(1/8)田中さんは今日も静か
木村浩子はオフィスで弁当を同僚と食べながら、密かに同じ課の田中さんを見ていた。浩子がこのIT会社に入ってもう半年。何とか仕事にも慣れ周りも見えてきたこの時期、気になっているのは同じ課の田中悟さんだ。
いや、恋愛感情で気になるというわけではない。あの田中さん、年は30くらいだろうか。中肉中背、髪形も普通、あまり声を出さない。とにかく普通なのだ。何か仕事の成果や知識をアピールするわけでもなく、淡々と過ごしているように見える。そのあまりにも自分自身をアピールしない感じが気になっているのかもしれない。
「浩子ぉ、あの田中さんが気になってる??」
かなり気を付けて密かに見ていたはずだが恋愛脳の同僚、富永裕子が切り込んで来る。この子、見た目は派手だが仕事も出来るし、周りの観察力も高い。コミュ力も高いし、浩子から見たら理想の社会人なのだが、何でも恋愛に結びつけたがるのは少し苦手だ。
「ううん、気になると言うか、少し不思議な人だな、と最近、思ってて」
浩子は富永裕子に変な誤解を与えないよう、事実を言った。
「あぁ~、確かに田中さんって、不思議な感じするよね。目立たないというか、空気みたいというか」
そう裕子が言うのを聞いて、そうか、皆同じように感じているんだなと浩子は少し嬉しくなった。あまり知られていないけど自分が気になっていたシンガーを別の誰かが認めてくれたみたいだ。
そのとき、部長と本部長がやってくるのが見えた。ここの大曲課長のところにやって来て何か会話している。
「おぉ~、何やら不穏な雰囲気」と富永裕子が面白がっている。
昼休みが終わり午後の業務時間が始まったとき、大曲課長がフロアの課員を集めた。
「急だけど田中君が今日から2週間、金融事業部に応援に行くことになった。済まないが田中君の作業を皆でカバーしてほしい」
え~~と言う声はどこからも上がらなかった。誰もがそれを納得しているようだ。そうだ、田中さんって何をしても目立たないのだ。普通、メンバーが2週間も抜けたら大騒動のはずだけど田中さんが動く時は静かだ。
そして2週間後に田中さんは静かに課に戻ってきた。
田中さんも課長も何も言わなかったが、隣の金融事業部で品質低下の大問題が発生しプロジェクト破綻の危機があったそうだ。そして田中さんが淡々とその問題部分を解決したらしい。
木村浩子はますます田中さんが気になっていた。




