第七章 弱い人の芸術
十二月のある日、直人はいつも通っている予備校で私大志望者向けの模擬試験を受けた。世界史は日頃の勤勉の成果が表れていたものの、英語、国語は普段より難しく感じた。語学というのは闇雲に暗記をしても実力がつくとは限らないらしい。どうすればあの様な長文が苦もなく読みこなせる様になるのか、直人には疑問だった。さすがにこの時期になると直人も焦燥を感じざるを得ない。
人いきれと熱気で蒸した試験会場を直人は後にし、自動販売機で飲み物を買って、そのまま自習室に向かった。やたらに喉が渇いていたのである。ところが向かった自習室は殆ど満席で、空席を探すのに苦労した。しかも自習室に座っている者は先ほどまで直人と共に模擬試験を受けていた者ばかりで、どうやら直人が飲み物を買っている間に自習室に滑り込んで勉強をしていたらしかった。つまりそれほどまでに皆が寸刻惜しんで勉強する時期である。彼ら受験生の表情は精神的疲労によって暗鬱な靄がかかったようであり、焦点は虚ろに机上を彷徨っていた。それでも片手に握ったペンだけが独りでに動いている。虚空に響く陰湿な戦いの残響…。直人は吐き気を催した。平和とは何か?豊かさとは何か?これが果たして民主主義によって見出された幸福の姿だろうか?してみると民主主義とは諸刃の剣であるかも知れぬ。そうでなければ何と多くの民意が無視されている事であろう?しかも民衆は己の意思にも、それが無視されている事にも気付けないのである。主権という呪いをかけられて、魂を抜き取られた民衆は今日もこうして大いなる意思への信仰を強いられている。しかしながら直人もまたそれに従わざるを得なかった。
直人が暫く自習をしていると、頭上から大きな人影が落ちた。見上げると忠司がいた。
「よう、ちょっと休憩しねえか」
直人は丁度勉強に集中しかかっていたところであったが、忠司のはた迷惑な大声に促されてやむなく自習室の外に出た。忠司について階段の踊り場にまで来ると、そこにいつものメンバーが屯していた。
「よう、お疲れ」
裕二は先日の出来事をもはや覚えてもいないかのようであった。何だか居心地が悪いので、何故だか直人の方から
「この間は悪かったな」
と詫びると、
「いいよいいよ、気にすんな」
とこれまた何故だか分からぬ許しを得た。
その後彼らは延々と無駄話をした。直人は一刻も早く自習に戻りたかったが、友人達の無駄話が一向に終わらないので、それに辟易しながらも付き合わざるを得なかった。尤もこれが受験に関する情報交換であれば直人にとってもあながち無駄話ではないのだが、彼らの話からはそんな話が一切出てこない。ただ昨日街で見かけた女の話だの、予備校講師の雑談が面白いだの、一体いつまでこんな生活が続くのかといったおおよそ無益な話題が何の脈絡も無く紡ぎ出されていくのである。直人はせめてそんな話題に一石を投じてみたくなった。直人は借問した。
「ねえ、今日の模擬試験はどうだった?」
直人は会話の途切れたところでそんな一言を挟んでみた。が、誰も反応しないので、慌てて次の一言を追加した。
「あれ難しくなかった?俺全然だめだったよ」
直人のこんな気遣いは功を奏し、苦虫を噛み潰した様な表情が各々に浮かんできた。
「俺も。久しぶりに世界史受けたけど、難しかったわ」
「俺も駄目だった。ちょっと遊び過ぎたかな」
「んだ。俺この調子だと来年はホームレスになっがもわがんね」
友人達の誰一人として直人の為になりそうな情報を持つ者はいなかった。強いて言えばこんな友人達の弱音が直人の焦燥を幾分か和らげた事が成果である。しかし忠司一人だけはこの話題に何も触れてこない。不審に思った直人は忠司に向かって問うた。
「忠司は?どうだった?」
すると忠司は直人から目を背け、常ならぬ小さな声で、
「いや、俺受けてないから」
と呟いた。不穏な沈黙が漂う。が、直人は問い続ける。
「どうして?申し込み忘れたとか?」
「いや、俺今月別の模擬試験受けるから」
直人にもようやく事態が飲み込めた。今月もう一つ催される模擬試験と言えば、間違いなく東大模試である。無論私大志望者が受けるべきものではない。つまりこの期に及んで忠司は東大模試を受けて自己陶酔に浸っていたのだ。ここで直人は、いつもの様に適当な相槌を打ってその場を締めくくれば良かったのである。しかしこのとき直人はそれをしなかった。直人は忠告をしてしまった。それは直人に精神的余裕が無かったせいかも知れないし、あるいは忠司への一抹の友情のためであったかもしれない。
「ねえ、そろそろ本番も近いんだし、私大模試も受けたら?忠司は東大受験者じゃないでしょ?」
この一言は直人が予想していたよりも遥かに深く、忠司の逆鱗の奥まで入り込んだらしかった。
「馬鹿野郎!なめてんじゃねえ!お前だって大した学力でもねえくせに!」
理不尽にも忠司は直人を怒鳴りつけた。忠司は腐っても元スポーツ特待生である。この偉丈夫が血走った目で息巻く姿に、直人は怯えて何も言い返せなかった。直人はその場に凍り付き、ただ呆然と立ち尽くした。他の友人達も何も言えず、ただ俯くばかりであった。沈黙は言葉を奪う。結局その後何が起こったか、直人は覚えていない。怒鳴られた時のショックが余りにも強すぎた。直人は命からがら自習室に戻ると、一人心の整理をした。
(見ろ、これが民主主義というものだ。法的平等は必ずしも人間的平等を意味しない。真の平等などあり得ないのだ。社会には必ず声の大きな者がいて、たったそれだけの事で権力を得てしまう。民衆は心ならずもそいつに従うしか無いのだ。彼の意思がどんなに独り善がりで自分勝手で不正な意思であっても、それが民衆の総意となるのだ!これが所謂民意というものだ!それなのに民衆は平等という欺瞞的幻想を吹き込まれ、人間本来の不平等を度外視するばかりか個人の怠慢と努力不足と解し、あたかも平等な権利を付与されたかの様に振る舞う。しかもそれ相応の義務として権力への忠誠を誓約させられるのだ!そうでなければ誰がこんな地獄的な世の中を望んだだろうか?誰が生まれながらに十字架を負った人生を望んでいるだろうか?民主主義は独裁だ!平等とは権力者に植え付けられた幻想だ!国家につなぎ止められた俺には権利など一生付与されない!自由などあり得ない!)
実際に民主主義の起源が寡頭制である事を直人が知ったのはこれより大分後の事である。ルサンチマンが人を勤勉にする事もあるらしい。
直人が午後九時頃予備校を出ると外は真っ暗で、冷たい風が道行く人々の表情を奪っていた。駅舎が遠くにぽつんと浮かんでいる。吐く息は目の前で戯れては闇に溶け入る。地下道へと続く幅の狭い階段を下りながら、直人は絡まったイヤホンのコードを解く。地下鉄のホームまで続く長い地下道は比較的新しく、直人が高校生の頃に設けられたものである。直人は歩きながらイヤホンを両耳に突っ込むと、喧しい流行歌を大音量で鳴らした。現代の音楽は昔の音楽に比べて音圧が高く、鬱憤が溜まっている時に聴くには丁度良かった。直人はほんの二三年前、この地下道がまだ真っ暗な土の下に埋まっていた事を思った。然るに民衆の総意によってこの地下道が掘られ、開通し、自分がここを歩行するに至っているのである。直人は一見自らの意思でここにいる様で、実は民意とそれを裏で操る権力にそこを歩行させられているのである。まるで新たな水脈を得た水の様に、自分はただ重力に身を任せて流れているだけに過ぎない。また、それを思えば自分が今聴いている音楽も、着ている服も、生命ですらが民意の所産であった。しかしその民意のどれ一つとして直人が同意したものはない。つまり万物は例外無く権力の支配下に置かれていた。地下鉄のホーム、敷き詰められたタイル、電車の到着を知らせる構内放送、時刻通りに滑り込む電車、整然と列を作って並ぶ人々、女子高生、サラリーマン、主婦、そしてそれに同化した自分。全ては民意という権力が意匠を凝らして模造した飴細工だった。直人はその日二度目の吐き気を催した。
直人が帰宅し、家族と夕食を摂っている頃、居間ではテレビがついていた。直人は食卓の一角を占めながら家族の団欒に交わらず、ぼんやりとテレビを見ながら食事をしていた。テレビの中では沢山のタレントが笑い声を立て、首肯し、連携して何かを守り通していた。彼らは何を守ろうとしているのか?それはその場の「空気」とでも言うべき暗黙の了解の連鎖であった。彼らは言わば「空気読みの達人」であり、「空気教」の敬虔なる信者であった。彼らの一人として懐疑や反駁を口にする者はおらず、彼ら自身が空気と化する事に徹底しているのである。この空気を創り出す一人の権力者と、その他大勢の空気そのもの。この構図は直人の見た民主主義の構図と寸分も違わず重なり合った。直人はこのテレビの中に入って一人空気の流れに取り残される自分を想像し、身震いした。そして気が付けば、実際に直人は家族の中で一人取り残された空気になっていた。家族は自分を外してなお家族であった。家族の中ですら、権力を持たぬ直人は空気になるしか無いのであった。
直人は部屋に戻ると跪き、失地王、この偶然を司る自らの神に祈った。
(私は権力を持ち得ない。権力の無い人間は空気になって権力者に追従するしかない。こんな民主主義の世の中にあっては中庸、中流などというものに全く意味は無い。民主主義に生きる人間の道は二者択一。すなわち一部の支配者となるか、その他の空気となるか!しかもそれはまたしても偶然が決定せしめるのだ!人間同士の優劣など何の意味も無い。生きる希望は偶然によって支配者の地位にまで昇華する可能性にのみ存在する。私の様な弱者に権力を与える手段は何か?それはやはり偶然を司る芸術なのだ!芸術こそ私の唯一の希望である!どうか私に偶然を与え給え!私を支配者たる地位にまで登らしめよ!)
直人は心の叫喚を祈りとして捧げた。緋色のマントを羽織った、世にも間抜け面の王に。しかし王は溜め息をつき、諭す様に言った。
(そうは言ってもね。弱者が権力を握っちゃうと大変だよ。自分だけの問題じゃなくなるし、何より全部責任取らされるもんな。分かる?都合のいい時にだけ担ぎ出されて、失敗すると手のひらを返されて全部自分のせいにされるんだよ?分相応が一番だよ。偶然なんて碌なもんじゃない)
この王の言は、すなわち直人の心に生まれた反作用であった。しかし直人はこれを振り切った。
(私の分相応などどれだけ悲惨なものか!見よ、この憫然たる知性と肉体を!分相応では身が持たぬ!増して人生は一度きり。どうせ駄目で元々。失うもの等何も無い。私は貴殿の頭上に輝く金色の王冠が欲しいのだ!)
直人の指差す先には、確かに眩い王冠が煌めいていた。真紅のベルベット地を取り巻く金襴のアーチは放射状に天を目指している。それは獅子の鬣の如く雄々しく、天使の輪の様に神々しく、他を寄せ付けぬ高貴な気品を保っていた。これこそが直人の妄執の結晶であった。全てを投げ打っても手にしたい頂上の証。それは愚にもつかぬ願望であったかも知れない。しかしながら芸術家(殊にデカダン派などといった宗派)の心理もひょっとすると似た様なものではなかろうか?
いつの間にか、直人は眠っていた。眠りという生理的欲求に根ざした営為でさえ、明日を権力に捧げる為の手段であった。しからば死も同様であろうか?