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第三章 同じ穴の友人達

 直人にも友人がいる。同じ予備校に通い、共に授業を受けたり、飯を食べたり、自習をしたりする仲間である。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、皆それぞれ異なる特徴を持っているが、勉強が出来ないという点では例外無く共通している。彼らは皆直人と同じ高校の出身で、この高校においては数少ない大学受験志望者であり、見事に滑って浪人している身である。

 今日も昼飯の時間である。直人は友人達との待ち合わせ場所である売店前で、それぞれ違う授業を受けている友人達を待っていた。昼飯時の予備校は多くの予備校生が行き交い混雑はするものの、彼らのうち一人として覇気のある者がいない為、まるで靴音だけが響き合う様に空気が淀んでいる。こんな精神病院の様な予備校独特の様相を作り上げる事に、直人も一役買っていた。一人でいる時の直人はまるで生きているのか死んでいるのか分からぬほど生気というものが抜けている。これは一つには直人のみすぼらしい容貌から来るもので、もう一つは例の妄執によって時間も空間も超えたところに霊魂を捧げているからである。いくら予備校とは言えこんな抜け殻の様な者が一人で突っ立っていれば好奇の視線を浴びる。周囲から嘲笑的視線を浴びている事を直人自身恥じているのだが、なす術も無く諦めて狸の置物を装うかの様に気配を消そうと努めているのである。

「よう、おつかれさん!」

恐ろしく快活な声が直人を呼び止めた。忠司である。彼の快活さもこの場にあっては非常に浮いている。忠司は直人と同じ高校の生徒であったが、直人よりも更に成績が悪い。だがプライドの高さからか私大志望であるにも拘らず国立大向けの授業を受講し、模試も東大模試を受けている。とにかくプライドだけは高いのである。このプライドの高さは彼がかつてスポーツエリートだった事に由来するであろう。彼は高校に野球部の特待生として入学したのである。しかし芳しい成果を挙げる事が出来ず、高校二年生進級時から野球部を退部し、普通の学科で受験勉強をする様になった。スポーツエリート時代の選民意識を捨てきれず、私大を志望しておきながら心の何処かでは自分が東大に入学する事を想像しているのである。この点で直人と同様の妄執の持ち主と言えるであろう。ただ直人は内心、忠司を単細胞な筋肉馬鹿として軽蔑していた。

 と、授業を終えたと見られる一群に混じって、両手で大事そうに持った握り飯を齧りながら一人こちらへ歩いてくる丸顔がいる。

「やあ、お待たせ」

耕平である。彼もまた直人よりも成績が悪い。何より「お待たせ」、と言いながら一人先に昼飯にありついている様な、我が道を行くタイプの人間である。俗に言う「空気が読めない」人間である事は間違いない。とは言え耕平は内向的な性格なので直人の中では割に付き合いやすい部類には入る。「空気の読めない」人間は周囲に対してもそういう態度を要求しないからである。すなわち直人の思う「付き合いやすい」とは一緒にいて疲労を感じない、という程度の話である。その証拠に、直人は耕平に対して共感を抱いた試しが一度たりとも無かった。その場その場の感情で動く耕平の行動は予測不能であり、時折周囲を驚愕させる。例えば耕平は、今年になって社会科の選択科目を三度も変えている。浪人生活が始まった当初、耕平は世界史を選択していた。が、

「カタカナが覚えられない」

等とよく分からぬ事を言い出し、結局日本史に鞍替えした。しかしそれも長続きはせず、

「マニアックすぎる」

等と怠惰な理由で諦めた。結局地理に転向したかと思えば、

「役に立つ学問がしたい」

等とそれこそ役に立たぬ発想で放擲し、結局夏期講習も終えた九月になってやっと政治経済に流れ着いたのである。転石苔を生ぜず。この時期になって何一つ身につけていない耕平は、直人の中で既に二浪が確定していた。

 ふと階段を見上げると、踊り場に溜まって二三人の女子浪人生(この女のくせに社会から虐げられている様な感じのする言葉が直人は好きだった)と楽しそうに談笑する男がいた。裕二である。顔は男前だが、背が低い。ついでに言えば彼もまた成績で直人に劣っている。恐らく直人の友人の中で最も成績が悪いと思われる。裕二は所謂遊び人であり、高校生の頃から大変に女に人気があった。ただ直人を含め、周囲の誰一人として裕二に嫉妬する者はなかった。それは前述の裕二の成績の悪さと、それを気にもかけない程の天真爛漫さの為であろう。人間自分よりも弱い者の幸福は許す事が出来るものである。そんな訳で、裕二は男女双方からの好感を得ていた。そんな立場に味を占めてしまったのか、裕二はこの期に及んで勉強もせずに女と遊んでばかりいる。予備校というのはこういう遊戯を禁じられた空間であるだけに、それは殊更性的に、いやらしく映る。裕二の成績と性格を知らぬ者が見れば、少なからず嫉妬心を起こしていたであろう。だが直人は裕二が好きだった。それはやはり弱者を慈愛の目で見つめる好感であった。

「さて!そろそろ行くか!秀作も来ないみたいだし」

本当はもう一人来る筈だが、なかなか来る気配がないので、忠司が痺れを切らして言った。この偉丈夫は何かと声を張り上げないと話が出来ないらしい。とまれこの親不孝者達はのそのそと歩き出し、近くの公園に向かった。

 予備校の脇にある公園は昼時になると予備校生で溢れかえる。ベンチや縁石や、鉄柵など、あらゆるところに腰を下ろした予備校生が昼食を摂っている。緩慢な真昼の日差しは気怠そうに飯を食う予備校生達と相俟って、この公園を倦怠と無気力で充溢させる。その公園の一角で、直人達は草食動物さながら、もさもさと静かに昼食を摂っていた。

「しかし最近めっきり寒くなってきたなあ!」

出し抜けに忠司が大声量で言う。口に入れた米粒が飛ぶ。

「うん、もう外で飯食うのは限界かもね。っていうか声大きいよ」

と、一人先に食べ終わった耕平が冷たい烏龍茶を飲みつつ窘める。裕二は黙っている。視線の先には二人並んで膝の上の弁当を食べている女子二人が見られる。

「あ、秀作来た」

直人が小さく叫んだ。向こうから鼠色のパーカーを着て小走りにこちらへ向かってくる赤ら顔の男が見える。

「いやあ、(わり)(わり)い。薬局(やっぎょぐ)さ行っでだんだ」

「薬局で何やってたのさ」

直人はもうこのイントネーションの歪んだ東北訛りに慣れている。

「ああ、育毛剤(いぐもうざい)さ買っできだ。最近(さいぎん)ストレスがひでえがんな」

秀作は若禿げを気にしている。というのも、秀作は元々毛の薄いタイプである上に、高校時代までずっと金髪で通していた(彼らの通っていた高校は金髪がそこら中にいるような高校だった)。脱色剤の毛髪と頭皮へのダメージは計り知れない。加えて秀作は如何なる問題も努力で解決できると頑なに信じているタイプの人間で、そういう人間特有のストレスが彼の髪の生え際の後退を助長していた。高校を卒業し、浪人が決まってから、勉学に集中する為に黒髪になったが、今度は禿げが気になって仕方が無いらしい。くせ毛の直人を

「毛根が強そうだ」

等と始終褒めそやし、自習時間も鏡を見ては髪の毛ばかりに気にしている。故に直人よりも成績が悪い。直人は秀作を見ると、憎たらしい自分のくせ毛が、禿げよりも幾分かましに思えるのである。

 つまりである。直人の友人のうち、誰一人として直人より成績の良い者はいないのである。直人とて全くの劣等生であるにも拘らず。こんな友人達を、直人は内心軽蔑していた。そしてその気持ちこそがそっくりそのまま直人の友情であった。友情とは直人にとって劣等感をかき立てられないという暗黙の鉄則のもとに結ばれた同盟関係であった。この顔ぶれと共にいるときは、直人は何とも安らかな気分になれるのである。この集団の中でのみ、直人は傍若無人な振る舞いを許されたし、饒舌になって衒学をひけらかす事も出来た。尤も、だからといって直人がこの集団におけるリーダー的存在である訳ではなかった。なぜならこの集団においては誰もが直人と同じ鉄則の元に友好関係を結んでいたからである。つまりこの集団の構成員は例外無く、何らかの人間的特質において他の誰よりも秀でている事を矜持としてそこに身を置いていたという事である。俗物根性という潤滑油。自尊心を傷つけられる事無く、その他の者を心中卑下し、自己を孤高の存在たらしめ、それでいて友情という美名の下に徒党を組んでいられる、その集団は彼らにとって紛れもなく社会の縮図であった違いない。

 しかし直人は分からなかった。友人達がそれぞれ何を矜持としているのかを。しかしそれを知ってしまった時点で友情は決裂する訳である。つまりこの集団はお互いを理解しない事で成り立っている、極めて絶妙な均衡を保った危うい関係であると言わねばなるまい。


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