7 ズタボロになるまで止めません
大星窟を出て三日後、俺は大断絶へとたどり着いた。
大荒野は……なんていうか拍子抜けだった。
魔物も大して強くなく、荒野に適応した大サソリとか擬態した草花系の魔物だとかが多い。サーラから弱点も聞いていたし、そんな苦労せずに倒すことができた。
大断絶は、その昔、創竜神と邪竜神ーーまあサーラのことなんだが、その二柱の戦いの余波で生まれた土地らしい。大陸の一部が削り取られて生まれた土地だ。対岸が見えないところがほとんどで、吹き上げる風で飛んで渡るのも難しい。
そのせいで、マトモな方法で通れるルートが3箇所しかない。そのうち、この神国ルートは「竜の谷」と呼ばれている。
目の前には大きな谷があるが、他の場所とは異なり、対岸が見える程度の長さだ。風も強くはなく、底も見える程度の深さで、頑張れば降りれるかもしれない。
そして何より、空から谷底まで、多くの竜が飛び回っていた。
……壮観ってやつだな。色んな竜が入り乱れて飛んでいる。こんな光景を見られるだけでも、異世界転移して来れてよかったかもしれない。
しばらく見上げてると、一匹の竜が空から降りてきた。そして、俺の目のまでくると、そこでホバリングをし始めた。深緑の体が美しい、立派な風格のある竜だ。
……風竜か。
風竜は、竜種にしては小柄である。
とはいっても、成体で3メートルにはなる。大きな翼膜に、長めの首。ワイバーンと似ているが、脚が逞しいところと、体色が緑なところが違う。何より、亜竜と真なる竜とでは、その風格が異なる。断然、格好良い。とても良い。
ーーと、そんなことを考えてると、
「私は風竜王ヴェントゥスの仔ゲイルである。貴公は何用でこの地に足を踏み入れるのか」
少し中性的な声質。とても美しく凛々しい声だった。
自然と、俺の背筋も正された。
「私はカナタ=ヤナギと申します。闘竜神サーラの下で修行を積んでいました。世界を旅するため、竜の谷を通らせていただきたいと思っています」
「ほう」
フードをとって挨拶した俺を、ゲイルさんは目を細めて見つめてくる。
「サーラ様のところから来たのならわかっているだろう。ここを通るための方法を」
「ええ、知っています」
竜の谷を通るための方法。それは、谷に住まう強い竜に、その強さを認められること。
背に吊るした剣を手に取り構える。
「いつでも構いません」
「では行くぞーー!」
同時、ゲイルさんの咆哮が木霊し、ビリビリと空気が震える。
魔力を上乗せし、その声自体が武器となっている。威圧する力も増しているように感じる。
「でも、この程度なら効かない」
俺が浴びてきたサーラの咆哮は、こんなもんじゃない。
咆哮が効いていないことを悟ったゲイルさんは口を開き、風の魔力を纏ったブレスを吹いた。
大剣を振り上げ、ブレスのタイミングに合わせて振り下ろす。ブレスは掻き消え、微風程度に弱まる。
それも効かないとなると、ゲイルさんは真っ直ぐに俺へと飛びかかってきた。口を開き、咬み殺そうと向かってくる。
「見切ってるよ……!」
切り上げの剣圧で、ゲイルさんの動きを阻害し宙に留め、魔力を込めた蹴りを腹に入れた。
「うぐっ!!」
といううめき声を上げ、ゲイルさんの動きが止まる。
その隙に、大剣を腹に叩き込む。
一瞬、魔力防護に止められるが、すぐにそれを突き破り、腹へ攻撃が届く。硬質な表皮を破り、肉を斬り裂く。
「ぐおおおおお!!」
魔力を乗せた悲鳴が響く。一瞬硬直するが、すぐさま後ろへ飛び退き、噛みつきを避ける。
俺の一撃は、内蔵までは届かなかった。
たがしかし、傷口からは赤い血が滴り落ちる。軽傷ではないように見える……が。
「ちっ、やっぱりダメか」
煙を上げながら傷口が塞がって行く。
竜と亜竜は、どちらも魔力を持つ。この二種の大きな違いは、竜が必ず持つ魔力防護と高速自動修復にある。
前者は竜を包み込む護りの壁であり、後者は傷つくと同時に発生する疑似治癒魔術だ。この二つのおかげで、竜は凡百の亜竜とは隔絶した強さを持つ。
そんなわけで、先ほどの攻撃もゲイルさんに効いた様子は無い。
「なかなか鋭い一撃だった。だがしかし、その程度では、私には届かないぞ!」
吼えるゲイルさんを睨みつけながらも、俺は挑戦的な笑顔を作る。
「望むところです!」
竜相手にもちゃんと戦えている。修行の成果が、間違いなく出ている。自分の努力が報われていることを実感するのは、毎度のことながら楽しいな!
ゲイルさんは、空中を縦横無尽に高速移動しながら、俺を攪乱し始めた。
「……速い」
ワイバーンよりも、ずっと速い――何とか視認できるし、気配も読める。だが、どうにも規則性の無い動きで、俺の速さじゃ捉えようが無い。
今の俺が竜を倒すには、自動修復する暇を与えない程の波状攻撃を仕掛けるか、自動修復の必要がない程の重傷を負わせるか。
今回は、相手に認めさせるための戦闘。ならばーーこれならどうだ!
火弾をできる限り創成。数百個の火弾を、全方位に一斉掃射。
しかしこの火弾では、ゲイルさんの魔力防護を破ることができない。ほんの少しだけ、動きを止めるくらい。
だが、それで十分!
俺の持てる最高速の火弾を、できる限り高威力にして放つ。火弾はゲイルさんが逃げる間も無く一瞬で魔力防護に届き、貫き、そして爆破した。
「うぐ……!」
「まだまだいくぜ!」
先ほどと同じ威力で、しかし数は増やして絶え間なく撃ち出す。マシンガンのように撃ち続け、相手に身動きを取らせない。
「ぐおおおおおおお!!」
ゲイルさんが吼える。どうやら、連続で着弾する火弾に対して、恒常的に展開している魔力防護とは別に、防御魔術を行使しているようだ。
そんなもん焼け石に水だ!
「まだまだぁ!!」
――ひたすら撃ちまくり、どれくらい経ったか。
魔力をほぼ使い切り、弾幕が張れなくなった後、爆煙の向こう側でぼろぼろになっているゲイルさんを視認した。ふらふらとホバリングするのが精一杯の様子。翼膜は大きく傷ついた箇所がいくつもみられ、体表もボロボロ。右目は潰れて血が流れ、爆発による衝撃で体の至る所から血が流れ出ていた。
「……カナタとかいったか。おぬし、一体何者だ?」
ぼろぼろの状態のゲイルさんが、俺に問うてきた。
……どういう意味だ?
「……闘竜神の弟子ですが?」
「いや、儂は本当に人間なのかどうか聞きたかっただけなのだが……」
勇者になり損ねた男は、確かにただの人間ではないか。
「ま、まあ良いわ。多少油断が無かったとは言わんが、まさかこうも一方的にやられるとは思わなかったのでな」
「あー」
まだ本気出してないでしょ?とは、さすがに突っ込まない。魔力的には、もっと強いはず。俺の『竜殺し』込みで、ほぼ同格ではないかと思う。
「まあ、特殊なスキル持ってますので」
「特殊なスキル?」
勿体つける必要もないし、俺の強さの源である『竜殺し』について説明した。
「ううむ、そのようなことが……すまないが、私の一存では、どうにもできない。他の方に確認しても良いか?」
「はい、構いません」
「では、すまないがここでしばらく待ってくれ」
と、会話中に少し治った体をゆっくりと動かし、谷底へと消えて行く。
……つーかなんであれだけズタボロにしたのに、治り始めてるんだろうか。あの弾幕でも無理となると、何とか隙をついて大剣で重傷を負わせるしかない。
他の竜達は、俺を遠巻きにみている。俺たちの戦いをみていて手出しできないと思った……というよりは、ゲイルさんの確認待ちって感じか?
大剣を地に差し、その場に胡座をかいて座る。どうせ魔力切れでマトモに身体強化もできないのだから、待つしか無い。
しかし、ここはホントに竜が多い。これだけの竜に囲まれていれば、確かに人は通らないだろう。
この世界の人々にとって、竜は特別な存在だ。実際、この世界の神は竜なのだから、それも当然だろう。亜竜はともかく、純粋な竜種は敬意や崇拝の対象になっている……サーラみたいな例外を除いて。
そんなことを考えていると、谷底から尋常じゃない気配をした何かが上がってくるのを感じる。
これは……もしかして、サーラやルナさんと同格か?
その後すぐ、ゲイルさんが戻ってきた。
ゲイルさんが伴ってきたのは、日本や中国の伝説に出てきそうな、蛇みたいに体の長い竜だった。全身の鱗が青色に輝く美しい体躯に、小さな腕。翼は無く、魔力で泳ぐように空を飛ぶ。今も体を揺らめかせて宙に浮いていた。立派な角と長い髭がカッコいい。
「待たせて済まない。この大陸を統治する水竜神のシュイ様だ」
ミストラル大陸を統治する竜神。話には聞いていたが、竜の谷にいたとは。
……サーラめ。わざと教えなかったな。
「ようこそ、カナタさん。ルナから話は聞いているよ」
「お初にお目にかかります水竜神様」
「固くならなくて良いよ。サーラやルナと同じように接して欲しい」
「……わかりました、シュイさん」
「そんなところかな」
そう言うと、シュイさんは俺の目の前でとぐろを巻いて座る。ゲイルさんは、その隣に降り立つ。
「結論から言うと、君がここを通ることは全く問題ない」
「……あ、そうなんですか?」
ちょっと拍子抜けした。『竜殺し』のスキルがあるから勝てただけで、実力は認められていないのとばかり思っていた。
「スキルも実力のうちだからね。その点は問題ないよ」
「その点、ということは、何か他に問題があるのですか?」
「うーん、そうだね……。言いづらいことなんだけど、君のそのスキル、竜にとっては脅威なのはわかるよね?」
頷く。
竜に対して異常なまでに強くなり、さらに竜と戦うほど強くなるのだ。竜にしてみれば、恐ろしいスキルだろう。
サーラが「竜の谷が良いぞ」と言われなければ、まず通るつもりはなかったくらいだ。
「サーラの庇護下にあった君に危害を加えるつもりはない。ただ、君が竜に対して過剰な危害を加えないか、監視をつけさせて欲しくてね」
「監視、ですか」
「ああ。こちらから竜を一匹、連れて行って欲しい」
竜の数え方は基本「匹」だが、竜神に限り「柱」となる。まあ、神様だしその辺は当然だ。
けど、監視かー。俺、人間の街を行くつもりなんだけど、さすがに竜は連れて歩けないだろう……。
「俺、人間の街に行くつもりなんですが」
「気にしなくても大丈夫。ちゃんと人間になれる仔にお願いするから」
「ああ、それなら構いませんよ」
「ああ、良かったー! 断られたらどうしようかと思ったよ」
途端にシュイさんの口調が明るくなる。
「それでは、ゲイルに同行してもらおうと思うんだけど、良いかな?」
「……ゲイルさんは、よろしいのですが?」
自分をボコった相手なんかと一緒に旅するのは嫌だろう。
と思ったのだが、
「もちろん。これは私自身の希望でもある。是非とも同行したい」
「……そういうことなら構いませんけど。どうして同行を希望したのですか?」
「なに。折角修行でこの地を訪れたというのに、ここ数年はちょっと伸び悩んでいてな。良い機会だし、旅に出るのも悪くないと思ったまでのこと」
そういう事情なら、俺の存在は渡りに船といったところか。
「それじゃ、よろしくお願いします」
「よろしく頼む、カナタ……ああ、私に敬語は要らないぞ。これから共に旅するのだからな、堅苦しいのは無しで行こう」
「ああ、分かった。よろしくな、ゲイル」
そう言い終わるや否や、ゲイルの体が白く輝き始めた。
サーラのときと同じだ。人間の形態へ変化するのだろう。
そして光が消えて――濃緑色の長い髪の、美女が現れた。
「………………ああ、そういうこと」
「ん? 何か言ったか?」
「いや何でも無いよ」
まさか男だと思っていたとは言えない。
ゲイルは、かなりの美人だった。黒に近い濃緑色の長い髪に中性的な顔立ち。声も低めだが、背は高くてスタイルも良い。ちょっとつり目なところが、個人的には結構好みだったりする。まあ、今はあんまり関係ないか。
視線をずらすと、くくっ、とシュイさんが笑いをかみ殺しているのが見えた。
ああ、気付いてんな、これ。
大体、竜の性別なんか分かるかよ。声が低めで物腰が何となく固かったから、男だろうと思っただけだよ。
はぁ、と思わず溜め息が漏れた。
「……とりあえず、同行に関しては問題ないよ。歩いて行くってことでいいか?」
ゲイルは飛べる。
だが、町に近づけば目立ち過ぎる。それに、俺はこの世界をゆっくり見てみたい。
「ああ、問題ない。別にカナタを乗せて飛んで行っても構わないが、歩きたいのなら、それも構わない」
「じゃ、歩こう。もっと色々と見てみたいしな……とりあえず、この谷からだな」
「そうだな……とりあえずここだけは、私が乗せよう」
竜の谷は、竜に認められねば通れない。
その理由は――谷を渡るには、竜の背に乗せてもらわねばならないからだ。
そういうわけで、竜体に戻ったゲイルの背中に乗せてもらって、谷を超えたのだった。