41.帰国前
結局、混乱はあったものの、如月の目的は果たされた。
贋作呼ばわりされた父親の絵の汚名も雪ぐことができたし、目的の絵も盗み出すことに成功した。
予定外だったのは、事前情報にはなかったフランス憲兵隊の突然の取締りだった。そして、気になるあの金髪の男の正体……。
「取りあえず帰国するか。それとも、しばらく留まって調べてみるか?」
高遠が聞くと、今回の一件以来妙に考え込むことが多い如月が、逡巡した後に言った。
「いや。その必要はない。あの男のことはよく知っているから」
「なに? あいつは何者なんだ」
「ICPOの捜査官だよ」
ICPO(国際刑事警察機構)は、国際的な犯罪防止のため、世界各国の警察により結成された任意組織である。
「あの金髪の捜査官、ジェイク・アシュレイっていうんだけど、日本に来る前に仕事で何度かニアミスしてね。どうも俺の素性も既にある程度ばれているらしいんだよね」
ICPOは、基本的には各国警察機の連絡・協議機関としての性格が強い。主な任務は国際犯罪者に関する情報収集や、逃亡犯罪人に対する国際手配書の発行などであり、犯罪者の身柄拘束などは現地警察が行うことになっている。だが、国際犯罪の捜査を行う実働部局も存在している。アシュレイは若いながらもかなり腕利きの捜査官である。
如月の説明に、高遠はさっと顔色を変える。だが、如月がそれを意に介す様子はない。
「でも、素性がばれてても、捕まらなけりゃ問題ないし。俺はどんな状況でも逃げ切って見せるから、心配ないよ。まあ、彼が今回の件をかぎつけて現場に来ていたってのには多少驚いたけどね」
今回、下準備のときも派手に動いちゃったから、どこかで俺の動向を掴んだのかもしれない、それにこっちもしばらく、日本警察の動きばかり気にしてたからなあ、と如月が呟く。
高遠は漸く声を発した。
「じゃあ、あのタイミングでフランス憲兵隊が踏み込んできたのも……」
「ああ。やつが通報したんだろうな」
初めて如月から聞かされた手ごわい相手の話に、高遠は仲間の身を案じた。
「とにかく、すぐに帰国しよう。足が付かないように、俺が手配するから」
「いや。俺はもうちょっと滞在したいんだけど。調べたいことが……」
言いかけた如月の上着のポケットから、携帯のバイブレーションの音が小さく響いた。着信相手を見て、如月が驚いた声を出す。
「和海?」
自宅の普通電話からの着信を示す番号を見て、慌てて通話ボタンを押しながら如月は席を立った。そのまま少し離れた窓のそばまで歩いていく。
『もしもし。ええと……凌の携帯で、合ってるよね?』
「ああ。和海、どうしたんだ? って、そもそも俺の番号知ってたっけ?」
今の自分の状況とはかけ離れた、平和な世界にいる友人からの突然の電話に驚く如月に、電話の向こうの和海は呆れた声を出した。
『何言ってんだよ。前にうちにかけてきてくれたじゃん。うちの電話、番号通知でディスプレイに表示されるから、メモっておいたんだよ』
なるほど。だが、和海の自宅というのは、すなわち、警視庁の深町和洋刑事の自宅でもある。知らないうちに番号を知られていたなんて、警戒心がないにもほどがあるよな、と迂闊だった自分に、寒気を感じる如月だった。
『なんか、携帯にかけると料金が高いらしいから手短に言うな。この前言っていた、お前の親父さんの絵のこと、思い出したんだよ』
ドクン 和海の言葉に、如月の胸が強く鼓動を刻んだ。
明日の放課後、一緒に見に行こうぜという和海の誘いに、如月はとっさにうまく返答ができなかった。
『おい、凌? 聞いてるか』
不審げな和海の声に、慌てて言葉を返す。
「あ……ああ。聞いてるよ。明日……はちょっと無理そうだ。明後日も学校には行けないかもしれないが、放課後必ず時間を作るよ。連れて行ってくれ」
『明日は無理って、また学校休むのか? 治ったんじゃなかったのか』
「ああ。えっと、なんかまだ本調子じゃないみたい。でも、明後日にはきっと大丈夫だ」
それを聞いた和海は電話の向こうで、え、治ってなかったのか、じゃあこの前会ったとき俺うつっちゃったかも、マジでやばい、などと焦った声を発していたが、やがて気を取り直して、
『まあ、とにかく無理せず早く治せよ』
そう言って電話を切った。
通話が終了した携帯電話を握り締めたまま、如月は、ぱっと高遠を振り返った。
「社長さん。すぐに帰国したい。大至急手配を頼む」
さっきまで、調べたいことがあるからと帰国を渋っていた男の言葉とは思えないな、と苦笑いする高遠だった。
結局、こちらで騒ぎを起こしてしまったため、高遠が伝を使っていろいろと手配をしたのだが、帰国は二日後ということになった。
その間、如月は用事があるとかで、滞在用に用意した宿にほとんど帰ってこなかった。
高遠は久しぶりに現場に出向いての仕事で精神的に疲れ果て、何も考えたくない気分だったが、秘書の水城から何度か仕事用の携帯に着信があったため、連絡を取り直し、仕事上の指示を与えた。その傍ら、航空券の受け取りなど、二日後の帰国日まで、忙しく過ごした。
***
二人が帰国前にそれぞれ動いているころ、遠く離れた日本の、警視庁の若手敏腕刑事、深町和洋宅に一本の国際電話がかかってきた。
「もしもし、深町です。どちらさんで……」
『ハロー。カズヒロ。俺だ。覚えてるか?』
「お前、ひょっとして……。おい、久しぶりだな。元気だったか?」
『ああ。気分的には爽快とは言いがたいけど、元気にしてるさ』
「こっちもそんなところだな。仕事はまあまあ順調だが、それ以外でもいろいろあってな。で、どうしたんだ。連絡をしてくるの、三年ぶりだよな」
『ああ。実は、頼みがある。しばらく日本に滞在したい』
「滞在? 仕事でか」
『今のところは私用だ。だが、仕事がらみになる可能性もある』
「なるほど。取り込んでいるみたいだな」
『ああ。で、滞在中公費が下りないから、悪いが、しばらく……』
ちょうど帰宅した深町和海は、ただいま、と言いかけて、玄関先まで聞こえてきた兄の声に驚いた。
「はあ? しばらくうちにホームステイしたいって? え、明日には付く? おい、ホテルを取れ、ホテルを……って、切るな〜!」
慌ててリビングに駆け込んだ和海が目にしたものは、通話が切れた受話器を握ったまま、ぜいぜいと肩で息をする兄の姿だった。




