっていたからだ。
「また、例のやつらの仕業なんでしょうかね」
二年ほど前から、この国では妙な窃盗犯一味が出没している。詳しくは窃盗犯とは言えない。何しろ、被害届が出されていないのだから。
彼らの被害に遭うのは企業の不正融資金や裏金、違法行為で懐を潤している闇組織の資金などだ。銀行が襲われても、一般預金者の口座が狙われることはない。銀行としても表沙汰にできない裏のお得意様の口座だけがきれいに空になる。そのため、被害者たちはいくら被害を被っても警察に堂々と被害届を出すわけにはいかない。
その奇妙な窃盗犯一味は、犯罪者でありながら、真っ当な社会に仇なす行為を行うことはない。逆に、その窃盗犯が狙ったおかげで、今まで捜査の手が及んでいなかった組織の悪事が明るみになったこともある。警察としても、正直その窃盗犯の扱いには戸惑っていた。
しかし、深町は煮え切らない警察の立場が気に入らない。被害届が出されていないとはいえ、明らかな犯罪行為だ。いくら裏組織の闇資金だといっても、個人の懐に入れていいものではない。たとえそれで組織的な犯罪が明るみになり、結果として警察の検挙率アップに繋がっているとしてもだ。
そんな犯罪者の手を借りずとも自分たちがしっかり捜査すればいいことなのだし、その窃盗犯一味だって警察の手で捕まえるべきなのだ。
「誰の仕業であれ、犯罪者は必ず捕まえるさ。もちろん、例の窃盗犯一味もな」
「さすが深町さん。でも、彼らを捕まえたら、喜ぶのはまだ明るみに出てない犯罪者かもしれないっすよ」
「……組織幹部が出てきた。行くぞ」
前代未聞の一斉検挙ももうすぐ幕切れを迎えそうだ。
そうそう、とりあえず早めに終わらせて、弟の登校前に教科書代を渡してやらなけりゃ。
きりっと顔を引き締めて歩く深町がそんなことを考えていたとは隣の後輩刑事にはきっと想像もつかなかったに違いない。
***
「ただいま」
結局、もろもろの後始末が漸く一段落着いて、深町和洋が同居を始めたばかりの弟の待つ自宅に帰ってきたのは一般高校生の登校時間ぎりぎりだった。弟もまさに家を出ようとしていた。
「あ、兄貴、帰ったの」
靴を脱ぐ元気もなく疲れ果てた兄の横を通って和海は玄関の戸を開けた。徹夜の疲労がたまる身にはなんだか弟の態度さえもそっけなく感じられる。
なんだよ、家族なんだからお帰りくらい言ってくれよ、とやさぐれる和洋の耳に、ドアが閉まる直前、かわいい弟の声が届いた。
「お疲れさん、兄貴。朝飯テーブルの上だから」
行ってきますの声を残して扉が閉まる。
「え?」
慌てて台所に向かうとテーブルの上にはパンと目玉焼き。ラップをしたコーヒーまで準備されている。その横に冷蔵庫にはサラダがあるというメモが。
(和海。なんてできた弟なんだ)
メモを握り締めてつっ立っている和洋が、弟に肝心の教科書代を渡しそびれたことに気づくのはそれから十分後のことだった。