交渉決裂
ランチを予約したレストランは、墓地から歩いて五分ほどの場所にある。
三人は無言で歩き続けた。
途中すれ違う人たちが、別々の美貌を備えた三人連れに思わず目を奪われて、チラチラと振り返っていく。
そう、悔しいがアキミツは美しい男だ、とフィルマンは思った。
雨の中で傘をさしていたって、彼の凍るような美しさは明白だった。
ただ残念なことに中身は最悪だが、と隣を歩く青年を横目にフィルマンはため息をつく。
高級レストランにふさわしい振舞のウェイターに通されたのは、あらかじめリザーブしてあった個室だ。
恐らく込み入った話になるだろうことを見越しての、フィルマンの計らいだった。
席に着くとフィルマンは、コースより先に飲み物だけ用意してほしいことを伝える。
フィルマンとララは紅茶を、彰光はハーブティーを注文して待った。
優雅な仕草でお辞儀をしたウェイターが個室を出ると、フィルマンは改めて彰光をよく見た。
彰光は軽く引いた椅子に、モデルのように足を組んで腰かけている。
足の上に置いた手を見つめて伏し目になると、睫毛がとても長いことに気づかされる。
顎のラインは細く、目鼻立ちはスッキリと整い、唇は薄く小さい。
その佇まいは、声をかけるのをためらうような高貴ささえ感じさせた。
実際、ララもどう話かけたものか戸惑った。
助けを求めて、彰光をじっと見つめる父のスーツの袖をちょいちょい、と引っ張る。
フィルマンは我に返り、年長者として会話の口火を切った。
「先ほども言いましたが、今日は本当に貴重な時間をありがとうございます。娘があなたとぜひ話してみたいと言うことで」
「なぜ」と、彰光はまたしてもフィルマンの言葉を悪びれず遮る。
「僕からいったい何が聞きたいんだい。手短に、簡潔にお願いするよ」
彰光の喋り方は、終始気だるげで面倒くささを隠しもしなかった。
「その、えっと、まずアキと呼ばせていただきたいわ。いいかしら」
ララは可愛く小首をかしげた。
確かにフランス人にとっては「ヒシイ」も「アキミツ」も発音が難しい。
「好きにすればいい」と、意外にもあっさりと彰光は受け入れる。
そのことにララはちょっと気を取り直し、笑顔になった。
「あの、アキは日本で何をされているの?ケイはコンサルタントの会社で働いていたけど、こんなことにならなければ本当はパパの会社で」
「君」と、今度はララの話が途中で切られ、ララは小さな肩をわずかに揺らした。
「君は僕の話を聞きたいの。それとも、啓の話?」
彰光は、不快だと言うように眉をしかめて、見下すように顎を上げた。
「ごめんなさい、私はただ」とララは慌てて謝る。
産まれてこのかた、ここまで高圧的な態度を人から取られたことはなくて混乱する。
咄嗟にフィルマンはララの手を握り、大丈夫だと元気づけるようにぎゅっと力を込めた。
「申し訳なかった。確かに、君のプライベートを詮索する必要はなかったね」
できるだけ穏やかにフィルマンが言えば、彰光はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
なんとも形容しがたい空気が流れたそのとき、飲み物を用意したウェイターが個室の扉をノックして入ってきた。
フィルマンとララは思わず胸をなでおろす。
ティーポットとカップがセッティングされる間、フィルマンは次の一手を考えた。
当然だがアキミツは、ケイを偲ぶ話のために呼ばれたと思っているのだろう。
しかしララとフィルマンは、アキミツがどんな人間かを知ることに目的があった。
またウェイターが出て行き、それぞれがひと口飲んだところで、フィルマンが口を開く。
「その、私たちは日本にいたときのケイのことを知らない。だから、幼馴染だという君から話が聞けたら嬉しいと思ったんだ。それで、君のことも、不快にならない範囲で教えてもらえれば、より深くケイを理解する手助けになると考えているんだけど、どうだろうか」
すべて、でまかせだった。
ララは「パパ、ナイス」という目でフィルマンを見た。
言われた彰光は、冷めた目でフィルマンを見返している。
しばらく無言ののち、彰光はニヤリと笑った。
初めて見た彼の笑顔を、いたずら好きの猫みたいな笑顔だとフィルマンは思った。
「教師だよ」と、彰光は言った。
それを聞いてララは、思いのほか普通だわ、と思う。
しかしその次の瞬間、彰光はテーブルについた両肘の上に顔を乗せて、「いや、やっぱり男娼かな」と言った。
フィルマンが飲んでいた紅茶をむせて、ララは意味がわからずぽかんとする。
その反応に満足したように、椅子の背もたれに身を預けた彰光は「嘘だよ」と言った。
「へ?う、うそ?」
どれが嘘なのだろう。教師?それとも、その、男娼の方だろうか、とようやく理解したララが顔を赤らめる。
「どっちも嘘だよ。院生なのさ」
「まあ」とララは可愛らしく口を開いて呆気にとられる。
「それで?」と、笑顔を消した彰光が問いかける。
「今のでケイの何がわかったんだい。僕が、教師だろうが、体を売ってようが、学生だろうが。そんなもので印象が変わってしまうほど、君たちがケイを知らないってことを証明したかったのか」
心底馬鹿にしたような言い方だった。
なんという頭でっかちな偏屈小僧だろうか、とフィルマンは自身の苛立ちが最高潮に達しようとしているのを感じていた。
「言っておくが、僕はこのお茶を飲み終わったらすぐに出て行く。聞きたいことがあるなら手短に。何度も言わせないでほしいね」
いつの間にか彰光のハーブティーは残り半分になっていた。
ララは、こうなったらもう本題を切り出すしかないと覚悟を決める。
「わたしが知りたいのは、あなたがケイから譲られることになっている指輪のことなの」
「それが?」
「あなた、あの指輪がどういうものか、ご存知?」
「はっ」と、彰光は小ばかにした笑いを漏らす。
「知らないね。知るわけがない。なぜだか知らないけど彼の母親から連絡が来て、指輪を遺品に受け取ってくれと言われたんだ。おかげで、僕だって暇じゃないのにフランスくんだりまで来るはめになった」
テーブルの下で、ララの可愛い両手がぎゅううっと組まれるのが見えてフィルマンは心が痛む。
「あの指輪は、彼の祖母からの大切な贈り物なの」と、ララは我慢強く言った。
「だから?」
「だから・・・」
だから、なんて言おう。
今日初めて会った赤の他人に物をねだるというのは、いくらララが天真爛漫なお嬢様とはいえためらわれた。
こういう時に助けるために自分はいるのだと、フィルマンが話を引きつぐ。
「単刀直入に言おう。あの指輪は、娘の結婚指輪になるものだったんだ。それがなぜか、君への遺品になっている。お願いだ、指輪を、娘に譲ってやってくれないか。代わりに、私にできることならなんでもしよう」
フィルマンは誠意を込めて懇願するように言った。
しかし、彰光は冷たく言い放つ。
「嫌だね」
「お願いします!」と、ララも食い下がる。
「僕は君たちよりも、友の意思を優先する。啓が僕に持ってろって言うなら、そうするまでだ。だいたい君」
と、彰光の鋭い眼光が射るようにララを見つめ、彼女を怯えさせた。
「僕や君のパパならまだしも、君が啓のことをわからないなんて、どうかしてるよ。結婚するつもりだったんだろう。なのに、君ときたら。私なにも知らないのってその顔、頭にくるね。よく恥ずかしげもなくそんなことが言えたもんだ。おおかた、啓が死んだ理由ってのも君にあるんじゃないの」
「・・・っ!」
考えるよりも先にララの手がコップを掴み、中の水を無礼な男の顔に引っかけていた。
「あ・・・!わたし・・・」と、ララは自分のしたことが信じられないような顔をして固まる。
彰光は特に動揺の色もなく身じろぎもせず、なんなら怒りもせずに、しばらくしてから薄く笑った。
さすがにやってしまったとフィルマンが慌ててハンカチを差し出すが、彰光はそれを拒み自分のハンカチで顔だけ軽く拭くと、残っていたハーブティーを一口で飲み干し席を立った。
「明日、啓の家へ行って指輪を受け取ることになっている。啓がなぜ僕を選んだのか、納得のいく説明が聞けないなら、これ以上君たちと話し合う価値はない」
言いたいことだけ言いテーブルの上に金を置くと、彰光はさっさと個室を出て行った。
彼が声をかけたのだろう、ウェイターが慌てて部屋へ入ってきて濡れたところをタオルで拭いてくれる。
フィルマンはウェイターに謝罪し、ランチの数を二つに減らしてもらうよう頼んだ。
ウェイターが個室を出て行っても、ララはずっと青ざめて俯いている。
「ララ、もう諦めたらどうだろう」と、フィルマンは娘の肩を優しくさすりながら言う。
あの男は、普通じゃない。
こちらがいくら誠意を示しても、話が通じる相手ではない。
そう静かに諭した。
しかしララは弱々しく首を振る。
「彼、言ったわ。ケイがなぜ彼を選んだのか、説明できたら、話し合うって」
それはそうなのだが、あんな天邪鬼な男の言うことを鵜呑みにするのも危険だった。
「とにかく明日、ケイの家にわたしも行くわ」
「ララ」
「パパは来なくて大丈夫よ。ケイのご両親は、わたしにとても優しいもの。きっと酷いことにはならないわ。安心して、お仕事頑張って」
ララの健気な笑顔に、フィルマンは感極まって彼女の髪へとキスを落とす。
本当に、なぜケイはララではなくアキミツを指輪の持ち主に選んだのか。
フィルマンはもう何度目かも知れない疑問を頭の中で繰り返した。
ケイ・ユウキ。
その男の思考を辿ってみようと試みても、フィルマンにはその輪郭はぼんやりとして掴みようがなかった。