ああ……。また今日も君は自殺した
その日僕は、幼馴染が自殺するのを見届けた。
同じ日に同じ病院で生まれた彼女。親同士が仲が良く、小さい頃は一緒にお風呂に入ったこともある。小学校までは毎日並んで登下校したし、放課後はいつも公園で遊んだ。
今だから言うけど、子供ながらにした君との結婚式を、僕は未だに忘れたことはない。
中学に上がると周囲の声が僕たちの仲を裂いた。思春期の年頃に、男女の友情など存在できないのだ。
彼女はクラスでも太陽の様な存在だった。明るい性格。誰とでも仲良くできるコミュニケーション力の高さ。短髪ながらも艶のある綺麗な黒髪。ふわりと漂う優しい柔軟剤の香り。すらりと伸びた手足。雪のように白く儚い首筋。ふっくらとした胸元。
その全てにクラス中……いや、もしかしたら学校中の生徒が、夢中だった。
でも、僕だけが知っている。
高校に進学してから少し経ったあの日、同級生一のイケメンの中島くんを振った君が、久しぶりに一緒に下校した僕に漏らした言葉ーー
「死ねばいいのに」
耳を劈くようなヒグラシの声で掻き消そうとするように、ぼそりと言ったあの言葉が君を《物語の中のヒロイン》から、一気に影を持つ実体にしたのだ。
「……えっ!?」と聞き返した僕に、振り返りながら君はいつのも笑顔で「どうしたの?」と返す。
夏の長い夕日に照らされて、バサッと揺れた黒髪が赤色に透けてキラキラとしている。
けれども僕は自分の足元に伸びる彼女の影が、まるで逢魔が刻の魔物のように僕を引き込もうとしているように見えたのだ。
彼女の中に何かが潜んでいるようなそんな感覚で、僕は平衡感覚を失ったように視界が、世界がグルグルとするような感覚に捕らわれた。
「大丈夫?」という彼女の声に僕はハッとする。息をすることすら忘れていたのか、自然と肩が上下する。動悸がする。バクバクと躍動する鼓動が、もしかしたら君にも聞こえていたのではないだろうか。
「……大丈夫だよ。それより、柑菜こそ大丈夫なの?」
僕の口はなぜか強張っていて、上手く呂律が回らない。短い言葉の間に一呼吸挟みながらようやく返事ができた。
「ん?わたし?……ああ、中島くんのこと?」
「うん……。なんか女子たちが色々言っていたからさ……」
「あんなの全然気にしてないよ。ねえ、知ってた?女の子って、怖いんだよ?」
そう言って彼女は、時代劇の悪役のようにニヤリとする。
「男の子って、なんだかんだ力で戦っちゃうじゃん?」
ああ、彼女がなにを言いたいのか察しがつく。
腕力という暴力ではなく、言葉の暴力で戦うのが女の子なのだと。
それは偏見なのかもしれないが、彼女の家庭ではそれが普通だったのだろう。
「そっか」としか僕は言えなかった。
*****
翌日の学校でも、彼女への陰口は僕のような机が枕の人間の耳にも入ってくる。コソコソとしているような素振りだけの内緒話がクラス中で聞こえるのだから、それはもうただの会話と同じだけの声量になっているのだ。
僕はそっと目線を渦中の彼女に向けてみた。
彼女はそれでも仲の良い友人逹と会話を楽しんでいるみたいだった。いや、ただしくは『彼女だけは』かもしれない。
友人らしき人逹は、しきりに片方の手の平でもう片方の腕の肘をさすっている。目線はキョロキョロと泳ぎ、定住できる場所を探しているみたいだった。それにずっと笑顔だった。
見てらんないな、と思う。そうは思うが僕は行動にはなにも移せない。
関係ないからとか、目立ちたくないからとか、そんな誰にするでもない言い訳が、僕の頭の中でぐるぐるとする。
本当はただただ怖いだけなのに。そんな自分に嫌気がさして、僕はまた机に目を向け、瞼を閉じる。
薄れゆく意識の中で柑菜の「わたし、お手洗い行ってくるね」と言う声が聞こえた。
目は開けていないし、彼女が座っていた場所も見ていない。けれども、瞼の裏に鮮明に光景が浮かぶのだ。
友達らしかった人が安堵し、自然と笑顔がなくなる姿が。柑菜が教室から出たのを確認してから、そそくさとその場から逃げるように立ち去る姿が。そして、周囲の雑音に溶け込んでいくいく姿が。
それが僕には胸糞悪い。
そんな僕も、きっと彼女たちと同じ立場になったら同じ行動を取るのが容易に想像できたからだ。
*****
放課後、教室は静けさを取り戻す。誰もいないことが、こんなにも気が楽だったなんて知らなかった。
僕はゆっくりと立ち上がり、机の横に掛けていたカバンを手に取る。ズシッとした重さが腕に伝わる。
「そういえば……柑菜が教室に戻って来たのを見てない気がする」
僕はなんとなく彼女の席に目をやる。
そこには、彼女の好きなキャラクターのキーホルダーがぶら下がったカバンだけが取り残されていた。
教室の窓からカーテンを通して差し込む光が、それを薄っすらと照らし、漂う埃は雪のようにゆっくりと沈んでゆく。
それに僕が手を伸ばした瞬間、ガラガラッっという教室の扉が開けられる音が室内に響く。
別に悪いことをしようとしたわけではなかったーーむしろ忘れ物として彼女の家まで持って行ってやろうかと思っていたぐらいだったのに、僕の身体はビクッと反応してしまう。
恐る恐る振り返ると、そこには柑菜が立っていた。目があった瞬間、彼女はいつものように意地悪な笑顔を浮かべる。そしてーー
「な〜にしてるのかな〜?」
と言って、ニヤニヤしながら近づいてくるのだ。
「なんもしてねえよ。忘れてるのかと思って、届けてやろうかと思ってたところだよ」
「本当に〜?」
彼女は下から僕のことを舐め上げるように見てくる。
でも僕は、彼女の胸元には目がいかず、目元に視線が吸い寄せられる。
赤くなっている。決して夕日のせいではなく、何度もなんども擦ったのだろう。薄っすらと血が滲んでいるのだ。
「なあ……」
「なに?」
そんな彼女を見て、僕はなぜか悲しくなった。
「俺の前でまで、無理しなくていいぞ……」
彼女の目が丸くなって、そしてすぐにいつも通りになる。
「うん。ありがとう。そろそろ帰ろっか」
そう言って彼女はカバンを肩にかけ教室を出て行こうとする。
あと一歩踏み出すだけで教室から出るってタイミングで、彼女は僕の方に振り返る。
「一緒に帰ろっ?」
*****
次の日も、教室の雰囲気は変わらない。どこからともなく聞こえてくるコソコソ話。
彼女は今日もニコニコとしている。
誰にも悟られず、人知れず。
彼女は今日も自分を殺すのだ。