35.聞き込み
「如月? 休みですよ。なんか、おたふく風邪らしいです」
聞き込みを始めて五人目で、漸く如月凌のクラスメイトと行き当たった。目的の人物は、どうやら今週いっぱいは欠席であるらしい。
しばらく聞き込みを続けていた深町和洋刑事は、答えてくれた生徒に礼を言って別れながら、次の捜査方法を考えた。
警視庁の若手の有望株である深町和洋は、二日続けて夕方の下校時刻を狙って弟の和海が通っている高校の校門近くにいた。
聞き込みと言っても、正規の勤務時間に捜査できるほどの根拠は何もない。今のところ、空き時間や非番を利用して、下校途中の高校生たちに、弟のクラスメイトである如月凌について、私的に話を聞いているにすぎない。
如月凌は、和洋が二年前から追っている謎の窃盗犯一味の関係者である可能性が高い人物である。可能性、と言うよりも、一味の一人だと和洋自身は断定していた。
残念ながら掴んだと思った証拠は消えてしまったが、一度持った疑惑はそう簡単に払拭されない。和洋の、刑事としての勘はほとんど外れたことがないのだ。
ざっと聞き込みをして分かったところでは、如月については生徒の大半が知っており、その評価は大きく二つに分かれる。
一つは、不良の問題児だという意見。
一年の頃から上級生相手に乱闘騒ぎを繰り返し、遅刻に無断早退はほぼ毎日。授業はサボるか寝ている。放課後は、繁華街のあまり柄のよくない通りで禁止されているバイトをしていると言う者もいれば、毎晩いかがわしい店に出入りし、夜遊びをしているという噂もある。
そのほとんどが目撃者も多く、信憑性の高い証言だった。これらは特に、如月と違う学年の生徒から得た情報だ。
また、こんな興味深い証言も得られた。見た目からして素行がよくない感じの柄が悪い三年生数人の話である。
『如月ぃ? 生意気なやつだぜ。一年の頃から上級生をぼこぼこにして何人も病院送りにしやがってよぉ。俺ら、もう卒業だから今さらやつとやりあう気はねぇけど、この間だって、バーガーショップの裏で因縁つけてきやがって。何もしてない俺らを脅しつけていきやがったんだぜ。あいつ、そのうちやばいことやらかすに決まってるぜ』
和洋は、数に物を言わせそうなこんな柄の悪い高校生を決して好ましく思わない。彼らの言い分を鵜呑みにしたわけではないが、こういう類の連中と関わりがあったという事実は記録しておくことにした。
いろいろと不穏な噂を立てている如月だが、唯一つ、『如月には年上の男の恋人がいる』という話だけが、信頼に値する裏づけがなく、噂の域を出ないものだった。如月の、授業をほとんど受けていないわりに勉強がよくでき、平常点を除くとダントツで学年の主席クラスだという成績のよさが招く妬み半分のデマかもしれない。そう和洋は判断した。
これらの生徒の意見は、以前、如月を飲み屋街で補導しかけて逃げられた和洋が持つ彼の印象と、ほぼ合致するものだった。
だが、もう一つの意見はそれとは全く異なっていた。
それらは、主に、如月のクラスメイトから取れた証言である。
彼らによると、如月はもともとはかなりの不良だったが、最近は転校生の影響で更生しているという。ここしばらくはサボりも遅刻も無断早退もない。それに、先日行われたクラスマッチでは大活躍をして、クラスでも一目置かれるようになったというのだ。
『バスケもすごかったけど、駅伝のときはもっとすごかったぜ! 走れなくなった早坂の代わりに学ランのまま飛び入りして、前のやつらをゴボウ抜き! ゴールで倒れるくらい全力で走って、わがC組に勝利をもたらしたんだぜ』
興奮した様子で語る男子生徒の言葉を手帳に書きとめながら、和洋は相対する二つの意見に頭を悩ませていた。
如月凌を更生させた転校生というのは、恐らく弟の和海のことだろう。
和海自身は、如月は不良ではないと言っていた。いったい本当の彼はどういう人物なのか。本当に俺が睨んだような危険人物ではないのか……。
考え込む和洋の目の前を、ひょろりと背が高い男子生徒が歩いている。かばんを脇に抱え、学ランのポケットに両手を突っ込んでうつむき加減に歩く姿は、思い悩む何かがあるように見えた。
辺りには下校する人影も少なくなってきた。よし、この少年に聞き込みをして、今日のところは引き上げよう。そう決めた深和洋は、目の前の少年に声をかけた。
「如月? そりゃ知ってるけど。クラスメイトだし」
吉村篤志と名乗ったその少年は、始めは警戒心をバリバリに出していたものの、だんだん気持ちが緩んできたのか、いろいろ話してくれた。その中身は、ほとんどは今まで聞いたとおりのエピソードだった。
最後に、最近のことで彼と何かあったかと聞いたとき、思いがけないことが起こった。突然吉村少年の顔がくしゃっと歪んだのだ。
「俺……、実は、如月に悪いことしちゃったんだ」
「どんな?」
「あいつ、俺が先輩たちに囲まれてぼこぼこにされそうだったとき、助けてくれたんだ。でも、俺、そのときのあいつの迫力が怖くなって。友達なのに、あいつに怯えた態度を出しちゃったんだ。おまけに、助けてもらった礼もまだ言ってないし……」
熱い男、吉村は、スポーツ以外でも生活全般において感情の触れ幅が大きい。話すうちに興奮してきて肩を震わせ始めた。
自分と同じくらい背が高い高校生が泣き出しそうな顔をするのを見て、和洋は戸惑った。もはや、聞き込みどころではない。
「まあまあ、落ち着いて。それで、彼は、君に対して怒って何かしてきたのかい」
「いえ、何にも。ただ、なんだか最後に見たあいつの顔が、傷ついているように見えて……。俺、そんなつもりなかったのに。ちょっとびっくりしただけなのに」
結局、泣き出した吉村少年のために、ハンカチを二枚消費し、さらに落ち着くまで喫茶店でコーヒーをおごる羽目になった深町和洋刑事だった。