『青猫三角亭』にて②
三度目ということもあって公務も勉強もとても順調に進んだからか、自由な時間もたくさんもらえた。そういうことで、私はちょくちょく『青猫三角亭』にお邪魔するようになっていた。
『青猫三角亭』はブラウ王国が滅びかけていた頃から存在していたぼろの料理店を改装したもので、店名の由来はブラウ王国の別名である『青の王国』、店主が猫好き、店が三角屋根だから、ということらしいと教えてくれたのは、初日に私の接客をしてくれた青年店員だった。
「こんにちは、レクス。今日もランチをいただくわ」
「あっ、こんにちは、ミナさん! どうぞこちらへ!」
三日に一度くらいの頻度でここで昼食を食べているからか、私はもうすっかり常連客になっていた。
レクス――緑がかった黒髪の青年店員は私を見ると分かりやすく笑顔になって、進んで接客対応をしてくれる。なんというか、彼からの好意をひしひしと感じる。ラブではなくてライクの部類だとは思うけれど。
レクスは王国の田舎出身で、二十一歳。家族はいなくて、王国が復興したとの噂を聞いて移住してきたそうだ。
ゲームでも、国の復興が進むと住民が増えていった。住民といっても街をうろうろするものの話しかけることもできないNPCのモブばかりなので一人一人の名前は出てこなかったけれど、その中の一人がレクスだったってことのようだ。
なおレクスにはミナという名前を名乗り、最近王国にやってきた冒険者だと説明している。
年齢は不詳だけどひとまずこれからは成長するはずだし、見た目はそれくらいだろうということで、二十三歳と自称している。
「そういえばミナさんは来週の建国祭の日、ご予定はありますか?」
今日のおすすめランチであるオムライスを持ってきてくれたレクスに問われたので、ちょっと返事に困ってしまう。
……そう、あのループ現象が起こる運命の日が、もう来週に迫っていた。
未だに私は結婚相手を選べないどころかそのモチベもだだ下がりで、のらりくらりと逃げ回っている状況だ。
レクスの言葉で憂鬱なことを思い出してしまいつつも、微笑みを返す。
「夕方まではやることがあるけれど、それ以降は特にはないわ」
「そうですか! あ、あのですね。実は建国祭の日の夜、うちの店は特別深夜営業をする予定で、ダンスパーティーを開くんです」
うん、知っている。前回、窓越しに見たから。
「そうなのね。楽しそうだわ」
「絶対に楽しいです! ですのでもしよかったら、ミナさんにも来てもらいたくって。……あっ、健全なパーティーですからね! 常連のお客さんだけを招いて、歌って飲んで踊ってって楽しくするだけなので、安心してください!」
決していかがわしい会合ではないことを一生懸命説明するレクスを見ていて、つい目を細めてしまう。
……今思うと、あのときガラスの向こうに見えた暖かくてにぎやかな光景に彼も混ざっていたのだろう。
うらやましい、と密かに思っていた私の視線の先に、彼もいて……。
「……そうね。楽しそうだから、参加しようかしら」
「是非とも! じゃあこれ、招待状です。夜明けまで開く予定ですがいつでも退店可なので、気楽な気持ちで来てくださいね」
「ええ、ありがとう」
レクスから受け取ったのは、小さなカード。そこには、『青猫三角亭主催・建国祭記念パーティー』と書かれている。
建国祭の日の夜、城を抜け出すルートは把握している。そこを通って店に行けばいいだろう。
……ああ、そうだ。これまでは日付が変わる前に寝てしまったから、それが原因なのかもしれない。
夜更かしをするともしかしたら、ループ現象から逃げ出せるかも……!?
レクスたちと歌って踊っていると、日付が変わるのも怖くないだろう。うん、そういう点でもよさそうだ。
「当日、楽しみにしているわ」
招待状を懐に入れてレクスに微笑みかけると、彼は「僕もです」と嬉しそうにはにかんだ。
さて、やってきました建国祭当日の夜!
今回も私は人払いをして、着替えだけを入れた鞄を持った。着替えてから行くという方法もあったのだけど、城下町に出るために城壁の穴を通る際に、どうしても服が汚れてしまう。
せっかくのパーティーなのだから、きれいな服で行きたかった。
時計が、夜の九時を指す。
二度目のときと同じく、廊下も階段も人気が少なくて容易に脱出できた。城壁の穴も、潜るときのコツが分かっていたため前回よりもスムーズに抜けることができたので、家屋の物陰でささっと服を着替えて髪も整えた。
……さあ、いよいよ三度目の夜の始まりだ。
二度目の夜には前を通るだけだった、『青猫三角亭』。そこには明かりが灯っており、ちょっと調子の外れた歌声や楽器の音色も聞こえてくる。
ドアには「本日特別営業中」という雑な字の張り紙が貼られており、そこを押し開けると店内の明るい光が目を刺激してきた。
「あっ、ミナさん!」
すぐにやってきたのは、レクスだった。いつもの彼はキッチンにも立つからか前髪をおでこの横に流しているので、髪を下ろしている今日の彼はちょっと新鮮だった。
服装もいつものカフェ店員風ではなくて、パンツに長袖シャツというラフな装いだ。
「こんばんは、レクス」
「こんばんは! ……よかった、ミナさんが来てくださった」
「約束したじゃないの」
そう言って彼に招待状を見せて……少し思うことがあったので、彼を見上げる。
「あの。もしよかったらこの招待状、この後もらってしまっていい?」
「えっ? もちろん構いませんが、ごみになるだけじゃないですか?」
「……ならないわ」
確認を終えられた招待状を胸元に当てて、私は微笑んだ。
……もしかすると、またループするかもしれない。いや、結婚相手を選んでいないのだからループする可能性は十分にある。
それでも、どうかループしないで、今晩の思い出をなかったことにしないで、という願掛けをしたくて、招待状を持っておきたかった。
レクスは少し驚いたように目を丸くしてから、それから「分かりました」とうなずいた。
「よかったら、そのままお持ちください。……実はその招待状、僕が描いたんです」
「まあっ、そうなの? 字もきれいだし、猫のかわいいイラストも上手に描けていると思っていたわ」
「あはは、ありがとうございます。店長に言われたから渋々描いたんですが……ミナさんにそう言ってもらえて、それにあなたに持っていてもらえるなら、描いてよかったと思えます」
レクスは照れたように言ってから、そっと手を差し出してきた。
「それじゃあ、こちらへどうぞ」
婚約者候補たちも私をエスコートするときに手を差し出すけれど、レクスのそれは彼らと違って気品とかはない。
それでも……。
「ええ」
この手を取りたい、と心から思えた。