泣き虫のマリー
モニターに途中まで入力された文字、キーボードの上においてある指は動かない。
構想は浮かばない、設定は思いつかない。
無意味な焦燥感が背後から迫って来る。誰かに求められているわけでもない。締切もない。
何か物語を書きたいが、書きたい物語はない。
モニターの明かりが消えた。
黒い画面の向こうには何もない。まだ何もない。
モニターに途中まで入力された文字、キーボードの上にある指は時折動く。
とりあえず、とにかく、どうにか手を動かす。
そこから何かうまれるかもしれない。うまれないかもしれない。
欠片だけが積み重なっていく。
かき集めた欠片は、いつまでも欠片のまま。
モニターの明かりが消える。
黒い画面の向こうには何もなくなった。
モニターに入力された文字、キーボードは不規則に軽い音をたてる。
空っぽの何かから空っぽの何かがうまれて、だらだらと文字が列をつくる。
文字の欠片は列になり行になり積み重なる。
積み重なった塊は、いまだただの塊のまま。
空っぽの塊に、薄い皮のように文字がはりつく。
何が足りない、何を足せばいい、空洞はどうすればいい。
文字は重なって山のように、壁のように、どこかの砂漠の塔のように。
住む人も物もない塔は、飾り立てられた外側を風雨にさらす。
そこは、崩れ去っても誰も惜しまない、誰も気づかない、誰も悔やんだりしない、空ろな塔。
例えば、その塔に誰かが住んだとしよう。
誰かはそこで喜びや悲しみや怒りや哀しみを経験するのだろう。
飾り立てられた外側とは裏腹に、まだ何もない内側でどんな経験をするのだろう。
例えば、その塔に住む誰かに名前をつけるとしよう。
マリーという名の誰かは塔の内側で、精一杯生きようとする。
何もないところから何かをうみだして喜ぼうとする。
何もないのに何かをなくして悲しもうとする。
何もないことに怒ろうとする。
何もないけど楽しもうとする。
空洞の内側で、空っぽの何かが虚しいものを積み上げる。
例えば、気が付いたら塔の内側がすこしづつ何かで埋まっていっているとしよう。
そこで過ごそうとしているマリーの経験は、つくりものの経験は、空洞を少しづつ埋めていく。
マリーは塔を埋めていく。
悲しいこと
怒りたいこと
楽しいこと
うれしいこと
塔はもうすぐいっぱいになる。
塔はもうすぐ完成する。
例えば、例えば塔が完成するとしよう。
中身いっぱいの塔の頂上で、マリーはどうするだろう。
喜びの歌声
悲しみの悲鳴
怒りの怒号
楽しみの歓声
それら全てをひっくるめて、一つの声をあげるのだろう。
例えば、塔は完成した。一つの世界が完成したとしよう。
マリーは初めての声をあげる。
それはきっと泣き声だろう。
これまで全てをひっくるめて、産声をあげよう。
精一杯の、大きな声で。
泣き虫の、マリー。