(5/8)田中さんと新しい本部長
金曜の夜、木村浩子は野村総一郎と二人で食事を取っていた。会社の近くにある気取らない洋食屋だ。富永裕子に逃げられたので今日は二人だ。とはいえ、浩子も野村総一郎が嫌いな訳ではない。誰にでも分け隔てなく接する事ができ、人間的に信用できる同期だ。そう、ただの同期だ。と浩子は自分自身に言い訳をしていた。
最近の映画やドラマの話をしていた野村が話題を変えるように言った。
「そちらの本部に新しい本部長が来るみたいだね」
「うーん。聞いてない。でも、上の方の話だから関係ないかな」
「なんか、強引なやり手でブルトーザー見たいな人って、噂だ」
総一郎が皿に残ったピラフをナイフでブルトーザーのように集めた。
「なに、それ。昭和の政治家?」
と浩子は笑ったが、その時はこれから始まる騒動を全く予想できていなかった。
2週間後の月曜日、その新しい本部長はやって来た。会社の方針で上の方の管理層を大きく入れ替えたらしい。
「今日からここの本部長をやる剛田だ。前の事業所では売り上げを150%上げた。ここでもガンガンやるからそのつもりで」
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その夜、新本部長の歓迎会が行われた。
剛田本部長は声が大きい。浩子と富永裕子は避けるように会場の隅にいたが本部長が目ざとく見つけて手招きする。
「お~~~い、こっちへ来んか」
富永裕子が軽いノリを見せつつ本部長の元へ行く。どうぞ、とか言ってお酌とかしている。本部長も嬉しそうだ。
「富永は流石だなぁ」と浩子の隣にいつの間にかやって来た野村総一郎が呟く。
「何で、あんたがいるのよ」と浩子が言うと
「だって、あれだよ。営業としては新しい本部長とパイプいるじゃん」と軽い調子で言う。
などと総一郎と話しているうちに本部長の方が何やら怪しくなってきている。本部長が何やら言って大曲課長の頬をバチバチ叩くので富永裕子が止めようとしたら本部長が裕子に抱きついて何やら言っている。
ヤバい、と浩子は感じた。本部長が何を言ったかはっきり聞こえなかったが、あの裕子の表情は本気で怒っている。裕子は地下鉄で痴漢の腕を捻りあげた勇者だ。あれは絶対殴りかかる、止めねば、と。
そう思っているより早く、野村総一郎が本部長と富永裕子の間に無理やり割り込んだ。
「本部長、僕も仲間に入れて下さいよ」と本部長に総一郎が絡んでいく。
その隙に富永裕子は会場を出て洗面所に向かっていた。浩子はあとを追う。
洗面所に入るのと同時に富永裕子は浩子の方に振り返った。
「ふぅ、危なかった。もう少しであいつの小指の骨を折るところだった。野村に感謝しないと」と裕子は笑う。しかし肩が少し震えている。浩子は黙って裕子の肩を抱いた。
浩子は考えた。こんな夜もあるだろう。いろいろな人が会社にはいるのだ。それが会社であり、それが社会だ。
しかし、本当の騒動はまだこれからだった。




