4.都会のやつは冷たい?
(都会ってのは、ほんとに、埃っぽいところだな)
見慣れた学ランも、なんだかくすんで見える気さえする。初めて会う担任の後について灰色の廊下を歩きながら和海は窓の外に目をやった。
やはり、埃っぽいグラウンドが見えるだけだった。
「えー。三学期早々だが、転校生だ。深町和海くん。深町君は、ご両親が海外出張のため、この町にいるお兄さんのところにお世話になることになるのだそうだ。元の学校は……」
担任が、和海の住んでいた、ここからやや離れた、海の近くの田舎町の名前を言うと、一瞬教室がざわついたが、すぐに波が引くように静かになった。
あまり他人に関心がないのだろう。都会のやつは冷たいって言うし。
そのまま言われた通り一番後ろの席に着こうとした和海は、隣の席が空席なのに気づいた。最後尾の一番端。休みなのか。転校したての人間にとって隣の席のやつってのは、真っ先に親しくなるチャンスがある人物だ。どんなやつが隣なのか気になるところだけれど、明日まで持ち越しだ。
じゃあ、遅くなったが授業を始めるぞ、とショートホームを終えた担任がそのまま授業を始めた。数学らしいが、転校前の学校とは授業の進度が違う。
ゆっくり席についた和海は、とりあえずノートをかばんから出した。それに気づいた前の席の女の子が、くるっと振り向いた。ショートボブで眼鏡をかけた、小柄な子だ。
「あたしは河野はるか。よろしくね」
そして、今やってるのはここ、と体をひねった無理な体勢のまま教科書を見せようとしてくれる。ちょっと驚いた。
和海がいた海辺の田舎町の小さな高校ではこれくらいのこと当たり前で、それどころか、急遽席を移ってきて見せてくれることもある。が、都会の学校ではまずそんなことはないだろうとたかをくくっていたのだ。
こりゃ、認識を改めなくちゃな。都会のやつもけっこう親切、と。
失礼なことを思いつつ、和海は教科書をそっとはるかに返した。いくらなんでもその体勢では彼女のほうが辛いだろう。
「ありがとう。でも、今日はいいよ。ノートをちゃんととるようにするから。明日からは隣のやつに見せてもらうし」
和海がそう言った途端、はるかの顔が曇った。何? 俺、なんかまずいこと言ったか?
「ええと、隣の人ね。見せて……くれるかな」
「え?」
「ううん。あ、それより、教科書が早くそろうといいね」
とってつけたように笑顔を見せて、じゃあ、ノートがんばって、と、はるかは前に向き直ってしまった。授業もとっくに始まっており、和海はそれ以上声をかけられなかった。
前の学校よりも進んでいるためさっぱり理解できない教師の話が、右から左に抜けていくのを感じながら、隣の席を見るともなしに見てしまう。
一番端窓側の最後尾。よく考えれば、教室で一番目立たない、というか、目立って欲しくない人物が座る席。よっぽどの問題児か、不登校の生徒なのだろうか。前の平和な学校にはいなかったが……。うまくやっていけるのか。
とりあえず、早いとこ教科書を買いに行こう、と決めた和海だった。
***
「ただいま」
思わず声をかけた後で、たった今自分が鍵を開けて入ってきたことを思い出す。誰もいるはずがないのだ。と、思った矢先。
「よお、和海。早かったな。高校ってこんなに授業終わるの早かったっけか」
部屋の奥から顔を出したのは、一昨日から一緒に住むことになった七つ年上の兄、和洋だった。
「部活動がなけりゃ、こんなもんだよ。それより、家にいるのに、かぎかけてるのかよ」
予想外に家にいた兄に驚きつつ、言い返すと、
「ばーか。こりゃオートロックだ。ドアを閉めてるときは、勝手に施錠されるんだよ」
逆にあきれたように返された。
まあ、あの田舎の町にゃなかった代物だから無理ねえな、と笑って見せる兄を睨みつつ、ふと、その服装に目を留めた。ワイシャツにネクタイ。上着を肩に引っ掛けている。どう見ても家で寛ぐ格好ではない。
「兄貴、出かけるの?」
「ああ、事件で呼び出されてね。今日は帰れないかもしれない。こっち来たばっかだってのに一人にしちまって悪いな」
顔をしかめて謝る兄が、一昨日、昨日とずっと家にいてくれたことを思うと、和海は逆にすまなく思った。
両親の長期海外出張で一人日本に残された和海は、都会で一人暮らしをしている兄と暮らすことになり、一昨日上京してきたのだった。まだ都会の暮らしに慣れない弟のために、和洋はきっと無理して休みを取ったのだろう。刑事という職業柄、そんなに簡単に休みが取れないだろうということは和海にもわかった。
「いいよ。別に。都会の警察がそんなにひまじゃないってことくらいわかってたし」
慌しく出かける兄に軽い調子で返し、玄関先まで見送りに出た。
「わかってると思うけど、こっちはけっこう物騒だからな。あんまり夜に出歩いたりするなよ。後、オートロックだから、外に出るときは鍵を持ってな」
「わかってるよ。ほら、遅れるぜ」
昨日から何度も言ったことを心配げに繰り返す兄に、苦笑しながら和海が答え、ようやくドアが閉まった。