2.仕事の後で
もう、数時間で夜が明けようという時間。
彼は、ネオンが煌く街中を上機嫌で歩いていた。さっきのこそ泥少年――名前は如月凌。
厳重に警備されたビルへの不法侵入をいとも簡単に果たした如月は、明日三学期の始業式を迎えようという高校生である。
にも拘らず、彼は今かなりいい感じに酔っ払っている。
「やっぱり、日本はいいよな」
美人多いし、とくすくす笑いながら如月少年はさっきまで飲んでいた店の女の子たちを思い出してしまりのない顔になる。
彼は冬休みを利用して外国であまり表沙汰にできないような仕事をこなし、昨日帰国したばかりである。
「街は清潔だし、治安がいいから、絡まれないし♪」
まあ、表通りだけだけどな、と心の中で付け加えつつ、夜明け前の繁華街を軽い足取りで歩き続ける。
「あ、でも、治安がよすぎるのは困り者だな。いちいち補導されてちゃ、かなわねえよ」
ふと、思い出したように如月は苦笑いを漏らした。
昨晩、さっさと仕事を終えた後、繁華街で飲み屋を物色しているとき、私服警官に補導されかけたことを思い出したのだ。
雰囲気からして補導担当ではなく、刑事なのだろうが、おせっかいもいいところである。まあ、明らかに未成年が飲み屋街を深夜にうろうろしていれば無理もないと言えたが。しかし、夕方の航空便で日本入りしてすぐに仕事にかかることになり、まともに食べていない身としては、はいそうですかと補導されてやるわけにはいかない。
そこで、少し変装することにした。
刑事を撒いた後、如月は、先ほどのいかにもラフな格好ではなく、高級感のあるスーツ姿に着替えていた。顔自体はいじっていないので、あくまで雰囲気だけだが、髪形もそれらしく変えてみると、ぎりぎり成人に見えないこともない。さっきまでは鼈甲ぶちのめがねもかけていたので、若手実業家くらいに見えたかもしれない。
というわけで、彼はめでたくネオン街を満喫することができたわけだ。
歩き続ける如月の前方に駅が見えてきた。
すばらしい記憶力を自負する彼の頭には、この駅を発着する電車の時刻表は頭に入っている。もうすぐ始発が入線する時間である。
そろそろ仲間のもとへ成果を報告に行かなければならない。
(あー、でも、社長さん怒ってんだろうなあ)
なんとなく足が重くなる。
何しろ、彼が一方的に切った通信を一方的に再開したときの相手が、かなりうっとうしかったのだ。やれ、無茶が過ぎるだの、もし失敗していたら……云々。うんざりして途中からこっそり耳からイヤホンをはずしていた。
非常に口うるさい如月の仕事上の協力者。名前は高遠朗。
こちらは裏表満遍なく日本国内でおそらく知らない者を探すほうが難しい人物だ。
大手IT会社代表取締役という地位からもわかるように、若いが有能。彼の会社は海外とも多数の取引を持つ。国内長者番付十五位。下手な芸能人よりも顔が売れており、その顔も芸能人ばりに秀麗。
仕事ぶり、そして、仕事関係者への応対振りから窺える彼の人柄は冷静沈着、冷酷無比。しかし一歩踏み込めば、大変情に厚く、鬱陶しいほど暑苦しい人物であることは彼に近しいほんの一握りの人間しか知らないだろう。
(心配かけてるってのはわかってるんだけど。どうもなあ…)
ため息を吐きつつ、如月は、高遠社長との待ち合わせ場所に大幅に遅れて足を向けたのだった。