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仮面のピエロ

作者: 辻堂安古市




 私が今、手に持っている仮面(マスク)は、かつて友人だった者から託されたものだ。この仮面には涙を流しながら笑う、ピエロのペイントが施されている。

 

 通常であれば直接肌に施す化粧(メイク)が、なぜ仮面(マスク)に施されているのか。その疑問に答えるには、この仮面の元の所有者の事を少し語らなければならない。




 その友人は、あるパフォーマー団体に所属していた。色々な軽業を披露していたのだが、「魅せ方」についてはなんとも要領が悪く、なかなか持っている芸が認められずにいた。それでも本人としては楽しくやっていたらしく、たった僅かな観衆でも「今日はお客様に見ていただいたんだよ!拍手ももらえたんだ!」と、嬉しそうに舞台裏の楽屋に帰ってくるのが常だった。仲間たちも、そんな彼を冷やかしながらも暖かく見守っていた。私自身、彼のそんなささやかな自慢話の聞き相手を何度務めたか分からない。




 ある日、友人に転機が訪れた。あるイベントに呼ばれていたメンバーの一人が体調を崩し、急遽代役として彼が呼ばれたのだ。その際、素性が分からないように(彼の観客受けはあんまり良いとは言えなかった)、仲間たちが面白半分とお節介半分で「道化師(クラウン)」の化粧を施した。そんな仲間の「親切」と「期待」に応えるべく、彼は懸命に頑張った。苦手なマイクパフォーマンスも、その化粧と彼の一生懸命さが相まって、そのステージは大成功を収めた。




 この事がきっかけで、友人はあちこちへ呼ばれるようになり、忙しい日々を送ることになった。そんな毎日を送っていても、彼は仲間とのつながりを切らないように努めて連絡を取るようにしていた。今までお世話になった仲間達への恩を返そうと、彼は積極的に声をかけ、時には相談に乗っていた事もあった。その様な仲間たちとのつながりを絶やさないようにする彼の姿を、見ない日はなかった。


 しかしそのような「気配り」は、最初こそ感謝もされていたようだが、その頻度もあって次第に疎んじられるようになった。仲間達は最初、それとなくやんわりと断っていたようだが、彼の方は「本当に迷惑なら、彼らは正面からしっかり言ってくれるだろう」と、半ば一方的で独りよがりな信頼感を持っていたようだった。また、贔屓や妙な繋がりと思われないように、敢えて人前での接触をとらないようにもしていたようだった。


 だが「気配り」というものは、それを受け取る側あるいは世間一般の感覚からずれていると、感謝どころか余計なお世話や迷惑行為とも取られてしまう事が多い。また、彼が信頼していたほどには、彼は信頼されていなかった。それは彼が生来そそっかしいところがあり、よく人の話を理解しないまま行動してしまうところがあったからでもある。だが、そんな事も自分で気付かなかったがために、決定的な溝を生み出すこととなってしまった。


 溝ができれば、幾ら本人が善意のつもりであっても、相手にとっては迷惑でしかない。当然ながら間もなくして「押し付けがましい」「空気が読めないやつ」「裏で何かやっている」「売名行為だ」と見られるようになってしまった。ここに至って、ようやく彼もそういった雰囲気を感じ取ったのか、舞台上でしか見せない「おどけ」も使ってコミュニケーションを何とかとろうとしていたようだが、それがまた逆効果となってさらなる不況を買ってしまい、ますます距離は離れてしまう一方になってしまったのだった。


 仲間からの評価と世の中からの評価の乖離から孤独感を深めていった彼は、次第にうまく笑えなくなってしまった。それでも世の中は彼に「道化師」としての役割を求めていたため、いつの頃からか、彼は化粧の代わりに涙が描かれた「ピエロ」のマスクを嵌めるようになった。「ピエロ」は「道化師」の中でも悲しい場面を受け持つキャラクターだが、彼はその仮面をつけながら、笑いを求める観客のために舞台に立ち続けた。


 しかし、それもやがて終わりの時を迎える。仲間たちが隠れて彼の愚痴を話している事を、人伝(ひとづて)に聞いてしまったのだ。人の愚痴や不満というものは、得てしてその背景まで全て話される事はなく、ただその対象者への不満や憎悪のみで語られ、本人に確認されないまま広まっていくものだ。彼に伝わった内容も当然ながら、そのようなものだった。だが薄々感じていた事が決定的になった事で、彼はついにその団体と表舞台から身を引くことを決意した。






 その日の夜、彼と食事を共にしていた私は、「君はそれで良いのか?誤解を解くべきではないのか?」と、ずっと気になっていた事を聞いてみた。


 彼はじっと私の目を見つめたあと、視線を机に落として話し始めた。


「恐らく私の言い分は聞き入れられないだろうし、謝る事さえ許されないだろう。それに、このまま消えれば、恥知らずとか卑怯者とか言われるかもしれないね。だけど、それでいいんだ。彼らは本当に気の良い、優秀な人達だし、全ての事は私の至らなさが招いた事なんだから。全く恥ずかしいことだよ。私は不快な思いをずっとさせてしまっていた事が恥ずかしい。そんな事すら、気付けなかったんだ。

 ただ、君にだけは私の心のうちを話しておきたかったんだ。今日まで話を聞いてくれて本当にありがとう。それで、君への最後の頼みになるんだが………これを受け取ってくれないか?」


 そう言って、彼は持っていた仮面を私に差し出した。それを受取る時、少しばかり躊躇いがちに力が込められるのを感じたが、すぐにそれは消えた。この時の彼の顔をなんと表現すれば良いのかわからない。寂しさと、諦めと、安堵の表情が入り混じった顔をしながらぼそりと呟いた一言を、私は生涯忘れないだろう。





「有名になんて、ならないほうが幸せだったなあ」




 私は、それ以上何も問えなかった。

 暫くの間、受け取った仮面に描かれた涙を見つめた後、ただ一言を喉の奥から絞り出した。






 「君は、バカだ」






 彼は何も言わずに、ただ俯いて微笑んでいた。

 








 友人が人知れず去ったあとは、喝采を叫ぶ者、卑怯者だと罵る者、少しさびしく思う者と、反応はそれぞれだったようだ。また世間では「少しばかり名が売れたパフォーマーの失踪」に対して、色々な憶測が飛び交った。だが、憶測というものはあくまでも憶測である。彼の心の内を知ろうとするものはほとんどいなかった。そのうち、Γ厄介者」としての彼のことを、話題に上げる者はいなくなった。





 その後、彼がどうなったのか、何をしているのかは、私も知らない。独り善がりな思い込みで、人の話をきちんと受け取らなかった彼に、同情の余地は無い。


 ただ、「涙を流すピエロの仮面」があの時の表情と重なる時のみ、一人舞台を降りて行った、不器用で愚かな友人を私は思い出すのだ。






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