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〈守銭奴〉シリーズ

太陽は勝てなかった

作者: 赤羽 翼



 高校一年生になって初の長期休暇。……それすなわち、ゴールデンウイーク。それがあっという間に最終日になりましたわ。

 まだ春だというのに、太陽が誰も望まない自己主張を繰り広げ、今日の気温は三十度を超える真夏日となりました。

 まだ十時だというのに、やけくそに暑いですけれど、わたくしは家を出ました。


 だだっ広い玄関を出たわたくしは、数歩だけ歩いて振り返ります。

 茶色でお城のような外装の我が家。庭は広く、軽くセパタクローくらいならできそうです。何故か裏には結婚式の披露宴ができる宴会場があります。

 一体全体、何故ここまで大きくしたのか分からない家。それがわたくし、北条ほうじょう赤姫あきの家です。


 お父様は鉛筆からロケットまで、様々な物を開発している大企業の社長。お母様は大手化粧品会社の社長です。

 そんな家の次女たるわたくしですが、通っている高校は家から一番近い普通の公立高校です。小中も。三つ上のお姉様も同じく。

 これは、両親共に一般家庭で育ったということも大きいですが、一番の理由は常識を学ばせるためだとか。


 わたくしの両親は、どうやらお嬢様学校を漫画などの感覚で捉えているようです。……まぁ、わたくしも通ったことがありませんので、実際に漫画のような感じなのかもしれませんが。

 そして、ゴールデンウイーク最終日。わたくしは友達と遊ぶため、外に出たのです。待ち合わせ場所は、わたくしの家の前。なので、既に黒い門扉の隙間から二人が見えています。

 わたくしは足早に進み、門扉を引きました。


「おはようございます。美屋子みやこさん。香椰かやさん」

「おはよう赤姫ちゃん」

「おはよう」


 先に返事を返してくれたのは小学校からの親友、貝原かいばら美屋子さん。小柄のボブカットで人懐っこい笑顔がキュートな女の子です。


 そして、一瞬遅れて返事をしたのが、中学からの親友の二ノ宮(にのみや)香椰さん。長身でウェーブがかかった茶髪に、少し鋭い目つきが逆に顔立ちを整えているクールビューティーな女性です。


 美屋子さんは涼しげな白いワンピースを着ています。香椰さんは胸の辺りにピンク色でドイツ語? が刺繍された黒い半袖に、デニム地のホットパンツを穿いています。


「暑いですわね」


 何の気なしにそう尋ねますと、お二人は顔をしかめました。


「そうだねぇ……」


 美屋子さんは手で顔を扇ぎ、


「腹立つくらいにね」


 香椰さんは顔前を手で隔て、太陽を睨んでいます。


「じゃあ行きましょうか」


 わたくしがそう言いますと、お二人は微笑みながら頷きました。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 近くの服屋さんでショッピング。その後、どこかでお昼を食べて、映画を見る段取りになっています。

 けれど、問題もあります。まず、わたくしはお姉様から服を貰っていますので、服を買う必要がありません。しかし、これはあまり関係ありません。お二人が買いたいのですから。

 一番の問題は……、


「この辺り、飲食店がないのよね……」


 歩きながら、香椰さんがそんなことを呟きました。


「そうだよね。近くに高校があるんだから、どこかに建てればいいんだけど……。お昼どうしよっか」


 ここ、音白ねじろ市には数多く町が存在しています。わたくしが住んでいるのは、北見良きたみら町というところなんですけれど……、面積の殆どを住宅街が占めているからか、飲食店がびっくりするほどないんです。

 喫茶店やチェーン店すらありません。隣町まで行かないと、お昼を食べられないのです。……流石にコンビニはありますが。ですので、


「コンビニでおにぎりでも買って食べますの?」

「赤姫はお嬢様なんだから……、もうちょっと食べ物に気を使いなさいよ」


 香椰さんが呆れ混じりに言いました。


「コンビニおにぎり美味しいと思いますけれど……。家で作るおにぎりよりは確実に!」

「おにぎりの話はどうでもいいとして……。取り敢えずお昼決めよ? 流石に女子高生三人が休日にコンビニで買える食べ物はやめようよ」


 美屋子の言葉にわたくしと香椰さんは首を捻ります。


「混んでると思うけど、早めに行って、映画館で食べればいいんじゃない? 確か色々とお店が入ってたような気がするし」

「そうですわね」


 ムーブドシネマは駅のすぐ傍にありますから、観光客も呼べるようにしているのです。


「じゃあ決まりだね」


 わたくしたちはやや早足で服屋に向かいました。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 服屋に入ったわたくしたちを最初に出迎えたのは、冷房の涼しい風でした。そして、その次は……、


「誰が買うんだろうね、これ……」

「さぁ?」

「とっても寒がりな人じゃありませんの?」


 自動ドアを抜けた目の前。冬物の女性用コートが服掛けに掛けられ、売られていました。ご丁寧に、『70%OFF!』と大きなタグが付いています。

 元の値段は二千五百円で、それが七十パーセントオフなので、かなり安価になっていますけれど……、さっきまでの道のりを思い出してだけで汗が身体から吹き出しそうになります。

 この暑さですし……、誰も買わないでしょう。


「婦人服売り場はどこですの?」


 入り口周辺は紳士服売り場のようです。わたくしは基本的に服屋さんには行きませんから、勝手が分かりません。


「奥だよ!」


 美屋子さんに促され、わたくしは奥に進んでいきます。

 婦人服売り場の一角に若人たちが集っている場所があります。……あそこが高校生向けの服売り場ですわね。

 色々としゃれおつな服がありますわね。オフショルダーのワンピースに、オフショルダーの黒いTシャツ、オフショルダーの白い……オフショルダーばっかりですわね……。


「赤姫ちゃん、なんでオフショルダーコーナー見てるの?」


 どうりで多いわけですわね。





「にしても二人はいいよねぇ……。背が高いから色んな服着れて……」


 三人で服を見ていると、美屋子さんが羨ましげに眺めてきました。

 わたくしの身長は百六十四センチ。香椰さんが百六十八センチ。……因みに香椰さんは脚が長く、モデルさんのようです。

 で、美屋子さんは百五十五センチ。


「服なんてどうでもいいと思いますわ。大事なのは心ですわ。美屋子さんは優しいですから、きっといい人が見つかりますわよ」

「わたしは別にモテたいわけじゃないんだけど……」

「そうなんですの?」


 オシャレって、モテるためにするんじゃないんですの?


「いい赤姫。オシャレっていうのは、自分の中で自分のレベルを押し上げるためにするものなのよ」

「どういうことですの?」

「傲慢になるための儀式みたいなものよ。『私って可愛い!』とか、『俺カッケー!』とか思うためにするもの。……それがオシャレ」


 隣で美屋子さんがうんうんと頷きます。

 ……よく分かりませんわね。





 よく分からないオシャレ講座の後、お二人の買い物にお付き合いしました。……わたくしはやっぱり買いませんでした。

 そして事件は、店から出る直前に起きました。

 十一時を過ぎ、ムーブドシネマに行こうとしていた時でした。


 三人で出口へと歩いていると、ある女性とすれ違いました。手にピンク色の小ぶりのバッグを持ち、涼しそうな白い半袖の服を着ています。服の種類は分かりません。何故なら、その女性は両腕で例の冬物のコートを抱えており、上半身が隠れてしまっているからです!

 その女性はそのまま駆け足で試着室に入っていきました。


「まさか……買うのかな」


 美屋子さんがポツリと呟きます。


「流石に……、ないんじゃない……」


 三人で立ち止まって、試着室を固唾を呑んで見守ります。……すると、レールがシュっと音を上げ、カーテンが勢いよく開きました。

 その女性は茶色のコートを羽織っていました。そして羽織ったままカウンターまで行き、お金を払い、購入すると店員さんにタグを切って貰っています。

 店員さんも思いっきり困惑しています。


「買ったよ……」

「何でだろうね……」


 この暑い日に……、冬物のコート……? しかもそれをその場で着て購入? な、な、何故!?


「赤姫ちゃん。震えてるけど……、どうしたの」

「まさか、例の悪癖が……」


 その女性はそのまま早足に店を出て行きました。


「き、気になる……! 何故この日にコートを購入したんですの!? ……マ、マズいですわ。気になって気になって仕方がありません!」


 わたくしには悪癖があります。……それは、何らかの『謎』を気になり出すとそのことで頭がいっぱいになり、眠れなくなると共に物事が疎かになってしまうのです。


「ど、どうしましょう!? ……わたくしはどうすれば……!」

「ど、どうしよう香椰ちゃん!」

「私に訊かれても。……そうだ。私と美屋子であの謎を解くのよ」

「そ、そうだね。……えーと、コートを買う理由だよね。さっき赤姫ちゃんも言ってたけど、寒かったからじゃない?」

「まぁ、真夏日にコート着てたら、真冬はいったい何枚着込んでるの? って話になるけどね」

「じゃあ、コートに一目惚れしちゃったとか」

「ここで着るのは冷房が効いてるから分かるけど、外に出て行く意味はないでしょう」


 美屋子さんの予想は当たっていません。謎が解けると、頭の中の黒いモヤが消えてスッキリするのですが……、それが起きません。


「も、申しわけありませんですわ……。この後映画だというのに……」


 わたくしの言葉にお二人は顔を見合わせ、


「まぁ、クラス総出で考えたあの時に比べたら、全然ましだし……」

「ああ、あれね……。確か最終的に赤姫ちゃんのお父さんが催眠術師を雇って、無理矢理忘れさせたんだったけ?」


 そんなこともありましたわね……。でも今はそんなことよりコートですわ。何故買ったんですの!?

 そんなことを考えていると香椰さん呟きました。


「うーん……。私のクラスにこういう探偵みたいなことができそうな人がいるんだけど……」

「ど、どなたですの?」


峰霧みねぎりしゅうっていう男子。……ある日、男子たちがワンナイト人狼をやってたんだけど、峰霧君も無理矢理参加させられてて、そこで人狼を言い当てまくったり、人を欺きまくったりしてたのよ。他にも、数学教師の大竹が高三レベルの問題をおふざけで出した時も、今まで習った数学知識を応用して解いたり……」


「凄いね、それ……」

「……明日にならないと紹介できないけどね」

「それでも構いませんわ……。明日、よろしくお願いします」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 昨日は結局、映画には全く集中できませんでした。お二人は楽しみにわたくしが水を差してしまったような気がして、申しわけないですわ……。

 そしてもちろん、一睡もできませんでした。


「赤姫、目の隈凄いけど……、また悪癖? 大丈夫?」


 自室からリビングに降りると、聖女のような存在たるお姉様が心配してくれました。

 お父様とお母様はもう会社に行ってしまったようです。


「大丈夫ですわ。……ありがとうございますお姉様」

「それならいいけど……」


 使用人の方々がリビングに朝食を置いてくれました。

 わたくしは目玉焼きにお醤油をかけます。


「へー……昨日、都内で音白市が一番暑かったんだ……」


 お姉様がテレビを見ながら言いました。……そんなことよりコートの謎ですわ。


「えー……これってすぐそこの廃工場じゃん……」


 お姉様がテレビを見ながら言いました。昨日、町内の廃工場で殺人事件があったそうです。……そんなことよりコートの謎ですわ。……そんなことでは、ないですわね。


「わー、可愛い!」


 お姉様がテレビを見ながら言いました。どこぞの動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたそうです。……そんなことよりコートの謎ですわ。


「赤姫! 目玉焼きが凄いことに!?」


 そんなことよりコートの……ん?


「ああっ!」


 真っ黒な目玉焼きの完成ですわ。





 学校に登校し、あっという間に放課後になりました。……案の定といいますか、殆ど授業に集中できませんでした。

 香椰さんは水泳部に行かなければいけないようです。ですが、その峰霧さんという方に話はしてあるそうです。……因みに美屋子さんも手芸部で来れないようです。

 わたくしはテニス部ですけれど、今日は休みです。運が良かったですわね。


 香椰さんから話では、峰霧さんは天文部に所属している唯一の生徒のようです。……わたくしはそんな部活があること自体、知りませんでした。

 そして、わたくしは天文部の前に来ています。

 二回ノックしてみます。


「どうぞー」


 中から男性の声がしました。なかなか爽やかな声です。

 扉を開けます。……教室の大きさは普通の四分の一程度の大きさです。

 その中央に一人座っているのは、学生服を着た茶髪の少年。柔和な笑みを浮かべながらこちらを見ています。凄い優男感が出ていますわね。おそらく、彼が峰霧さんでしょう。

 お互いにしばらく見つめ合うと、峰霧さんが口を開きました。


「隈凄いね」


 初対面から失礼ですわね。


「寝てないんですのよ。……あなたが峰霧さんですの?」

「そうだよ。君が北条さん?」

「そうですのよ。……あなたは推理ができるんですの?」

「まぁ、それなりにね」

「香椰さんから話は聞いていますの?」

「あんまり。推理力が必要ってことくらいかな。……ああ、『放課後、お嬢様言葉で黒髪ロングの女の子が部室に来るだろうから、話を聞いてあげて。頭を使うことだから、峰霧君なら大丈夫よね』って言ってたっけかな。……で、話ってのは何かな」


 わたくしは頷き、


「太陽が勝てなかったんですのよ」

「はぁ?」

「北風と太陽ですわ」

「太陽が服を脱がせられなかった、ってこと?」


 ちょっと違いますわね。


「……昨日の話をした方がいいでしょうか」

「できれば」


 わたくしは昨日の話を始めます。





 話し終えるとこんなことを言われました。

 

「北条さん、記憶力いいね」

「そうですわね。そこは唯一自慢している場所ですわ。……分かりましたか? あんまり推理に使えそうな情報がありませんけれど……」


 尋ねますと、峰霧さんは少しの間俯きます。……そして小さく溜息を吐き……、


「そうだね……。これは推理なんてする必要はない。……ただ、想像力を働かせるだけでいい」

「どういう、ことですの?」

「そのままの意味さ。……君は、何でその女性が真夏日にコートを買い、その場で着たんだと思う?」


 そういえば自分では考えていませんでしたわ。……そうですわね……。


「ずっと欲しかったコートで、安売りしていたから買った。そして、どうしても着たくなった……。みたいな感じですかね……」


 絶対違いますわね。……黒いモヤが晴れません。


「かわいそうなくらいに違うね」


 ……ちょっと失礼ですわね。わたくしはついムキになって突っかかります。


「どうしてそう言えるんですの?」

「考えてみて。五月に買うくらいなら、普通は冬に買うよね。五月になっても冬物のコートが売っているとは、限らないんだし。……それにどうしても着たくなったんなら、試着室で着るだけで十分だしね」


 ……確かに、そうですわね。


「じゃあ何で女性はコートを買って、着て出ていったんですの!」


 峰霧さんは机のフックに掛かっていたエナメルバッグから文庫本を取り出し、



「それの解決……、二千円で手を打とう」



 一瞬思考が止まりました。……二千円?


「……お金、取るんですの?」

「当たり前じゃん。警察じゃないんだから。……それに君、お嬢様なんだよね? ならいいでしょ」


 いや、ならってなんですの? ならって……。

 ……仕方ないですわね。わたくしは肩に掛けていたエナメルバッグから財布取り出します。

 そして開けてみて思い出しました。


「五千円札しか持ってないですわ」

「じゃあ五千円貰うしかないね」

「何でそうなるんですの!?」


 思わず声を荒げてしまいます。


「わたくしが五千円渡しますから、あなたがわたくしに三千円払えばいいでしょう!」

「僕も五千円しか持ってないんだ」


 文庫本を広げ、読み始めてしまいます。

 背に腹は代えられませんわね……。財布から五千円を一枚取り出すと、机の上に置きます。

 峰霧さんはそれをポケットにしまい、


「君と二ノ宮さんと、なんだっけ……」

「貝原美屋子さんですわ」

「貝原さんはちょっと想像力が足りてない。想像力さえあれば、こんな謎は簡単に解けるんだ」

「どう想像するんですの?」


 峰霧さんは文庫本から目を離しません。


「物の用途を想像するのさ。……物の用途は一つじゃない。包丁は調理器具だけど、人に使えば殺傷道具になる」

「その例えはどうなんですの?」

「野球のバットは、ボールを打ち返すのが正当な使い方だけど、鈍器にもなり得る」

「だからその例えはどうなんですの?」

「ならば……、」


 視線をわたくしに向け、


「コートは何に使えるかな?」


 問われて、考えます。


「……普通は寒さを和らげるために使いますわね。……他には……、丸めて顔に押し付ければ窒息死させられますわね」

「その例えはどうなの?」


 さっきあなたが言っていたことでしょう!! ……おふざけはここまでにして、


「分かりませんわ……」

「はぁ……」


 あからさまに溜息を吐きました。……この男、最初に見た時は優男かと思いましたが……、ただ優男然としているだけですわね。


「どう使うんですのよ!」


 流石にここまで馬鹿にされては溜まりません。変なこと言ったらボロクソに言ってやりますわ。

 しかし峰霧さんは柔和な笑みを崩しません。


「北条さんも言ったけど、コートを着ると寒さを和らげることができる。では他には?

 ……他には、上半身を隠すことができるよね」


 意味が分からず首を傾げます。



「正確に言うと、()()()()()を隠すことができるよね」



 それが、何なんですの?

 峰霧さんはわたくしの心中を察したのか、深い深い溜息を吐きます。


「想像力足りなすぎだよ……。その女性は汚してしまった服を隠すためにコートを着たんだよ」


 あっ、そういう……。


「きっと、喫茶店かどこかで服にコーヒーかなんかをこぼしてしまった。だから服屋でコートを買ってその場で着たんだよ」

「何でコートだったんですの? 服は他に色々ありますわよ?」

「コートは店に入って目の前にあったんだよね。対して婦人服売り場は店の奥。……店の知識があれば、服に染みを付けたまま奥の婦人服売り場に行くより、目の前の『70%OFF』のコートを抱えて半身を隠し、試着室に飛び込んだ方がいい」

「な、なるほど……」


 頭の中の黒いモヤが晴れていきます。


「それに、服の染みを隠すだけなんだし、安いコートで十分だろうしね……」


 ……疑問点を考えますけれど、特に思い当たりません。


「……そういうことだったんですのね」


 わたくしは頭を下げます。


「今日はありがとうございました。できれば、三千円を返して欲しいですけれど」

「どういたしまして。三千円? ちょっと何のことか分からないね」


 こ、この男……! まぁ、いいですわ。

 わたくしは踵を返し、帰ろうとしました。すると、


「北条さん」

「なんですの?」

「コートを買った女性って、どういう外見だったか、憶えてる?」

「長身で茶髪に染めたポニーテールの美人さんでしたわ。……それがどうしかしたんですの?」

「いや、ただの確認。……じゃあ、帰っていいよ」


 わたくしは訝りながらも、部屋を後にしました。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 衝撃を受けたのは二日後のこと。お姉様とリビングで朝食を取っていた時でした。

 テレビからニュースが流れています。わたくしは特に気にすることなく、お味噌汁を飲みます。


『続いてのニュースです。音白市の廃工場で男性の遺体が発見された事件で、男性の知り合いの女性が昨日、逮捕されました』


「あっ、捕まったんだ犯人」


 お姉様が呟きました。わたくしは何の気なしに視線をテレビに移します。


「ブフェッ!!」

「どうしたの赤姫!?」


 思わずお味噌汁を吹き出してしまいました。

 何故なら、テレビに映っていた犯人の顔写真に見覚えがあったからです。……服の染みを隠すためにコートを買った女性。その人が映っていました。

 思わずテレビを見入ってしまいます。

 女性の名前はいぬいさち。しかし報道はそれっきりで、別のニュースに移行してしまいました。


 ……ど、どういうことですの? ま、まさか。

 峰霧さんは、コーヒーかなんかを服にこぼして、染みを作ってしまったから、あの女性──乾さんはコートを買い、それを着た。と言っていました。……まさか、その染みは、血痕だった!?


 ……事件が発覚したのは一昨日。つまり、峰霧さんの元を訪ねた時。事件が発生したのは、その前の日、つまりはわたくしが乾さんを目撃した日……。ぴったりですわね……。


 そしてわたくしは、あることを思い出しました。峰霧さんと別れる時、彼は乾さんの外見を訊いてきました。……その後、その女性が逮捕された。


 ……ひょっとして、ひょっとしますの? え……? えぇぇ……ええええええ……何者ですの……、あの男……!?









『峰霧 秋の独白』





 さて、ここでは何故僕が北条さん達が見た女性が殺人事件の犯人と分かったか。……その理由を語っていきたいと思う。


 まず、僕が北条さんに言った推理。『喫茶店でコーヒー等をこぼしてしまい、それを隠すためにコートを買って、着た』というのは、殆どの確率で間違っている。

 その理由は簡単。……北条さんは記憶力はいいみたいだけど、いかんせん察しが悪い。三人の会話にも出てきたけれど、北見良町には喫茶店含む、飲食店が存在していない。ネットで音白市 北見良町 飲食店で検索しても出てこないくらいに存在していない。

 つまり、僕の推理で考えると、コートを買った女性。乾さんは隣町の喫茶店でコーヒー等をこぼしてしまい、わざわざ北見良町にある服屋でコートを買った。ということになってしまう。……なかなかに無理がある。


 しかし勿論、可能性はゼロではない。けれど、想像力を働かせて、乾さんの行動を予測すれば、否定することが可能なのだ。

 どの行動を予測するのか。……それは、喫茶店でティータイムを取っていた乾さんの、その後の行動だ。

 分岐は二つ。

 その1 ティータイムの後帰宅する。

 その2 ティータイムの後用事に赴く。


 まずその1 で考えてみよう。……隣町の喫茶店で優雅にティータイムを取る乾さん。ところがコーヒー等を服にこぼしてしまった。これは困った。恥ずかしいぞ。「そうだ隣の北見良町で服を買って、それで隠そう!」

 乾さんは北見良町へ向かい、店に入る。目の前に安売りされていたコートを発見し、それを買いその場で着た。そして家に帰る。


 ……色々とおかしいでしょう? 家に帰るつもりなら、タクシーに乗って家に戻って着替えた方が早い。運転手には見られてしまうかもしれないけど、隣町まで移動するより遥かにましだ。

 それに服に染みを付けたまま歩くのと、真夏日に冬物のコートを着て歩くのとでは、恥ずかしいのは大差ない。


 では、その2 で考えてみよう。……ティータイムの後、何か用事がある乾さん。その時、コーヒー等を服にこぼしてしまった。これでは用事に行くときに恥ずかしい。「そうだ北見良町の服屋へ行こう」そうして、服屋まで行き、安売りしていた冬物のコートを買った。


 これも、やっぱりおかしい。用事があるのに冬物のコートを買うのは、おかしい。真夏日に冬物のコート着ていても恥ずかしくない用事は思い当たらない。

 他にも服はあったはずなのに。いくら婦人服売り場が奥にあったとしても、用事に冬物のコートはいただけない。お金が少なかったとしても、安い服は他にもあるだろうし。


 こんな感じで、隣町で喫茶店の可能性は殆どない。それに第一、服屋は北見良町以外にもある。

 そして、町内で服を汚した可能性はある。コンビニや自販機で買った飲料をこぼしてしまった可能性だ。

 けど、これも上二つと同じ理由で否定できる。

 ……だけど、服についたのが血痕だとするならば、話は別だ。


 事件現場は北見良町の廃工場。そこで乾さんは返り血を浴びてしまった。どうするか……?

 タクシーは危険だ。もしドライバーに見られたら、それが証拠になってしまう。

 だから乾さんは腕で返り血を隠して、服屋に走った。……え? その方法で血を隠してタクシーに乗ればいい? ……確かに、返り血が片腕だけで隠せるなら、そうしたかもしれないね。

 両腕でしか隠せない血の量だとしたら、タクシーには乗れない。タクシーを止める時、手を挙げなきゃいけないし、代金を払う時も両腕は必要だ。


 だから、乾さんは服屋に走った。入った時にすぐに目についたコートを買った。彼女は本当に服を隠すことだけが目的でコートを買ったんだ。

 その後はタクシーなり、徒歩なり、自由に帰宅した。……別に真夏日にコートを着ている人を見たって、変人とは思うけど、殺人犯だとは誰も思わないだろうしね。


 で、北条さんの話を聞いた僕が知り合いの刑事に連絡した。この情報を五千円で教えたのだ。

「被害者の知り合いと思われる、長身で茶髪のポニーテールの美人が犯人の可能性が高い」って具合にね。あと、「ひょっとしたらその人の捨てたゴミの中に血の付いた服が出てくるかも」とも伝えておいた。そしたら出てきた、と。


 でも僕はこの事件、乾さんは正当防衛だと思っている。返り血対策もせずに血が飛び散る方法で殺すのはおかしい。絞殺なら分かるけどね。

 だから、乾さんは廃工場に呼び出され、殺されかけた。そして逆に殺してしまった。……こんな感じだと思っている。これも知り合いの刑事さんには伝えてある。


 こんな感じで、僕は北条さん達の見た女性が殺人事件の犯人だと思ったわけだ。もっとも、事前に事件のニュースを見ていなかったら、分からなかっただろうけどね。


 ……それにしても、北条さんはいいカモになりそうだ。……うん。

 

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