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BLUE WIND  作者: kataru
37/60

37.出国の前に

 如月が日本に戻ってきたのは、その週末だった。

 

 連絡をもらった高遠がいつものマンションで待っていると、如月が音も立てずに現れた。

 毎度のことながら、施錠したはずの部屋の玄関は一瞬で音もなく開錠され、リビングの扉がノックされるまでは彼の気配に一切気づくことができなかった。

 だが、室内に一歩踏み込めば、如月は喧しいことこの上ない。

「おまたせっ。社長さん、元気だった? ひょっとして、俺のいない間にゆりさんと二人でデートなんかしちゃってたりして」

「ば、ばか。そんなんじゃない」

 いつもながら、年下の仲間にひとしきりからかわれたあと、高遠は立て続けの仕事になる彼に、用意してあった飲み物を勧めた。

「さんきゅ。コーヒー淹れてくれてたんだ。めずらしいな」

 余計な一言を発しつつ嬉しそうにカップを手に取った如月を見ながら、高遠も自分のカップを取り上げた。同時に口に運ぶ。

(…………煮詰まってる)

 しばらく、奇妙な沈黙が部屋に下りた。

「……お前が待たせたのが、悪いよな」

「うん。ははは……。俺のせいだね」

 またもや微妙な空気が流れるリビング。そんな空気を払拭するように高遠は真面目な顔で口を開いた。


「今回の仕事だが、ぜひ、俺も同行させてくれ」

「いいよ」


 即答に、高遠は思わず煮詰まったコーヒーをひざにぶちまけた。

「あっ熱つつつ」

「わっ。ふきんふきん」

 慌てて如月がふきんを取りに走った。



 漸く落ち着いて、高遠はもう一度如月に確かめた。

「本当に、同行させてもらっていいんだな?」

「ああ。って言うか、社長さんには今回の仕事で重要な役割を振ってあるんだ。一緒に行くって言ってくれて助かったよ」

 にこにこと笑顔を見せて如月が言う。危険だからと、きっと止められると思っていた高遠は拍子抜けした気分だった。

 だが、決行の前にいろいろと打ち合わせをするうち、高遠はなぜ如月が自分にこの役を振ったのかわかってきた。

(これじゃ、やっぱりこいつだけ危険な役回りじゃないか)

 けれど如月が引き受ける仕事は自分にこなせるようなものではなく、高遠には反対のしようがなかった。


 明後日の決行を前にいろいろと細かい打ち合わせを終え、帰り支度をする如月に、高遠が声をかけた。

「この前頼まれてた画廊の件だが」

 はっと如月が手を止めた。

「一般客が間違っても入り込まないように出入り口を改装した。内装もほぼ完了している。もう絵も運び込んであるから、いつでも好きなときに見に来ていいぞ」

 如月が高遠の方を振り返った。

「ありがとう、社長さん。実は、仕事に出発する前に、一人だけ、親父の絵を見せてやりたいやつがいるんだ。そいつ一人だけに、見せてやっていいかな」

 誰のことを言っているのか、高遠には想像がついた。きっと、如月が初めて持つことができた普通の友達、深町和海という少年だろう。

 彼の兄の職業を考えると、それは賢い行動とはいえなかったが、高遠はあっさり頷いた。

 高遠がポケットから取り出して投げた鍵は、パシッと乾いた音を立てて如月の右手に収まる。

「いいさ。もう、お前の画廊なんだからな」

 さんきゅ、と笑顔を見せ、如月は来たときと同じように全く音を立てずに高遠の前から立ち去った。


 ***

 

 次の日。学校は休みだったが、如月は早起きをして、高遠が用意した画廊に向かった。

 TAKATOカンパニー本社ビルに隣接したメインの画廊の奥にそれはあった。

 以前は倉庫として使われていたというその部屋には、出入り口らしきものはない。だが、よく見れば、どう見ても掃除道具入れか何かのようなそっけない木の扉から出入りできるようになっている。

 出入り口の鍵は社長室のマスターキーのほかは如月が預かった鍵しかない。早速自分の鍵で扉を開けると、中はきちんと内装が施されており、小さいながらも洗練された空間が広がっていた。

「わあ。なかなかいいじゃん」

 ピュー、と尻上がりの口笛を吹きつつ、如月は父親の絵の荷解きを始めた。業者に頼まなかったのは、高遠と如月の関係が万が一にも漏れないよう用心のためだ。

 自分が買い集めた絵を一つ一つ取り付けていく如月の胸に、父親が今どこでどうしているのかという不安がよぎる。

 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない、と無理やり押し込め、誰もいない画廊の中で淡々と作業を続けた。


 昼過ぎ。漸く満足がいく配置に絵を取り付け終わった如月は、和海に連絡を取った。どうしても今回の仕事の決行前に和海にこの画廊を見せたかった。

 今晩の便で発たなければ、海外で開催されるオークションに間に合わなくなる。今すぐに和海が電話に出なければ如月の願いは叶えられることはなかっただろう。

『はい、深町です。……って、凌か?』

 いまどき珍しく携帯電話を持っていない田舎育ちの和海が、運よく家にいて連絡が取れたことに如月はほっとした。

「和海、久しぶり。元気?」

『ああ。それより、お前こそ、もう大丈夫なのかよ』

 そういえば、自分は病欠ということになっていたっけ。

「もうぜんぜん平気。なあ、和海、今からちょっと出て来れない? 見せたいものがあるんだけど」

『ああ。……いや、待てよ。お前、本当に大丈夫なのか? 男としても機能してるんだよな?』

「は? ああ。もちろん……(何の話だ?)」

『じゃ、もう完全に治ったんだよな。人にうつることもないんだよな』

「もう平気だって。とにかく、来てくれよ」

 やけに如月に会うことを心配する和海の様子に、いったいどんな病名で欠席の連絡を入れたんだよ、と高遠に心の中で文句を言う如月だった。



「お前の親父さん、個展をするくらい有名な人だったんだなあ」

 約束どおり来てくれた和海を画廊に案内した如月は、入り口で驚いたように発せられた和海の言葉に笑みを浮かべた。

「へえ。これが、お前の親父さんが描いてた絵か」

 和海自身、子どもの頃、如月の父親が絵を描いている姿は幾度も見たが、完成された彼の作品を見るのは初めてだった。

 如月と二人連れ立ってゆっくりと見て回る。

「これは、俺が七歳くらいのときかな。ギリシャの神殿に行ったとき描いてた絵。神殿よりも、空と海の色がきれいだったなあ。で、こっちは……」

 時々如月が絵を見ながら懐かしく語る話を、和海は興味深げに聞いてくれた。


 二十点ほどの絵をじっくり二時間近くかけて見て回った後、二人は画廊を後にした。

 腕時計を見た如月は出発の時間が迫っていることを残念に思いつつ、和海に別れを告げた。

「俺、もう行かなきゃ」

 まさか、海外に絵を盗みに行くとはいえないので、バイトだということにしておく。

 ああ、と返事をしつつ、和海は何かを思い出そうとするように空を睨んだ。

「和海? どうしたの」

 帰り道がわからないとか? まさかと思いつつ聞いてみると和海は首を振って、如月が思いも寄らない言葉を発した。


「俺、どっかほかの場所でもお前の親父さんの絵、見たことあるような気がするんだよなあ」


「……マジで?」

「ああ。ま、思い出したら知らせるよ。じゃ、月曜に学校でな!」

 バイトに遅れんなよ、と言って見送る和海と別れて、本当に時間ぎりぎりになってしまった如月はバイクで空港へ急いだ。


 猛スピードで信号をかわしながら、今回のオークションのことを一瞬忘れて、さっきの和海の言葉ばかり気になっている如月だった。



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