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残された、受け取れぬ想い









 御所の中心部である帝が住まう内裏だいりの南の建礼門けんれいもんの向かいに陰陽寮はある。そこに実直さねただを尋ねると人の良さそうな陰陽得業生おんみょうとくぎょうせいに「物忌ものいみでお休みです」と言われた。

 物忌みとは六壬式占ろくじんしきせんという中国発祥の天盤などを使う占いで決められた謹慎日のことである。基本的に休日がないため、物忌みは謹慎日であると同時に休養日とも考えられていた。

 他にも御所へ向かう途中で人や犬猫などの死骸にぶつかれば行触ゆきぶれとして家に戻り謹慎しなければならない。長い時には三十日も家に閉じこもらなければならないのだ。

 物忌みだからといって人によっては、必ず家にいるとは限らない。基嗣は帰りに一度実直の屋敷に寄ることにした。

 実直の屋敷はあまり大きくない。

 ぎりぎり牛車ぎっしゃが通れるような低い古びた門を抜け屋敷に入る。

「ごめんください。恐れ入りますが、賀茂殿はおいででしょうか。私は左兵衛少尉さひょうえのしょうじょう藤原基嗣ふじわらのもとつぐと申します」

 きざはしの下から声をかける。

「はい」「はい」「はい」

 聞き間違えかと思ったが確かに返事が三回聞こえた。どたどたという足音と共に三人の老女が現れる。

「お待たせいたしました」

「あらあら、若い少尉しょうじょうさんね」

「実直様になんのご用?」

 一瞬あっけに取られたが、気を取り直すと三老女に会いたい旨を告げる。

「今ね、いらっしゃらないのよ」

「そういえば基嗣様って仰ったわね?」

「じゃあ、これをお渡しするわ」

 一番背の低い老女が慌てて懐から文を取り出した。

 開くと「東寺にてお待ちします」とだけ書かれていた。男手蹟おとこでにしては流麗で達筆だ。

 やはり陰陽師は不思議な存在だ。夕星の姫は鋭い観察眼と実直のことを評したが、自分を名指し、文を残すなどいくら観察眼が優れていてもできることではない。

 三老女に礼を述べ屋敷を後にする。

 しかしなぜ東寺なのだろう。

 疑問に思うがそれは会って聞けばいいことだ。

 屋敷に戻り、花梨と盛義と合流して東寺に向かった。

 よく抜け出したものだと思う。

 内大臣は案外、娘に甘いのだろうか。それとも本当に花梨が屋敷を抜け出したことを知らないのだろうか。

 ――― それはないだろう。

 職務が忙しくて大変な時期ならいざ知らず露草の姫の服喪ふくも中でずっと屋敷にいるのだ。把握していないわけはない。

 やはり実直を頼る前に直接内大臣に許しを乞うべきだったかもしれない。こんなふうに花梨を連れ出せば、こそこそとして、と悪印象を与えてしまうのではないだろうか。

 久々の遠出で花梨は息を切らしていた。

「大丈夫か?」

 基嗣が声をかけるが気丈にも「大丈夫」と微笑んで見せた。それを見て盛義が口笛を吹き花梨の頭をぽんぽんと叩く。

「万寿丸はやはり気が強い」

 昨日、花梨と万寿丸が同一人物と知ったばかりのはずなのに、盛義の態度は変わりがない。勤め先の主人の娘なのにいっこうに敬おうとはしない。

 それがなんだか盛義らしかった。

 花梨は「ぽんぽん叩くな」と盛義に抗議をしていた。そんな二人を見て基嗣は苦笑する。相変わらず後ろには基嗣の護衛の安之と安則、そのさらに後ろに二人の武士もののふがいる。

 東寺が見えた。

 教王護国寺きょうおうごこくじ、通称東寺という。東寺真言宗の総本山で平安京の鎮護として建てられた寺である。境内の東南隅に高くそびえ立つ五重塔は西寺の五重塔と並んで京師で一番高い。

 あの塔の上から京師みやこを見下ろすことができればさぞ気持ちがいいだろう。

 境内には庶民の姿が多い。空海の庶民信仰の高まりによって東寺には貴族はもとより庶民も説法せっぽうなどを聞きに来る。

 五重塔の傍近くに実直が立っていた。

「賀茂殿」

 基嗣の呼びかけに実直は軽く手を上げると微笑した。

「珍しい方もご一緒ですね」

 背の高い青年は花梨を見て微笑む。

「わたくしが無理を言ってついてきたの。これを賀茂殿にお渡ししたくて」

 そう言うと淡紅梅の包みから文箱を取り出した。

「姉様の文箱に残っていたものです。お受け取り下さい」

「申し訳ありませんが、受け取ることはできません」

 実直はあっさりと微笑んで断る。

「あなたには見えてらっしゃらないでしょうが、後ろに二の姫様がお見えになります。その前で文箱を受け取るということは二の姫様のお気持ちをも受け取ったことにもなる。それはできないのです」

 実直の言葉に三人ともぎょっとした。

 二の姫がいる。そう実直は言った。

 つい三人ともきょときょとと周りを見渡した。けれどなにも見えはしない。

 実直は花梨に歩み寄ると、彼女の右肩上にそっと手を差し伸べた。

「申し訳ありません。私には他に想う者がいるのです。あなたの気持ちに応えることはできないのです」

 空中を見つめて実直は微笑むと口の中でなにやら唱えた。

 突如、風が巻き起こった。不自然に下から起きた風はそのまま上へ上へと去っていく。

「これで二の姫様は極楽浄土に向かわれたことでしょう」

 はるか上空を見つめて実直はぽつりと言った。ただ風が巻き起こったとしか思えない。

「わたくしに露草姉様が憑いていたというのですか?」

 花梨の問いかけに実直が首を横に振る。

「三の姫様にではなく、その文箱に二の姫様の思いが残ってみえたのです」

「賀茂殿の想い人とはどなたなのですか?」

 遠慮のない花梨の問いかけに微笑みをくずさずに実直は答える。

「今日、ここまでご足労願ったのは、彼女に会ってもらうためなのです」

 そう言うと実直はすたすたと奥のほうまで歩いていってしまった。慌てて追いかける。

 着いたのは講堂の裏にある壁の前だった。傍には大きなくすのきがそびえ立っている。

「この奥の院に彼女はいます」

 実直の言葉に三人ともあっけに取られた。まさか尼御前あまごぜとは‥‥‥

よわい、二十年の桃の木の精です」

 そう言うと実直はひょいと楠を登っていった。浅沓あさぐつを履いているのに猿のように身軽に木の上へよじ登る。あっという間だった。

 花梨が包みを置くと裸足になり木にへばりついた。跳ねても届かない高さに枝があるため幹を伝っていくしかない。

「か、万寿丸。ちょっと退いてろ」

 そう言うと盛義の肩を借り一番低い枝に飛び移る。花梨に手を貸し引っ張りあげる。枝に乗れさえすれば、後は大丈夫だった。実直ほど自由自在に登ることはできないが、なんとか実直のいる枝までたどり着いた。

「あの木です」

 実直の指さす先に一本の桃の木があった。

 なんだか貧弱な木だ。

「上皇が天皇であられた頃、尾張おわり国守こくしゅが三本の桃の木を献上しました。その桃の木は一本は内裏だいりに、もう一本は神泉苑しんせんえんに、あと一本はこの東寺の奥の院に植えられました。けれどそれまで鏡の森で育った彼女たちに京師の空気が合うはずもなく‥‥‥日に日に弱まっていくばかり。特に桃里とうりの衰弱は激しくて‥‥‥‥今はここまで傍に来ても話すことすらできない」

 真っ直ぐに桃の木を見つめ、苦しげに語る実直を二人はじっと見つめた。

「あ‥‥‥」

 花梨が声をあげる。

「三の姫様はお見えになるんですね」

「ごめんなさい。淡紅の光が見えるだけで、よくわからない」

 基嗣は目をこすってみるがそんな光りは見えなかった。

 けれど桃の木の精がいるのは確かなのだろう。

 切なげに見つめる実直を見ているとそれが嘘だとは思えない。自分に見えないからといって、見えないものを否定する気にはなれなかった。

「いつか彼女を鏡の森に帰す。そのために私は内大臣殿のがわにいるのです」

 二人を見つめ微笑んだ。

「私は彼女を追って鏡の森から京師に出てきて父のもとで陰陽師になったのです。二の姫様のお気持ちは嬉しいのですが、お答えするわけにはいきませんでしたし、それに何も言われていないのに断るのも変だと思い黙っていたのですが‥‥‥とりあえず降りましょうか? 誰かに見つかると面倒です」

 そう言うと実直はその場からひょいと飛び降りた。

 息を飲む。

 二階程の高さとはいえ飛び降りて無事な高さではない。だが実直はなにもなかったように直衣のうしのほこりを払っている。

 驚いて動きの止まった二人だったが、確かに見つかれば怒られるだろう。そそくさと降り出した。基嗣が地面に着いた時、上から悲鳴が聞こえた。

「わ!」という声と共に花梨が落ちてくる。

 基嗣は慌てて花梨の落下点に駆け出した。間一髪で彼女を抱きとめる。正確には抱きとめるというより下敷きになるのが合っているが。

「この馬鹿! 木登りは登る時より降りる時に注意しろってあれほど言っただろ!」

 ぱこんと軽く花梨の頭を叩く。落ちたとしても死ぬほどの高さではなかったが打ちどころが悪ければなにが起こるかわからない。

「ごめんなさい」

 肩を縮めて小さくなる花梨を見つめて大きく安堵の吐息をもらす。

 無事で良かった。

「三の姫様のご用はもうお済でしょうから、内大臣殿のお屋敷までお送りしましょう。それから基嗣殿は一緒に私の屋敷に参りましょうか」

 花梨に手を差し出し、実直が微笑む。

「わたくしがいてはだめなの?」

 実直の手を借りて立ち上がると花梨は問いかける。

「三の姫様にもおやりになることがあるはずです。お父上を説得なさるという大役が。簡単には参りませんでしょうが」

 実直の微笑みが少し意地悪く見えるのは気のせいではないだろう。

 東寺を出て、内大臣邸に向かう。

「この文はどうすればいいの?」

「燃されてはいかがですか‥‥‥灰は、散骨なされた時と同じように賀茂川に流せばよろしいでしょう」

 花梨の問いかけに穏やかに答える。花梨は淡紅梅の包みをきゅっと抱きしめる。

 受け取ってはもらえない姉の恋心。

 実直はとても優しげで穏やかな印象を受けるが、意外と頑固なのかもしれない。文くらい受け取ればいいのに‥‥‥と思うのは基嗣だけではないはずだ。

 内大臣邸の程近くで別れることになった。

 たぶん内大臣は護衛の武士から誰とどこに行ったか知るだろうが、それでも屋敷のそばまで花梨を送ることははばかれた。

 持っていた包みを盛義に預けると花梨は基嗣の両の手を取り握り締めた。

「覚えておいてね、わたくしは基嗣じゃないと嫌なの」

 基嗣にだけ聞こえるようにつぶやく。花梨は黒目がちな瞳を潤ませて見つめてくる。

「わかった」

 こくりと基嗣はうなずいた。

「では、参りましょうか」

 盛義が促す。花梨は屋敷に戻るまで何度か振り向いていた。

 実直と基嗣は花梨たちが門をくぐるまで、ずっと見つめていた。

「‥‥‥基嗣殿は自覚されてないみたいですが、ちゃんと三の姫様を大切に想っているではありませんか」

「へ?」

 間の抜けた声が出た。

 実直の微笑みは相変わらず変わらない。

「あのようにとっさに体は動きませんよ、普通はね」

 俺が花梨のことを想っている?

 首を傾げる。確かに花梨が木から落ちた時とっさに体が動いたけど、でも誰でも人が落ちそうになれば助けに入るのではないだろうか?

 実直は首を傾げ悩む基嗣の姿を見てくすくすと笑った。優しげな瞳で基嗣を見つめる。

「では、私たちも参りましょうか? 内大臣殿を攻め落とすのは楽ではありませんが、策がないわけではありませんから」

 あっさりと言う実直の微笑みはくずれることがない。基嗣はまずこの鉄面皮てつめんぴの微笑を手に入れるべきかもしれないと思う。

「よろしくお願いします」

 そう言うと基嗣は深々と頭を下げた。

 実直の屋敷に戻り、さてどのような方法で内大臣を説得するのかと多少わくわくしていた基嗣だったが、話を聞くうちに今までしていたことと大差がないことに気付き、心の中でがっくりしていた。

 今までは露草の姫に求婚していた者だけの噂を集めていたが、これからは対象を殿上人てんじょうびと全体に広げるだけだ。

「内大臣殿の足元はまだ不安定で固まりきっておりません。二の姫様の服喪が明ければ一の姫様入内ということになりましょうが、女御にょうごとして入内することは難しいでしょう」

 帝の正妻は中宮ちゅうぐう

 そのほかの妻に女御、更衣こういなどがいる。

 現在帝のもとには女御が三人、更衣が一人いるが、誰として身ごもっていない。けれどこの四人とも先の関白、現太政大臣げんだじょうだいじん、左右大臣たちの娘であるため、大臣の中では最年少の内大臣の娘がいきなり女御になるのは難しい。まずは尚侍ないしのかみ、もしくは御匣殿みくしげどの別当べっとうとして入内し、時を待って女御に進むということになるのだろう。

 他に四人も妻のいる帝のもとに乗り込むことになる夕星の姫のことを思うと、なんだかいたたまれなかった。

「今はまだ内大臣殿もお若い。急いで後継者を探す必要はない。それにもしかすれば現在北の方様が身ごもられているお子は男の子かもしれませんしね」

「北の方様がおいでになるのですか?」

 驚いた。内大臣邸で正妻、北の方の話題が出たことはなかったため勝手に亡くなられたのだと思っていた。

「お体があまり丈夫ではない方なので、普段は宇治の山荘で静養されているのです。内大臣殿は北の方様のお体をご案じになり、堕ろされるようにお頼みになったそうですが、さすが三の姫様の生みの親だけあって強情でいらっしゃる」

 つまり頑がんとして産むと言い張ったわけだ。

 実直の話を聞く限り、慌てて出世して取り入ろうとするより、内大臣の必要な情報を提供し続けて信頼を得るほうが大切かもしれないと思う。

 地下ぢげでは御所内で役に立つことはほとんどできない。ならば影として働くしかない。

「できる限り、内大臣殿が必要とされている情報をお教えしますが、基嗣殿のほうでも考えて、なにかわかったらどんどん内大臣殿にお知らせして下さい」

 ここまで言うと実直はなぜか急に声をひそめた。

「けれど、決して内大臣殿のためにしていることがばれぬようになさって下さい。あなたは、今は三の姫との婚約を急に解消された身なのですから」

 基嗣は黙ってうなずいた。

 ばれなければ婚約を急に解消されたことに怒りを表わし、内大臣を快く思わない人たちに近付くということもできる。味方になればいろいろ話してくれる者もいるだろう。

 内大臣のほうでも自分と花梨との婚約解消を知れば新しい求婚者が現れる。その求婚者を内偵することによりいろいろわかるかもしれない。

 今はただ、地道に裏側で内大臣の役に立つところを見せるしかないようだ。

 気の遠くなるような、手ごたえの得られない作業になるだろう。

 基嗣は首筋をなでた。

 この方法ではどれだけ頑張っても自分が婿として認められかわからない。でも今はやるしかないのだ。自分でなければ嫌と言い切る花梨のために。

「大丈夫。内大臣様はあなたのことをお気に召しています。それに三の姫様の頑固さもよくご存知ですからね‥‥‥それほど時はかからないと思いますよ。まあ、五年くらいでしょうか」

 にこやかに微笑む実直の言葉に基嗣は落胆の表情を隠しきれなかった。

 その表情を見て実直が苦笑する。

「情報収集を始める前に、その気持ちがすぐ顔に出るのをなんとかしたほうがよろしいですね」

「‥‥‥善処します」

 としか言えなかった。

(まだ基嗣は十三歳じゃない)

 花梨の言葉が思い出される。まだ俺は十三歳なんだ。五年たったとしてもまだ十八歳。

 大丈夫。

 基嗣は自分にそっと言い聞かせた。

「それより、お聞きしたいのですが、あの‥桃の木‥‥桃里殿を鏡の森に帰すと仰いましたが‥‥‥」

「私は‥‥‥半人半妖はんにんはんようなのです。鏡の森に住まう山姥やまんばと、その当時尾張国国守であった陰陽博士おんみょうはくし賀茂直行かものただゆきの子なのです。‥‥‥たいていの人はこう言っても陰陽師として箔を付けるための嘘だと思うのですが」

 にっこりと微笑んでの重大発言に基嗣は度胆を抜かれた。

「‥‥‥あの高さから飛び降りる人が、ただの人間だというほうが私には恐ろしいです」

 驚いたが、実直が普通の人間ではないことに納得してもいた。

 正直な思いが口からもれる。

 その返事に「それもそうですね」とにこやかに実直は相づちを打った。

「それまで人目を避け暮らしてきたのですが桃里を追い、十五で京師に出てきました」

 実直はどこか遠くを見つめるように語り続けた

「私は真っ先に父に彼女を助けて欲しいと頼みました。父も私の願いを聞き入れてくれ、三本の桃の木をもとのところに戻すように進言してくれました。けれど見事に咲く桃の木を手放すことを上皇様も僧都そうづ殿も拒んだのです。その後も災いが起こる治世が揺らぐなど何度か脅迫じみた物言いで進言しましたが、その度に陰陽のかみが上皇様のご機嫌を取って父の進言を『それは吉祥きちじょうだ』などと言い換え握り潰してしまいました。帝も博士の父より頭の意見を重んじるために聞き入れてはくれません。機会を見つけては盗み出そうともしたのですが、あれほど大きくなっては簡単にはできない。下手すれば彼女の命が危うくなる」

「でも、なぜ内大臣殿なのですか?」

 上皇、帝、僧都に桃の木を帰すように説得するのなら、もっと位が上の大臣と懇意になり頼んだほうがいいのではないだろうか。

「今の大臣方は全てかみの意見を重用ちょうようなさいます。その中で内大臣殿だけが、物の怪やまじない、陰陽道自体を心の中では信じておられなかった。だいたい、普通の人間にしゅを扱うことなどできはしません」

 陰陽師の言う言葉ではない。

 貴族たちの生活のほとんどは信仰、宗教、俗信、占いによって動かされていたといっても過言ではない。夢を見れば夢判断をしてもらい、病気になれば薬師と共に験者や僧侶を呼び加持祈祷をしてもらう。病気は物の怪が起こすものと信じられていたのだ。

 陰陽寮が正式な役所として機能していることが、どれだけの人が物の怪を信じているかを表わしている。

「私とて見て、触り、話もできますが式神として彼らを操ることはできません。とはいえ私の場合は友達を使役することはできないという意味ですが」

 基嗣はその言葉にうなずいた。俺も遊び仲間が従者になったら、命令をするのが辛いだろう。

「内大臣殿は見たことはお信じになりますが、どちらかというと物の怪を利用した政略のほうが周りを飛びかっているため、物の怪そのものをとても懐疑的にごらんになります。自分で言うのもなんですが‥‥‥私はいささか目端が利くものですから暗殺や策略を見抜くことができます。それを内大臣殿は気に入って下さった。そして私は内大臣殿の権力が近いうちに絶大なものになるのを確信して、桃里のために協力している」

 ここで実直は言葉を止めると白湯をすすった。

「私たちは身分は違いますが、お互い利用しあっているのです。必ずしもいつも内大臣殿のお味方とは限りません。ですからこのように、あなたにお味方したりもするのです。‥‥‥でも私は内大臣殿を好いてますので、あなたが役に立ちそうもないとわかれば手のひらを返しますから」

 にっこりと爽やかな笑顔でこんな言葉を言える実直を呆れて見た。

「‥‥‥どうして、私にお味方下さるのですか?」

 不思議に思い、そう尋ねる。俺たちの仲を取り持ったとて、実直に得があるわけではない。

「おもしろそうだったから」

 笑顔の即答に基嗣は言葉を失い、ただ黙って目の前の白湯をいっきに飲みほした。



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