蛇
なら外で相談しろ、と二人を追い払い、客間には二人の宗教者が残りました。
沈黙が支配していますが、愛嬌は気にしません。こういう男です。
「ねぇ」
ニコラが口を開きました。
「警察に引き渡すの、それとも道理が通ればさ、あの二人に渡すの」
「どちらが良いんですか。貴方にとっては」
男は、何処を見ているか、そんな風に聞きました。
「どちらも嫌、なんて通らないんでしょう。きっと」
貴方は真面目だもの、と笑いました。
「貴方が言うことは正しいと思う。そうよね。この国には法律も警察もあるんだから、何か怪しい事が起こったら警察を交えて法律の下に考えるのが正しいんだもの」
「貴方自身、逃げ続ける訳には行かないでしょう。目的か行く当てはあるんですか」
その一言にニコラは黙りました。
愛嬌の言葉はどこか悲しそうにしてる彼女が、否が応でも思い知らなくてはいけない現実です。
「無い。ただ、私が逃げ続けないと行けない理由はある」
「無理な話だ。太陽だって昇れば落ちる。物語は起承転結で終わる。永遠の愛を誓う文句も、死が二人を別つまで、って注釈がついて終わる物だ」
「でも続けなければ人々が太陽が見る事すら自由に出来なくなる」
その一言に、愛嬌は初めて彼女の顔を見ました。
何を思っているかが解らない、ニコラは彼の顔を見て人を誘惑する蛇を思い出しました。
イブは、蛇から禁断の実を食べるように誘惑されて、結局アダムと一緒にこの世に落ちた。だから女は愚かなのだ、と古いキリスト教では言われます。
「人々が自由に太陽を見る、なんて事が今の時代無い。いつもあるから有難味もない事で終わってしまう。見れなくなれば、それだけで終わりだ」
「葡萄は吊されているから酸っぱくて、自分の手に落ちてきたら甘くなる。私はそう思うの」
貴方みたいな人は笑うでしょうけどね、と彼女は続けます。
彼女が出した例は、イソップ寓話の一つ、すっぱい葡萄です。
「努力して得た物は、不味くかろうが美味しい物だろうね」
「そう、でもわざわざもう一回吊す必要はない。そう思うのよ」
も、無理でしょうねと彼女は、憂いある声で言います。
「貴方が言う通りよ。逃げ続けるのは無理。だから何かしらの結末をつけなきゃ行けない。だから貴方は貴方が納得するような結論を出してくれれば良い。私の結論は私が出す」
「私が思うに、貴方に選ぶ権利がある結論は、貴方自身が納得いかない結論しかない。今の口ぶりからすると、そうでしょう」
愛嬌は、どことなく説得するような口ぶりで言います。説得しようとしているのではなく、結末を彼女自身が選ぶため、説得して欲しいのかもしれません。
「そうね。でも道理なんでしょう」
彼女はそう言いました。そして男の顔を見ました。
人を嘲笑うとも、人を誘惑するとも言えない、薄暗いそこから此方を見るような顔。
彼は、その言葉を聞き、口を開きました。
「お金は有りますか」
ニコラは何を言い出すのかと首をかしげます。
「無い」
「その結社とやらには」
「文字道理腐るほど有ると思うわ。でも、いきなり何?」
ニコラは困惑を極めた口調です。
「貴方としては進みたくない。けれど前に進むしかないと言うのなら」
私の奇跡をお見せしましょうか。
彼女は思いました。
イブは愚か者だったのではなくて、蛇の誘惑が素晴らしく愛おしかったのだと。それは、実態がどうであれ、楽園を捨ててでも食らいつきたいと思わせる誘惑で、きっと誰もがその誘惑に負けてしまうのだろう。
きっと今の私のように。