16.刑事の勘
「申し訳ありません。先ほどから申し上げていますように、社長は所用で外出中でして、まだ帰社しておりません」
「そうですか。早く帰ってくるといいのですが。警察も暇じゃないんで」
警察、という言葉に受付の女の子が困った顔をする。
それはそうだろう。一流企業にとって、警察が捜査に来るということは醜聞にしかならない。悪いな、と思わないでもなかったが、それよりも散々待たされているいらいらの方が勝っていた。
何度目かわからないくらい繰り返されたやり取りにうんざりしつつ、深町和洋は再び待合室のソファーに腰を下ろした。
(これは……多分、いるな)
刑事の勘とも言うべき深町の見立ては大概外れることはない。相手が居留守を使うということは何かやましいことがある証拠である。
***
警視庁の同期の中でも、若いながら優秀だと実力を認められている出世街道まっしぐらの深町和洋刑事が、その有力な情報を手にしたのは昨日のことである。
ここ数日ずっと一斉検挙の後始末に追われていた深町たちの捜査チームは、その日、裏組織に資金提供をしていたとして摘発されたWALコーポレーションの幹部から裏を取るために取調べを行っていた。
深町たちがずっと追っていた裏組織の犯罪を、警察にリークしたのはなぜなのか。また、誰が行ったのか。普通、これだけの大規模な組織が相手だと報復を恐れて、警察に情報を持ち込むなんてできるものではない。
「なかなか口を割りませんね」
後輩刑事の磯崎が閉口するくらい、情報がなかった。幹部連中の誰もが口をそろえて知らないと言うのだ。
「……こうなると、いよいよやつらの仕業っぽいですね」
犯罪者だけを狙う窃盗犯。被害届が出されないため表向きは捜査ができない謎の一味。先日WALコーポレーションでの犯行の際、彼らが警察にこの会社の悪事の証拠を送りつけてきた可能性も考えられる。何の目的でそんなことをしたのかはまったくもって不明であるが。
だからと言って、深町は彼らを見逃すつもりはない。今回の件が彼らに繋がっているのならなんとしてもその糸を手繰り寄せ、彼らを白日の下に引きずり出してやりたかった。
「こいつでとりあえず、最後だな」
いつの間にか外は真っ暗になっている。深町に応援を頼まれて、もともと非番だったにも関わらず喜んで出てきていた後輩刑事は先ほど帰らせたところだった。何の進展もないまま一日潰れたというのにぜんぜん気にする様子もなく、またいつでも呼んでくださいね先輩、と笑顔全開で帰っていった。
そして、深町は薄暗くなってきた取調室に入り、WAL社の情報処理担当者だったという男の前に座った。
淡々と取り調べは進んだが、やはり情報を警察に漏らした人物の名は出てこなかった。ただ、それが間違いなく本社ビルの、何重にも警備を施された社長室から送信されたものであることの裏が取れただけだった。あんな化け物じみた警備を破って進入できるなんて信じられない、とその会社独自の警備システムにも携わっていたという男の呟きを聞きながら、深町は取調べのファイルを閉じた。
もう行っていいぞ。明日またみっちり聞くからな、と声をかけようとした深町に、男はふと思い出したように聞いた。
「ところで、TAKATOカンパニーの例の情報はもう出回ってるんですか。高遠朗も一気に失脚ですよね」
ふふふ、と暗い笑いを浮かべる男に顔をしかめつつ、深町は返した。
「なんのことだ。TAKATOってあのやけに顔のいい社長がいるでかい企業か。別に変わりはないぞ」
途端に男は目を見開いた。
「そんな馬鹿な!俺が苦労してハックしたあの情報を流されて無事でこの世界を渡っていけるはずがない」
興奮する男からどうにか引き出せた情報によると、彼は不正操作を重ねてTAKATOカンパニーのメインシステムにアクセスし、世に出れば企業としては致命的となる情報を手に入れたそうだ。何度もそれをネタにトップの高遠社長を脅したのだが全く相手にされず、近いうちに最も効果的な形で情報を公開してやろうと思っていた矢先、警察による一斉検挙が行われたというわけだった。
それを聞いた深町が最初にとった行動は、目の前の男の容疑に『不正アクセスによるハッキングと恐喝』と付け加えることだった。こういった小狡い犯罪者が深町は大嫌いだった。
その後、本当にそういった情報がWAL社のメインコンピューターに入っているのか確かめたが、一切出てこなかった。出たのは、この男がTAKATOカンパニーのシステムに不正に侵入した形跡だけだった。
「その男の狂言じゃないのかい。この際、ライバル企業の醜聞をでっち上げて一緒に引き摺り下ろそうっていう」
あの会社の社長さんも若いながら敏腕だから、いろいろ恨みを買っていそうだからねえ、と、捜査に協力してもらった情報処理専門のベテラン捜査員は笑った。
「そうですね。TAKATOって企業はたぶん関係ないんでしょうが、一応明日行ってみますよ」
「ああ。ごくろうさん。……まあ、もし本当なら、その企業の情報ってやつも謎の情報提供者が頂いて行っちまったのかもしれないしな。存分に調べてみろよ」
お疲れさん、と軽く手を振って、捜査員は帰って行った。それを見送りながら、深町はさっき彼が言った言葉を反芻していた。
(もし、その情報が本当にあったとしたら、謎の情報提供者……あの姿を見せない犯罪者たちに繋がっているかもしれない、か。TAKATOカンパニー、高遠朗……調べてみる価値があるかもな)
そういうわけで、深町和洋は、ここ、TAKATOカンパニーの待合室に座っているのだった。
そして、漸く。
「お待たせしました。社長室へご案内します」
恐ろしく美人でありながら、恐ろしく冷たそうな『水城』というネームプレートを付けた秘書の女性が深町を促した。
その、わずかながらの対談の結果、やはりまったくと言ってよいほど高遠から強請られるネタとなった情報について聞き出すことはできなかった。
そもそも、WAL社が隈なく捜査されたときにもそういう情報があった痕跡すらどこにも見つからなかったのだ。もしあの男の自白が本当であったとしても、肝心の情報は証拠も残さずきれいさっぱり持ち出されたことになる。
それにも拘らず、深町刑事の勘は告げていた。高遠朗は、何か怪しい、と。
表向きには無理だが、絶対捜査は続けよう、と深町は心に決めた。せっかく掴んだやつらへの糸口なのだから。