33.父の絵
高遠から新しく伝えられた父親の絵の情報に、如月の心は躍った。
放浪画家の如月創一の絵は世界の各地に散らばり、息子の如月が覚えているものでも、すでに所在不明のものが多い。富豪や有名な美術館に買い取られるならまだしも、彼のように旅先で路銀を稼ぐために描くこともあれば、名もない小さな施設にただ同然で置いてくることもある画家の作品を探すのは難しい。
それが、続けざまに見つかったということは驚くべきことだった。高遠が旅先から慌てて戻り、知らせてくるのも無理はなかった。
だが、高遠の言葉には、如月の心に引っかかるものがあった。
「……違法オークション? そりゃどういったものなんだ」
如月の問いに、高遠はすぐには答えられなかった。
***
高遠にその情報をくれた絵の仲介業者は、今までに彼と何度か違法すれすれの絵の取引をしてきた男だった。
『これと同じ作者の絵に興味はないですか』
所謂お得意様である高遠が、今回如月創一の絵を求めてきたので、今後も取引が継続できるようにと思ったのだろう。抜け目のないその男は、人気の絶えた画廊の片隅で、大げさに声を潜めながら聞いてきた。
二つ返事で、詳しい情報を求めた高遠は、話の区切りにいくらかの金を掴ませながら、男から話を聞き出した。
『……なに? 贋作コレクション、だと』
驚く高遠を見て妙に癇に障る声で笑い、男は続けた。
『ええ。違法なので、表には堂々と出せませんがね、わりと収集家がいるのですよ。今回は、有名どころの絵ばかりを集めました。すべて贋作ですが、それなりに力のある画家が描いたものが多くて、結構値打ち品もあります』
まあ、この絵が世に出れば、どんなに力があっても贋作画家ってレッテルを貼られてしまいますがね、と、男はまた鼻に付く声で笑った。
『その贋作画家の中に、この絵の作者もいるっていうのか』
買ったばかりの如月創一の絵を示し、高遠は驚きではり付くのどから声を出した。
如月の話では、彼の父親は贋作に手を染めて金を稼ぐような人物ではなさそうだったが……。
だとすると、これは息子の如月も知らない類の絵なのか。それならば、父親の失踪後の足取りを追う手がかりになるものなのかもしれない。
今までと違う、新しい情報を手に入れ、高遠の胸は高鳴った。早く如月に知らせてやらなければ。気持ちが逸る。さらに男に金を掴ませ、高遠は詳細を聞きだしていった。
後の詳細は自分が調べた方が確実だというところまでオークションのことを聞きだした後、画廊から立ち去ろうとする高遠の耳に、最後にぽつんと呟いた男の声が届いた。
『如月創一って言うんですよ。その絵の作者。いい絵を描くと私なんかは思うんですがね、金のために画家の魂を売り渡すなんて……。まあ、わたしらとしては、金になればどうでもいいんですがね』
これだけは、笑いを含まない、心底残念そうな声だった。
***
「贋作コレクション? 親父が贋作を描いたってのか……」
高遠からそれを聞くと、呻くように如月は言った。
淡々と詳細を告げる高遠の声がわずかに止まる。そんな自分を高遠は苦々しく思った。自分が、仕事に感情を交えてどうするのか。せっかくの情報だ、彼がどう思おうとも知らせてやらなければならない。
一瞬後、また何事もなかったように説明を続けようとする高遠の声を、如月が遮った。
「ちょっと待って。まず、その、出品される予定の親父の絵がどんな絵なのか見せてくれ」
落ち込んでいるかと思いきや、意外にも力のこもった声だった。高遠は説明を中断し、彼の言うとおりに資料を繰った。
大丈夫、如月に動揺はないようだ。いつもの状態の彼なら、仕事上で最も信頼できる相手だ。
「ええと、ちょっと待てよ……。何しろ、違法出品物だからな。現物の写真はないが、元作品の資料はある」
高遠は、すでに起動していた、デスクトップのパソコンを操っていくつかの画面を表示した。様々な角度から映されたその絵画は、芸術にいくらか造詣のある高遠が目にしたことがある有名な画家の作品だった。その絵の違法な複製を、如月創一が手掛けたというのだ。
パソコンデスクの両脇に手を付いて、いくつもの画像が重なるディスプレイをしばらくじっと見つめていた如月は、やがて顔を上げ、にやっと笑った。
「こっちの絵が偽者だな」
父親のタッチとよく似たその絵には見覚えがあった。
全く同じ構図で、昔父親がかなり力を入れて仕上げた作品。自分でも気に入っていたようだったが、旅先で息子が熱を出し、治療費が入用になったとき、ある裕福な画商の息子に売ったという。
幼かった如月は、体調が回復したとき、父親が打ち込んで描いていた絵が部屋にないことに気づき、泣き喚いた。だが、絵を売ったことを当人の父親が全く気にした様子がなかったので如月もその出来事の記憶はだんだん薄れていき、今まで思い出しもしなかった。
それでも、如月は記憶の底に、この絵を寸分違わず覚えていた。
制作者の資料に書かれた、当時そこそこ力がありながらも作品制作が停滞していたある画家が、有名なこの作品を発表した時期というのが、父親が絵を売った一年後であった。世の中の知名度では全く無名に等しい父親の絵がオリジナルで、画家の絵が贋作である、という確信が如月にはあった。
「親父の絵を贋作呼ばわりするとはね……。おもしろいじゃん。この仕事、気合を入れてやらせてもらおうじゃないの」
如月は不適な表情でにやりと笑う。
目の前のことをとことん楽しむいつもの如月の様子に安心しつつも、そのとばっちりで散々振り回されてきた高遠は、この仕事に一抹の不安を感じたのだった。