「お前はもう書くな」とのたまうエッセイを読んで
これは数日前にエッセイジャンルのランキングに打ち上がっていた投稿に対する所感である。
その投稿のタイトルは『もうお前は小説を書くな。』である。「俺がルールだ!」と言わんばかりのタイトルに愕然とするが、本人は至って本気のご様子。
本文を読み進めると何が問題かつらつらと書かれているものの、ひどく私的な感情論であった。要約すると「俺の知ってる文章ルールに沿ってないやつの小説は見るに堪えん」ということであるが、その文章ルールとやらは根拠がなく、まずもって世間一般に通用するものかさえ怪しいと思った。
曰く「感嘆符の後は1字空けよ」
はて、そんなルールあったかなと思い調べてみれば、どうやら出版社が校正するときに自らに課しているルールということのよう。そんなものがなぜ「文章ルール」なのか?百歩譲ってその出版社が主催する公募に出す時は、守ったほうが良いかもしれない。だがここは出版社主催の公募の場だろうか?
ひょっとするとこの方は、ここが『小説家になろう』という誰にでも門戸を開いている投稿サイトであるという点を忘れてしまったのかもしれない。であれば、仕方がないと割り切ろう。
次に「字下げせよ」
これは確かに小学校の学習要綱で挙げられているものだ。大学の論文提出時にも教授によっては煩く課してくるルールでもある。段落ごとにそれなりに文字量があり、1行あたりの文字数が固定されている媒体においては見やすさの一助になるだろう。
しかしweb媒体にも同様のルールが適用されるべきかについては、議論の余地が大きいと感じる。なぜならweb媒体は、使用するデバイスによって1行あたりの文字数が可変する。その結果、文章の頭がガタガタになって見苦しくなることさえある。
私見であるが、段落を表現したいなら、web媒体では字下げよりも空行をいれるほうが適切ではないかとさえ思える。
例えば、日経新聞のWEB版は字下げをしていないが、特に読みにくいと感じたことはない。段落と段落の間には先に述べた空行が入っているからだ。
同様の例として『ロイター』、『WIRED』、『現代ビジネス』、『cakes』などもそうだ。結局web媒体においては、字下げをしていない媒体は少ないながらも存在し、多くの読者から支持されている。
であれば、少なくともweb媒体においては「字下げ」にこだわる必要性は薄いのではないだろうか?結局のところ、その目的が読み易さの追求にあるとするならば、字下げ以外の方法でそれを担保しているなら、「人に見せるための文章」として何ら恥ずべきことはないだろう。
別の角度で見てみよう。実はかの文豪、谷崎潤一郎は字下げをしないことで有名である。何なら出版社にそれをかたく言い付けるほどだったとか。そこまで極端ではないにせよ、詩人であり国語学者でもある折口信夫も字下げをしないことで知られている。つまり彼らが生きていた時代においては、文章を書くにおいて、「字下げ」は絶対的なルールではなかったのであろう。
そう考えると、「今のルール」を絶対のものとして、古来より存在する文筆活動を否定するのはいかにも馬鹿馬鹿しいことである。
人にルールを押し付けるなら、そのルールとやらの成り立ちや運用目的を調べたうえで主張するのが当然じゃないのか?と私は思うわけだが、世の中には他人に厳しく自分に甘い人が掃いて捨てるほどいるので、私の考え方のほうが珍しいのかもしれない。
他に「句読点をつけろ」というルールもあったが、これを求める姿勢には今までと一転して、共感できるものがあった。
なろうの作品をスコップしていると、たまに句読点無しの作品に出会うのだが、読んでみるとソワソワして気持ちが落ち着かない。句読点が無いのが気になって仕方がないのである。
とは言え、そのような場面では、「どうやらこの作品とはご縁がなかったようだ」と、残念な気持ちになりながら次の作品へと移るのみであり、先のエッセイのように「もう書くな!」なんて畏れ多い感情を抱くことはない。
なぜなら、どんな文豪だって売れっ子作者だって、最初はアマチュアで発展途上の時期があったはずと思うからだ。
今回は縁がなかったかもしれないが、またいつかその作者さんと道が交わり、その時には作品のもつ魅力の前に平伏すことになるかもしれない。それが作品と向き合うときの心境である。
そういったことを踏まえると、やはり「もう書くな」というタイトルで書き手に強い言葉を投げかけるエッセイは、迷惑この上ない存在だ。下手をすると書き手の可能性の芽を摘んでしまうかもしれない。
そもそも、エッセイを書いたご本人も「読者は与えられる立場だ」と感想欄の返信に書いているが、その言葉に嘘偽りが無いのであれば、一体なぜこんなエッセイを書こうと思ったのか?何様なのか?『小説家になろう』運営の関係者様なのか?なろうの読者代表様か?
『小説家になろう』は、「趣味で書いている人、ちょっと書いてみたい人も歓迎します」と謳っているが、この人はそういったなろうのポリシーを読んだのか?場所を借りて活動をするのなら、その場所の運営ポリシーやルールを読み理解するのが筋だと思うのは私だけだろうか?
それでもなお、本気で自分のルールを書き手に押し付けたいと願うのであれば、『小説家になろう』で読むのは直ちに辞めて、自分で投稿サイトを作ってそこで好きなだけ己が是とするルールを課せば良い。
そんなサイトに投稿する奇特な書き手がどれほど居るかは不明だが。