44.決別
一つしかない出入り口は、和洋とアシュレイが背にしている。如月に逃げ場はもうない。そう判断したアシュレイは息とともに張り詰めた緊張を吐き出し、少年に問いかけた。
「君は……リョウ・キサラギだな」
「……そうかもね」
「君は四日前、フランスで開かれた違法オークションの場にいただろう」
「さあ? 俺、その頃はおたふく風邪で苦しんでたことになってるから、知らないな、と言わせてもらおうか」
全て肯定しているも同然なのに、言質を取らせずのらりくらりと追及をかわしていく。和洋はそんなやり取りにかっと血が上った。
「……てめえ、ふざけんな! 以前に麻薬密売組織から金を奪ったのもお前だろう。現場に残された銃弾に付着した血液と和海の体操服に着いていたお前の血とが一致していたんだ」
この言葉に、如月ではなくアシュレイの方が仰天して和洋を凝視する。このことも含め、如月凌が弟のクラスメイトであることも彼にはまだ告げていなかったから驚くのも無理はない。
だが、当の如月は、自分のもう一つの顔を暴露されてもどこ吹く風だ。
「和海の服に、俺の血が? 猫の血の間違いじゃねえの。しっかりしろよ、刑事さん」
「こっの……!」
怒りに真っ赤になって一歩踏み出す和洋の肩を軽く押さえて止め、代わりにアシュレイが如月に向き直った。二人の物理的距離はわずか十歩分ほどだった。
「いつものように何の証言も取らせないつもりだな。いいだろう。だが、その気があれば、一つだけ答えてもらいたい。君の協力者としてアキラ・タカトオを近く徹底的に洗う予定だ。今までの犯行は彼の協力のもと行ってきたという事で間違いないんだな」
返答しないのなら、こちらのいいように解釈させてもらうから、無理して答える必要はないぜ、と言ってアシュレイは、如月のわずかな変化も見逃さないように、彼を凝視する。
そんな相手の様子をちらりと見て、如月は、笑顔を引っ込めた。
「それは、違う。高遠氏は全く俺には関係ない。この前も、ただ居合わせただけだ。アシュレイ捜査官が掴んでいる事件は全て俺一人でやったことだ」
やけに真面目な顔、真面目な声だった。
「一人で? 今までの、各国で行われた窃盗の全てを?」
「集団での犯行ではなかったのか」
アシュレイと深町は同時に声を発した。
今まで、各国で行われてきた裏世界の住人のみを狙う大胆な犯行は、きっと、少数精鋭の窃盗集団一味によるものだとばかり思っていた。まさか、目の前の少年による単独犯だとは想像もしなかった二人だった。
「計画も、潜入も、実行も、情報操作も全部俺がやってんの。犯罪に関してはオールマイティーな天才だから」
悪びれずに、からっとした口調で如月は言う。
そのとき。
ガタン 和洋たちの後ろで音がした。
「……!」
開いた戸口に立っていたのは、三人が予想もしなかった人物だった。
ばっと振り向いた和洋、アシュレイよりもずっと大きな衝撃を受けたのは如月だった。
出入り口の扉は、彼の位置からは今まで二人の男たちの影になって見えなかったが、今、漸く見えた。彼らの肩越しに、そこに見えた姿は。
「か……かず……」
声が震え、和海、と呼び慣れた名前を口にすることさえできなかった。
画廊の戸口で立ちつくす深町和海の顔には、全てを聞いて困惑する色が浮かんでいた。そして、親友を見つめる瞳にはわずかな不信感が混じっているように見えた。
目の前の、自分を追い詰めようとしている刑事とICPO捜査官を通り越して、後ろの和海を見つめる如月の顔は、今にも倒れそうなくらい蒼白になっていた。
そんな二人を見比べながら、和洋とアシュレイも固まったまま身動きができなかった。
初めに静寂を破ったのは如月だった。
無言で上着のポケットから何かを取り出すと、いきなり床に投げつけた。
途端に床から煙がもくもくと沸き起こり、たちまち部屋中に広がった。すぐに一寸先も見えない状態に陥る。やがて、煙探知機がやかましい音を立て始めた。
不意を衝かれた和洋たちが怯んだ隙に、如月は足音を立てず出口を駆け抜けた。
扉の近くで煙の影響が少なかった和海は、反射的に目をつぶったまま、如月がそばを通り抜ける気配を感じた。
(さよなら、和海)
小さな声が、耳のそばを掠めて消えた。
その一瞬後、天井のスプリンクラーが作動し、部屋には滝のような水が降り注いだのだった。
***
その日以来、如月凌の姿が日本から消えた。
彼の行方は誰も知らず、出国の記録さえ見つからなかった。
将来を期待される優秀な刑事深町和洋にも、経験豊富なICPOの敏腕捜査官ジェイク・アシュレイにも、彼の足取りを追うことはできなかった。