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桃の香の消える時-1-








 基嗣はいちで仕入れてきた色とりどりの弓矢の先端をつぶしていた。

 狩場などで拾ったものを手直しして安価で売っていたものだ。

 他にも、着古した実用的な袖幅の狭い水干と細みの袴、武骨だが切れ味のいい剣と短剣。あと顔を隠すための頭巾に、子供がつかうような小さいが弾力があり手になじむ弓も仕入れてきた。

 今夜、基嗣は内大臣邸を訪れる中務卿宮を盗賊に見せかけて襲うつもりだった。

 婿取婚は吉日を選び、まず男性が女性のもとに三日続けて通う。

 夜更けに訪れ夜が明ける前に帰る。

 その時、衣服を交換したりする。

 男性は家に戻るとまず女性に後朝きぬぎぬの文を書く。この後朝の文がどれだけ情熱的な和歌が詠まれているか、早く届くかで女性がどのように大切に思われているかがわかるのだ。

 それを二日続け、三日目の夜に正式にお披露目をする。露顕ところあらわしという披露宴である。妻方が用意した餅を二人で食べ、その後妻方の両親と会い(男性側の両親は参加しない)宴会になる。この時に食べる餅を三日夜みかよの餅という。

 つまり男性が三日続けて通わなければ結婚は成立しないのだ。

 一幡君いちまんぎみ五十日いかの祝いの日に、花梨の縁談の正式な日程を内大臣殿から知らされた。

 内大臣は他の者にわからないように、口元に微笑みを浮かべると言った。

「さて、どうする?」

 挑戦的な物言いだった。まるで基嗣を試しているような態度である。

 基嗣は毅然として内大臣を見つめ返すと、はっきりと言った。

「お約束をお守りいただけない以上、私にも考えがあります。お覚悟下さい」

 内大臣は口元に薄く笑みを浮かべると

「お手なみ、拝見させていただこう」

 立ち去る後ろ姿を基嗣は複雑な気持ちで見つめていた。

 内大臣はなにを考えているのだろう。

 基嗣の書いた文をきちんと花梨に渡してくれるかと思えば中務卿宮の縁談を承諾してしまう。承諾した以上、花梨のことを諦めろと言うのではないかと思っていたのに、今のように自分の生意気な発言にも楽しげな笑みを浮かべる。

 わけがわからなかった。

「内大臣殿は本当にあなたのことが気に入っておられるようですね」

 近付いてくる実直さねただの言葉に怪訝な表情を浮かべた。

 実直はくすくす笑うと続ける。

「あのお方は気に入った者に意地悪をなさる癖があるのです」

「意地悪で、娘の縁談をお決めになるのですか?」

 とげとげしい口調になってしまったが、悲しげに嗚咽をこらえて泣く花梨の姿を思い浮かべてしまったのだからしょうがない。

「ついに帝からお声がかかってしまったのです」

 入内した御匣殿みくしげどのに帝が、内大臣に花梨の婿に中務卿宮を迎えるのをどう思うか聞いて欲しいと仰ったらしい。

 まだ子供だから、みやびを解さぬ出来の悪い娘だから風流人な中務卿宮とは不釣り合いだなどと諦めて下さるようにお願いしたのだが聞き入れてもらえなかった。

 帝は中務卿宮はそのようなことを気になさる方ではない、安心されよ。と内大臣の言葉を謙遜しての辞退だと取り、そのように仰ったのだという。

「私が知っている中で気持ちを隠すのが一番上手なのは内大臣殿ですね」

 微笑みの鉄面皮の実直が言うと妙に説得力がある。

「このようなことを言っても詮ないことですが、あと少しの時間があれば‥‥‥」

 言葉を濁すと、実直は穏やかに基嗣を見つめた。

 あと少しの時間があれば、基嗣が花梨の婿にふさわしい位階を持つ身になったかもしれない。そういうことだろうか。

 それとも、こんなふうに考えるのは虫の良いことだろうか。

 基嗣はきつく目を閉じ頬を叩くと「あれば」とか「もしも」という言葉を頭から追い出した。

 そんなことを考えていても仕方がない。

 時間がないのなら、自分で作るしかない。

 そう考えて、市でいろいろ仕入れてきたのだ。






「若君、お呼びですか?」

 いつも護衛としてついてきてくれる安之の声だった。

 御簾をあげて安之と安則を招き入れる。

 重要な話があるからと、遠慮して奥に入るのを拒む二人を無理矢理部屋の奥に通す。

 人払いがしてあるが一応小声で顔を近付けて話すことにした。

「今夜遅くに出かけるが、見逃してくれないか。特別手当を渡すから、二人で飲みにでも行って欲しいんだ」

 安之と安則は互いに顔を合わすと、眉をしかめ安則が聞いてくる。

「なにをされるつもりですか?」

 黙って答えようとしない基嗣に安之が礼儀正しく尋ねる。

「お答えくださいませんか? もし三の姫様を盗み出すというのであれば、私たちは全力を持ってお止めすることになります。なにをなさるのかお答えいただけねば、ご要望をお聞き入れすることはできません」

 言うべきか迷った。

 中務卿宮に弓を引くということは帝に弓を引くということでもあるのだ。

 自分がどれほど危険なことをしようとしているのか、基嗣は充分理解していた。だからこそ、捕まった時のために安之と安則には側にいてほしくないのだ。

 こんなことに巻き込みたくなかった。

 中務卿宮に弓を引くといっても、盗賊のふりをして襲い、自宅に逃げ帰っていただくか可哀想だが牛車ぎっしゃの牛を射殺して行触ゆきぶれを起こし謹慎してもらうのが目的だった。決して人を殺すつもりはなかった。だからこそ弓矢の先端をつぶしたのだ。

 下手をすれば反対に中務卿宮の従者や侍たちに捕らえられるかもしれない。その時は仕事上の不満がつのっていたずらで弓を向けたと答えるつもりだった。

 捕らえられたりすれば官位を剥奪され、遠くに配流はいるということもある。

 いちかばちかの賭けだった。

 けれど花梨が他の男の妻になるのを黙って見過ごすことはできなかった。

 基嗣には、他の方法は思い浮かばなかった。

 悩んだすえに重い口を開いた。

 言わなければ忠実な護衛の彼らはきっとついてくるだろう。

「中務卿宮を襲う」

 二人ともこの返事に絶句していた。

「もちろん、お命をいただくつもりはない。ちょっと襲って三の姫のもとに行くのを邪魔したいだけなんだ」

 二人の沈黙が痛かった。

 話すべきではなかったかもしれない。

 苦しそうな表情を浮かべて安之が聞いてくる。

「お一人でなさるつもりですか?」

「ああ。無茶だということは承知している。けれど、花梨を見捨て、なにもしないというわけにはいかないんだ。‥‥‥そなた達に迷惑をかけたくない。だから」

 見逃して欲しい。という言葉は安之の笑いでかき消されてしまった。

 隣の安則も同じように笑いで体を震わせていた。苦しげな表情を浮かべていたのは笑いをこらえるためだったらしい。

 しばらく二人は発作のように笑いと、笑いをこらえて体を小刻みに揺らすのとを繰り返していた。

 基嗣は呆然と二人を見つめた。

 小さな頃から影のように護衛をしてくれた二人だったが、向かい合ってこのように会話を交わすのは始めてだった。まさかこれほど笑い上戸だとは思わなかった。

 しかし、二人がどうして笑うのかわからない。

「若君はどれくらいの従者が中務卿宮に付き従ってくるかご存知ですか?」

「さあ‥‥‥でも十人くらいだろ」

 自信なさげに答える基嗣だった。

「十人にたった一人で‥‥‥なんて、気持ちのいいくらい無謀なんだ」

「若君のことをずっと見ていましたが、まさかこれほど大胆なことを計画されるとは‥‥‥‥おもしろい」

 安之と安則は笑いながら喋っていたが、なんとか笑いをおさめ基嗣に向き直る。

「私たちにもその話、一枚噛ませていただけませんか?」

「‥‥‥‥‥‥」

 とっさに返事ができない提案だった。

「変な言い方するな、安則。‥‥‥若君の私たちのことを思うお優しさと、三の姫様を思う一途な気持ちに免じて今回限りでご協力いたしましょう」

 安則が微笑んで言う。本心でそう思っているかはわからない。

「ただし無料というわけには参りません」

「しかし‥‥‥」

 基嗣はとまどった。三人になったとしても危険な賭けであることは変わりがない。

「蛇の道は蛇という言葉がございます」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず。と、言えよ‥‥‥中務卿宮の牛車と牛。それをいただければ充分にございます」

「若君の計画通りに進むこと、保証いたしましょう」

 二人の自信ありげな表情を見ていると、信頼しても良い気がした。

 円座わろうだから身を退かして、二人に深々と頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 こんな無謀なことに付き合ってくれるというだけで、どれだけ感謝しても足りない気がした。

 従者にたいして深々と頭を下げる基嗣を見て安之と安則は微笑みを浮かべる。

 ――― 従者が付き従うことを当然だと思う貴族が多いなか、この少年の思いやりは珍しい。

 基嗣とあの元気のいい三の姫にはできたら幸福になって欲しいと二人は思っていた。だから口では今回限りの協力と言ったが、協力を惜しむつもりにはなれなかった。

 それに『宮様』に弓を向けるというのが気に入った。四十歳近いというのに権力を笠に着て十四歳の少女を妻にしようという根性が気に入らない。

 上流貴族の鼻をあかすこの機会を見逃す気にはならなかった。

 二人は襲撃をかける時刻と場所と人を殺さないということを確認すると基嗣の部屋から退室した。屋敷を出ると市に向かう。

 今宵限りの仲間をかき集めるために‥‥‥

 二人がどこかに出かけた後も、基嗣は部屋で武器をみがいていた。

 時が過ぎて、夕暮れになっても何度も弓矢を確認したり、武器をみがいたりした。

 なにかしていなければ落ち着かないのだ。






 夜になり風が出てきた。

 さわさわという風に木の葉が揺れる音が日中よりも大きく聞こえる。

 空に月はかかっていない。厚い雲に覆われて美しい姿を今宵は見せそうになかった。

 運が良い。

 さりげなく庭を散策するふうを装い屋敷を出て、庭の奥で着替えて塀を乗り越え安之・安則と合流して襲撃場所に向かう。

 中務卿宮邸から内大臣邸のちょうど真ん中あたりが襲撃位置だった。

 頭巾で頭を覆った基嗣が、体を強張らせていた。そろそろ宮が通る時刻だ。

 ほのかな灯りと共に牛車の音が聞こえる。

「若君の射掛ける弓矢が合図です。くれぐれも牛に当てぬように牛を脅かせて下さい」

 この暗い中で無茶な注文だ。

「わかった」

 基嗣はつばを飲み込むと矢をつがえた。

 脳裏にくるくると表情のよく変わる花梨の顔が浮かぶ。

 深呼吸をする。

 背筋を伸ばすと呼吸を整え、狙いを決めて弓を放つ。矢は微かに弧を描いたが、狙いどうり牛車を引く黒牛の目の前に勢いよく突き刺さった。

 牛が突然のことに暴れ出した。それを合図に十人ばかりが暗がりから飛び出してくる。

 驚いた。

 こんな危険な襲撃にこれほどの人をかき集めることのできる安之と安則はただ者ではない。

「若君、参りますよ」

 先に飛び出した男たちがすでに牛車の中から中務卿宮を引きずり出していた。

 牛飼いわらわがけなげにも牛の手綱たづなを取り交戦している。基嗣はをつかって童のみぞおちを突く。童はくずれ落ちるように倒れた。

 基嗣が少年ひとりを相手している間に中務卿宮の従者たちはすべて倒されていた。

 男たちが倒れた者たちから衣服を剥ぎ取っている。

 妙に手際がいい。

「おい、そこの坊主。この手綱切ってくれないか?」

 牛を押さえ込んでいる体格の良い男に話しかけられて基嗣は驚いた。手綱を切ってどうやって牛車を運ぶのだろう。そう思ったがうなずくと短剣を抜き手綱を切った。

「じゃあ。安之、安則。いい儲け話を持ち込んでくれて感謝する。いくぞ、野郎ども」

 男たちは二手に分かれて逃げていった。

 角を右に曲がっていった男たちは牛車を手で引き、左に曲がっていった者たちは牛の手綱を器用に操り走っていった。

「我々も早く、この場を立ち去りましょう」

 安則に促されたが、どうしてもこのまま中務卿宮を放っておくことはできず、物陰で彼らが気がつくのを待った。

 それほどたたないうちに倒れていた者たち全員が立ち上がった。しばらく話し合っていたようだが、ひとまとまりになってとぼとぼと徒歩で引き返していく。

 その姿を見ると申し訳ない気がしたが、それでも今日の行動を後悔する気は起こらなかった。

 二人に促され市を抜け寺を抜け、手入れのされてない主に見捨てられた屋敷に紛れ込んだ。

 何回も中務卿宮の襲撃犯を探す検非違使けびいしがいないか確認して移動した。うらぶれた屋敷で三人とも衣服を着替えまた同じように、何回も確認して自分の屋敷に戻った。

 一番警護の薄い庭の奥の塀から屋敷に侵入する。また庭先で、今度は庭に出る時に着ていた直衣に着替えた。

 烏帽子を被り、いかにも庭を散策していましたというふうに装って部屋に戻る。

 基嗣はなぜこのように何度も衣服を着替えるのか疑問に思ったのだが、安之が服が違うだけで逃げられる確率がぐんと上がると答えるとなるほどと妙に感心し納得した。

 部屋に戻った途端、へなへなと力が抜け基嗣はその場にしゃがみ込んでしまった。

 どっと疲れが押し寄せる。

「若君、立派な盗賊になれますな」

 褒め言葉と受け取って良いのだろうか?

 悩んだ末、返事をせず微笑むことだけにした。

「それではお休みなさいませ」

「安之、安則」

 部屋を出ていこうとする二人に自然、声をかける。

「今日は‥‥‥本当にありがとう」

 改まって頭を下げた。

 はっきり言って、一人ではとうてい無理だったろう。

 今なら二人がさんざん無謀だの大胆だの言ったかがわかる。

「お気になさらずに‥‥‥我々の仕事は若君をお守りすることですから」

「あいつらへの借りも返せたことですし。なかなか割の良い仕事だったでしょうから」

 安則が皮肉な笑みを浮かべる。

 基嗣は目を見開き、何度か瞬いた。

 この二人はあの男たちになにか借りがあるのだろう。それでちょっとした割の良い仕事としてこの襲撃に荷担してくれたのだ。

 京師みやこに盗賊は頻発している。たとえ御所といえ安全とはいえない。

 盗賊から見れば、あまり剣技が達者とはいえない上流貴族が女の元に通うため夜に少人数で忍んで行く姿は襲ってくれと言わんばかりだ。

 あの男たちに二人がなんと言って頼んだかは知らないが、どこの誰が、いつにどの道を通って来るかがわかっており、もし捕まったとしても全ての罪を基嗣に被せることができる。普通に見ず知らずの貴族を襲うより情報が多く逃げ道を確保しておくことができるため、割のいい仕事といっても過言ではない。

「あの‥‥‥牛と牛車ってどうなるんだ?」

 つい好奇心で聞いてしまう。

「牛は食べても美味いそうですが‥‥‥あれほど元気な雄牛ですからね。京師以外の荘園か国守に内密で売られるんじゃないですか。牛車は飾りを外してばれないように加工して新しく牛車を注文した貴族の元に。飾りももちろん他のものに加工して、ひっぺがした衣服も染め直したり縫い直したりして市に出されるでしょうね」

 牛を食べる。そのことに驚いた。

 貴族は基本的に動物をあまり食べない。食卓に上るのは主に魚や鳥である。

「先程別れたが‥‥‥彼らは捕まったりしないだろうか?」

「大丈夫、大丈夫。牛車はすぐばらして、それぞれ運べるものは加工場へ、大きいものはほとぼりが冷めるまでどこかに隠されてるでしょうから。牛も気を失わせて台車に乗せて運んでしまっていると思います。そういうことの手際に関してはあいつらは当代随一です」

 なんとたくましい。

 牛車をばらして運ぶなど、考えもしなかった。

「若君は怒られないのですね?」

 不思議そうに安則が聞いてくる。

「自分が利用されたと知れば普通怒りますよ。それなのに若君は反対にあいつらのことをご案じになる」

 そう言われて、基嗣が自分が怒らないことを不思議に思ったが、前に実直が言った言葉を思い出したため自然と納得していた。

「俺は人出が欲しかった。二人は彼らからの借りを返すのに良い機会だった。彼らには得な仕事情報だった。お互いの思惑が重なったんだ。だから利用じゃなくて協力だろ?」

 相手からただ利用されただけなら怒りもするが今夜のことは三者の思惑が偶然重なっている。ならこれは協力関係で、利用ではない。内大臣と実直のような、身分が違えど対等な協力関係なのだ。

 安之と安則は互いの顔を見合わせると、基嗣にたいして姿勢を正す。

「あなたのことを若君と呼ぶのはやめにします。殿。これからもよろしくお願いします」

 二人が頭を下げる。

 突然のことで面食らったが、基嗣も威儀を正すと

「こちらこそ、よろしく頼む」と答えた。

 二人に一人前の男として認められたのだ。

 基嗣は微笑する。誰かに認められる、必要とされのが嬉しかった。自分を信じて危険なことに協力してくれるのがありがたかった。

 この気持ちを忘れないようにしよう。

 そっと基嗣は自分に誓った。

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