38.オークション〜潜入〜
「いらっしゃいませ、ムッシュ・タカトオ。お話は窺っております。どうぞこちらへ」
国籍不明の妙な訛りのフランス語で案内され、パドル(番号札)を受け取った高遠は、相手について物々しい外観の古城の中へ入っていった。
高遠が掴んだ今回のオークション会場は、フランスのパリ近郊に位置するイル・ド・フランスと呼ばれる地域にあった。
ここは、いくつかの主要河川に囲まれた島のような地形になっており、印象派画家たちのゆかりの地として有名な場所も多い。
その地方にいくつかある古城の一つに、今、続々と各国から参加者たちが集まってきていた。
様々な国籍の客たちは、観光客風の旅装で、見た目は特に目立つこともない。だが、見る人が見ればシンプルながら高級ブランドで固められたいでたちで、相手の経済力の高さを窺うことができるだろう。
一般向けの地上階は美術館としても使用されているので、人の出入りがあっても、観光客が美術館巡りに来ているという風に見えないこともない。現地の警察に目を付けられることもないだろう。
だが、彼らの目的地は古びた城の広い地下スペースである。
そこでは、今まさに、有名画家たちの違法贋作を集めた闇の競売が開かれようとしていた。
如月との打ち合わせどおり、一人で会場に参加者として乗り込んだ高遠は、今までに仕事関係で違法すれすれの競売に出向いた経験があるため、今回の自分の役割に関しては何の不安もなかった。
心配するのは、今回仕事量が多い仲間のことである。だが、今は彼の仕事の状況は分からず、自分にはどうすることもできない。ただ、自分自身の役割をこなすことによって、彼の計画を狂わせないようにすることが唯一高遠にできることだった。
広い地下の会場に着き、パドルを片手に席を探す高遠の姿に、参加者の何人かが驚いたような視線を送ってきた。
高遠の会社は海外でも取引が多く、社長である彼は、日本国内ほどではないにしても主要各国の経済界ではそこそこの知名度があった。特に芸術分野の活動では、仕事関係だけでなく個人的にも顔が広い高遠のことを知っている参加者がいても不思議はなかった。
既に八割がた席が埋まっている会場内をしばらく歩き、目立たない場所を探して腰掛けた高遠に、隣の人物が恐る恐る話しかけた。
「ミスター・タカトオ。覚えてらっしゃいますか。こんなところでお会いできるとは」
話しかけてきたのは白髪交じりで片眼鏡をかけた、初老の紳士といった風情の小柄なアメリカ人男性だった。
穏やかな口調ながらも抜け目ない表情のその人物を、高遠は覚えていた。以前、アメリカで開催された彫刻作品の正規の即売会で彼と二、三度言葉を交わしたことがあった。そのときの会話からは、ずいぶんと芸術作品に造詣が深そうだという印象を受けた。まさか、このような違法オークションにまで足を運ぶほどの収集家だとは思わなかったが。
だが、それは相手も同様だったようだ。
「ミスター・タカトオ。あなたが贋作にも興味をお持ちだとは知りませんでした。以前お話させていただいたときにはオリジナル作品にしか興味がないとおっしゃっていたように記憶していますが」
確かに自分はそう言っていた。本来の自分の意見はその発言通りである。
たとえ有名でなくとも、世間一般には高い値が付かなかったとしても、その作者本人の作品ということが重要である。そうでなければ芸術的に価値がないというのが高遠の持論であった。
相手は、そんな高遠がわざわざ贋作コレクションと銘打ったこのような会に参加していることに大いに疑問を持ったようだった。
ここは違法競売が行われる場である。何かの内偵であれば、自分たちにも何らかのよくない影響が及ぶかもしれない。このような場に来る人物なら当然持っている警戒心がその表情には表れていた。
いつの間にか、周りでは老紳士の知り合いなのだろうか、数人の若い男たちがやや腰を浮かせ気味にして二人のやり取りを見守っていた。
本来ならあまりいい状況とは言えないが、今回の自分の役割を考えるとまたとない好機である。高遠はこの状況を利用させてもらうことを即座に決めた。
ちらり、とやや大げさに辺りに気を配る素振りを見せ、高遠はその老紳士に心もち声を落として囁いた。
「そうなんですよ。私は本来贋作などには興味がないのですがね。だが、今回このオークションで唯一つ、贋作と言われているが実はオリジナルだという興味深い作品が出品されるということを聞きましてね。わざわざ見に来たというわけですよ」
「え。それは……本当ですかな?」
思ってもみなかった高遠の言葉に、老紳士は心底驚いたようだった。わざと聞こえるくらいの声量で話したため、周囲でもひそやかに驚きの声が広がっていく。
「なんと。だが、ミスター・タカトオの情報網に引っかかったということは……」
もともと油っ気のなかった額がてかてか光りだすくらい驚いた老紳士だったが、高遠の裏表ともに通じる顔の広さは十分知っており、彼の言葉には信憑性があることを認めないわけにはいかなかった。
やがて、動揺する客席の片隅をよそに、薄暗い地下には場違いな明るいファンファーレが鳴り響き、司会者がオークションの開会を高らかに告げたのだった。