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4/8

(4/8)田中さんとシンポジウム

「おおーいい、木村!今度の土曜日、暇?暇だろう。偶然、ミュージカルのチケット貰ったんだけど、行こうよ」

と向こうからいつもに増して明るい野村総一郎がチケットをひらひらさせながらやって来る。


木村浩子は思わず苦笑した。一緒にいた富永裕子が面白がって浩子を肘でつつく。


野村総一郎が二人の目の前に来たとき、木村浩子は申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい。その日、今取り組んでいる通信系のシンポジウムがあって、参加予定だから行けない」

「あぁ、そうかそうか、うん、このチケットは偶然貰ったやつだから大丈夫。友達にでもやるかな」

と大袈裟に頷いて去っていく野村。


「あのチケット、ものすごく取れないの知ってる?」と富永裕子が浩子に言う。

「でも、シンポジウムがあるのは本当だから」


そのとき、去りかけていた野村総一郎が小走りに戻って来る。

「いや、特に気になるわけでもないんだけど、そのシンポジウムって、あの田中さんと行くの?」と浩子に聞く。

「ううん、それは私ひとり」

「ふーん、そうか。いや、別にどうでもいい話なんだけどね。そうか、そうか」

と心なしか軽やかに去っていく野村。


ひとりで行くのは本当だが、シンポジウムには田中さん絶対来るだろうな、とは浩子も口にしなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


シンポジウムの当日、木村浩子は会場で田中さんを探した。そして会場の前の方に座っている田中さんを見つけた。


シンポジウムでは、新しい通信規格について有識者が数名登壇し技術的な解説を行った。田中さんは熱心にメモをしている。田中さんはあくまで多くの参加者の一人だ。木村浩子から見ると雲の上の人の田中さんだが、こういう会場では只の聴衆でしかない。以前、田中さんが言っていたのは、こういう事なのか、と木村浩子は考えていた。


スポーツだってそうだ。高校時代、陸上の中距離選手だった浩子は地区大会を勝ち抜けるか否かの選手だった。しかし上級生にすごい先輩がいて、神と思っていた。だがその先輩でも全国的には全く無名であった。上には上がいる、という当たり前の言葉を痛感した。

何処までがんばればいいのだろうか、そういう悩みにグルグルしていた学生時代だった。同じようなことを今も考えている自分がいる。

あまり、細かいことを考えるのはよそう。今はただ新しい事を勉強して1mmでいいから進めればいい。


そんなことを考えているうちにシンポジウムは最後の座談会となった。本日の登壇者がステージに揃いこの技術の未来について議論している。きっとこの分野のトップ技術者なのだろう。その壇上の真ん中に座る男性が木村浩子は気になった。名前は中森トオル、年齢は30から40の間だろうか。よく年齢が読めない。長身でスポーツ選手のように均整が取れている。他のメンバーもその男性を一目置いているのがわかる。


と、その中森トオルがマイクを持ってステージの前面に出てきた。

「そろそろシンポジウムも終わりなので、何か会場の皆さんから質問やご意見ありませんか?」


こんな会場で手を挙げる人はいないだろうと浩子は思ったが、一人いた。

田中さんだ。


「これからの通信はセキュリティが重要だと思いますが、物理トークンの導入はありませんか?」

田中さんがそう言うと一部の登壇者が軽く笑うのが見えた。


その笑った年嵩の登壇者がマイクを受け取り答える。

「いや、この時代に物理トークンは無いと思うよ」

その言葉にまた数人の登壇者が軽く笑う。浩子は田中さんが馬鹿にされたみたいで少しムッとした。


その時、中森トオル氏が再度マイクを取って言う。

「いや、これだけネットワーク越しの攻撃が酷い時代だから、敢えて鍵のような物理的な仕掛けもおもしろいかもしれませんよ。いろいろな可能性を考えるべきです」

先程笑った人達が気まずそうな表情をしている。


田中さんは、ありがとうございます、と言って着席した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


シンポジウム終了後、木村浩子は会場のホテル内のカフェで休憩していた。配布された資料を読み返していたとき声をかけられ、顔をあげると田中さんがいた。

「木村さんも来ていたんですね。お誘いせずにすみません。休日に仕事絡みの活動は良くないと思いまして」

微妙に困ったような表情をする田中さんが少し面白かった。いつも冷静な田中さんもこういう表情をするのだ。

「いえ、私も興味があって勝手に来たのだから気にしないで下さい」


田中さんは浩子のテーブルに座り今日のポイントをかいつまんで説明する。この人はこういう時にイキイキとするのだな、浩子が考えていた、その時、こんにちは、とまた声がして少し驚く。二人のテーブル脇に先程の登壇者の中心メンバー、中森トオル氏がいた。


「先程の質問者の方ですよね。私は中森トオルといいます」

多分、すごい人なのだろうが随分と気さくな感じだ。木村浩子はこの人物に好感を持った。


「あの、物理トークンを組み合わせる話、私は面白いと思ったのですが、もう少しお話を聞いてもいいですか?」

「もちろん大丈夫です」と田中さんは答え、少し説明する。それに中森氏が短く返し、また田中さんが答える。

小気味よいボレーの応酬のようだ。


あ、中森氏に好感を持った理由が木村浩子に分かった。この人も田中さんに似ているのだ。年は少し上かもしれないが年齢とか肩書など関係ないタイプの人だ。

同じテーブルで議論している二人を見て木村浩子は楽しくなった。


田中さん、この前、自分はその他大勢とか言ってたけど、今、トップエンジニアと並んで議論しているじゃないですか。田中さんはやっぱりすごいんですよ。

そう言いたかったが、今は二人をみているだけで十分だ。

その存在だけで周りの人々に元気を与えられ人っているものだ。そして自分の近くにそういう人がいるのは恵まれている。今日は幸せな一日だ。







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