12.続く真夜中の会談
コポコポコポ……
小さな音ともに、対面式のキッチンスペースの方から香ばしい香りが漂ってきた。ふわふわとした湯気もカウンターテーブル越しに見える。
いつの間にか、如月が勝手に備え付けのコーヒーメーカーでコーヒーを淹れていた。
闇の組織や不正企業から決して少なくはない金額を手に入れているはずの如月は、それを生活のために使っている様子はない。詳しい事情は知らないが、親と暮らしてはいない彼は、バイトを五つも掛け持ちして自分の生活費を捻出し、普段は全く質素な生活をしている。
そのため、この部屋に来ると普段手にしない嗜好品を楽しむことにしているようだ。仕事のときの経費は高遠持ちなので少々生活の羽目を外すらしい。先日の高遠が頼んだ仕事の後も、必要経費と言って勝手に飲み屋での領収書も回された。能天気なようで、妙にしっかりしている。
「あ、社長さんも飲む?」
カップを片手に戻ってきた如月がソファに沈んだ仲間を見てキッチンに逆戻りする。
「……いい。やめておく」
如月の淹れるコーヒーが旨いことは知っていたが、今の自分の胃にはよくないだろう。
「ところで、今日はどうしたんだ。やけに来るのが早かったじゃないか」
如月が戻ってくる前に、ちらりと腕時計を見た高遠は怪訝な顔で聞いた。たしか、彼は十二時までバイトだと言ってなかったか。
そもそもこの時間を指定してきたのは如月の方だった。昼間に高遠は緊急の用事で、授業中であろう彼を呼び出して情報を渡した。その後バイトだからといったん話を切り上げた如月から、続きはバイトの後に頼むと連絡があったのだ。
彼が遅くまで働いていることは知っていたので、この時間で承諾したが、早い時間でもかまわないなら始めからそう言って欲しかった。
「ああ、いろいろあって、早めに上がったんだよ。連絡しなくて、ごめん」
自分の分のカップだけを手に再び向かいに腰を下ろしながら、悪びれずに如月が言う。ちょっとむっとした高遠だったが、如月がすぐにも話を聞きたい様子だったので、手っ取り早く本題に入ることにした。
彼の気持ちもわかる。何しろ、自分の父親に関する情報なのだから。
「昼間に渡した情報だが、あれから裏も取った。間違いない。お前の父親、如月創一の絵が売りに出されている」
如月はじっと高遠を見つめた。いつも楽しげな瞳に真剣な光が揺れている。
「……どんな絵?」
「ああ。南フランスの方の市場を描いたものだそうだ。その市は今は開催されていないようでな。何でも、その市が最後に立った日に描きあげたんだと。そのため、べらぼうな値がついている」
それを聞いて、如月は目を閉じた。何を考えているのだろうか。しばらく沈黙が続く。やがて、ゆっくりと目を開けた。
「それ、知ってる。五年前……たしか日本に来る直前に売れたやつだ」
ふっ、と軽いため息を吐く如月の横顔を見て、高遠は思わず目を逸らした。彼の手にしっかりと握られているコーヒーカップにもう湯気は見えなかった。
如月の父親は放浪の絵描きだったという。詳しい事情は高遠にはわからないが、五年前、日本に来たのを最後に彼の父親は行方不明になっているらしい。
そして息子は危険を冒して手に入れた金で父親の絵を買い集めている。父親の手がかりは彼があちこちの町を訪れては描き残した作品だけ。如月にしてみれば、できれば、失踪以後に描かれた絵を手に入れたいのだろう。絵から、失踪者の足取りを追う、なんて簡単なことではないことは重々承知ではあるだろうが。
父親の絵の情報が入る度に、如月は祈るような思いでどんな絵かを確かめる。
如月の記憶は完璧だ。父親と旅をしていた頃の絵は全て見て覚えている。もし、見覚えのないものだったら、それは失踪以後のものだということだ。
しかし、今のところそういう絵には行き当たっていない。それどころか、失踪以後に父親が絵を描いたのか、もっと言えば絵を描ける状態にあったのかということすらわかっていない。全部承知で、それでも如月は父親の絵を集め続ける。犯罪行為に手を染めてまで。
高遠は、いつものように自分の取り分を受け取り、彼に協力をするだけだ。
「……で、そのための資金はどこから頂戴するか、もう目星はついてるのか?」
すっかりいつもの調子に戻り、如月が高遠に尋ねる。そして冷めたコーヒーをうまそうにすすった。如月自慢のコーヒーは冷めてもおいしいのだ。
「それは今調査中だ。でも、やはり今回も絵の購入資金が入るのか? お前、冬休みに海外で結構な金額をいただいたばかりじゃないか」
高遠が思い出したように訊く。確か、彼は冬休み中に金が入用だったので高遠のサポートなしで仕事をしたのだと言っていた。絵の代金のほかにまだ金を使って何かしているのか。
だが、それが彼自身のためでないことは間違いない。大金が入ったというのに相変わらず如月は忙しくバイトに出かけ、高遠が借りた仕事用のこのマンションで備品のコーヒーを飲む、まったく無駄のない生活を送っているのだから。今も、高遠が飲まないのならもったいないと、深夜にもかかわらず二杯目のコーヒーを無理して飲みながら、如月はにやっと笑う。
「あの金はもうない。だから、また稼がなくちゃな。じゃ、情報よろしく」
明日も学校があるからもう帰る。遅刻しちゃ大変だからな、などといつもの素行から考えて有り得ないことをほざきながらあっという間に如月は部屋を出て行った。